メディア製品への必殺宣言

・スクリーン上のキャラクターに消費者のまなざしを送ることでスピーカーやイヤホンから生の声を受けとるゲームはただちに「俺の嫁」を大量生産し恋愛を物語るためのアニメ製作者達を誕生させてしまう。だからまなざしの無数の窓に対応するためにカードが貨幣と交換されなければならない。

・スマートフォンは哲学者を大量生産する。スマートフォンを使うだけでタッチパネルのプラトン主義からウィトゲンシュタインの言語ゲームまで空虚さの狂信である哲学的ディスクールを実践できる。しかも持ち運びに便利で余計なおしゃべりをせず従順でありコピーをすることすらできる。

・人気とは他者の声だとしたらどうだろう。だがそもそも自分の声というものはあるのか。録音された声は幽霊が住み着くだけだし、歌手の声は人魚姫の悲劇を繰り返しているだけではないのか。電話番号が声の担保だとしたら、おれおれ詐欺は大切な人の声を代弁しているのではないだろうか。

・国民投票は民主主義を踏み台にするためのポーズであり、携帯電話のネットワークを流通の基準にするのはポピュリズムや知識人の反乱に対処するための口実であり、TRPGをテキストとして導入するのは人気投票を権威にしたてあげるための儀式であり、プレイヤーの召喚は政治の可視化をSLGにする。

・自然を労働の技術として生産することで利益の証拠である貨幣を、商品のイメージであるキャラクターの声を担保できるスマートフォンと交換するには少女か怪物のカードが欲望の対象として表現されなくてはならない。しかしこの解釈では魔法少女や変身ヒーローにならなければ時間を道具に搾取される。

・神々の依代として生きた貨幣である少女の身体をゲームの道具として利用するためにはカードを症候として召喚しなくてはならない。ただし症候がフェティシズムや倒錯になれば商品になって貨幣で購入されてしまう。恐怖の能力が義務になるのは不安が道具によって排除されない限りでである。

・問題は貨幣を所有する限り欲望の対象は少女になり、カードのプレイヤーである限り王者の二重人格にならないのなら欲望の対象が近親相姦か百合のカップルにしかならないということにある。怪物との結婚は象徴的なイメージによって反復されるにすぎない。つまり王の系譜の誕生がゲームで反復されるのだ。

・悪魔の契約から闇の力を授かるのか妖精の願いから魔法の石を預かるのかは通信料金と体力の意味でどうでもいいとはいえない。もちろん覚醒した妹の能力で覇王になってもいいのだがそうなると性欲は無限でなくてはならない。それで友達の協力が必要なのだが報酬は敵から奪って山分けにしなければならない

・ネット上のフリー素材がクラウドとして提供されるだけではキャラクターカードを生産することはできない。仮にイラストレーターなどに委託する場合はパックやガチャのようなランダム性を付与しなければ交換価値にならない。しかしある特定の世界観の二次創作では名前を公表しつつカードを販売できる。

・まなざしと声にセクシュアリティをカード化する者は手を利用して快楽を与えるということを自分一人でやれてしまう。恋愛の可能性は失墜の快楽を味わうだけになり、労働力が性欲によって担保されているということを少女化された商品に賭けることは電話の声なしにはできなくなる。

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