批評家への必殺宣言
・吉本隆明との総体的戦いで末期の悲鳴を上げたニューアカに東浩紀はエロゲーとデータベースの思想を掲げて颯爽と登場し大学の無理解にヘソを曲げた。彼はよき市民として再出発し世間に迎合することも敢えてやって見せたがちょっとでも誠実な人々から猛反発をくらった。そこでカフェを作って安心を得た。
・小林秀雄も吉本隆明も批評が階級闘争に果たす役割を意識しつつそうではないものがあるということを主張していたのに東浩紀には良い作品の保存にしか主張すべきことがない。しかも彼は批評をアカデミズムに認められるための手段にしてしまった。彼らは作品を学者の享楽にしてしまったのである。
・ここから自分の意見を表明するには小説家として成功しなくてはならないという歪な構造が作られた。さらにポルノを批評の対象とすべきかどうかという問題がある。したがって問題の焦点はエロゲーとはなんなのかである。性行為をゲームとして反復すること。東浩紀はここで家庭の父に逃げた。
・批評が資本主義において生活や金儲けの手段になることは非難されることではない。だがそこに不平等や価値観の差異があるということこそを批評は表現しなくてはならないのであって、自身の文章がある特定の人間に奉仕するものであることを忘れたり平気で居直ったりする人間に批評などできるわけがない。
・エロゲーについては次のように言える。ストーリー重視だと感動が問題だから批評は涙の解釈学になる。性重視だと快楽だけが証明だから実践の反復回数が記述される。私が言いたいのは近親結婚でなくては二つの要素が両立しないということだ。どちらかをなくすと性の訓練は享楽のループになってしまう。
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