第6話 幕間。

扉が閉められると部屋の中は真っ暗になった。ガチャリと鍵を閉める音がする。


どうやら閉じ込められてしまったらしい。そんな事しても無駄なのに。


 あたしは辺りを見回した。窓一つないこの部屋は自分の腕すら見えないほどの暗闇だ。


あたしはこの暗闇が好きだった。


自分自身を覆い隠してくれる暗闇はあたしの味方で唯一の友達だった。


 手の中にふわふわとした感触がある。


ああ、一年前にお父さんからもらったこのウサギのぬいぐるみも友達とだなと思った。


ぬいぐるみがそれを主張するかのようにあたしの腕に優しい感触をくれる。


「少し、言い過ぎたかな…」


 あたしは暗闇の中でひとりごちた。


洋子お姉ちゃんの顔は青く引きつっていたのを思い出す。


あたしも感情的になりすぎていたと思う。いつもなら、うまくやれるのに。


 でも、今日は色んな事がありすぎた。


ウサギのぬいぐるみを撫でると、毛が固まってごわごわになっている部分がある。


その部分はどす黒くなっている。しずるさんの血だ。

 お兄ちゃんを待っている間、裏門からしずるさんの所に行こうとしていたあたしは道路の反対側にいたしずるさんを見つけた。


手を振ってウサギのぬいぐるみを持っている。笑顔だった。


 直後に、ゆかりお姉ちゃんの乗ったバイクがしずるさんを跳ね飛ばした。


しずるさんは二、三度地面をスーパーボールみたいに跳ねたかと思うとうつ伏せに倒れた。


あたしは怖くなってその場から動けなかった。


指一本動かす事ができなかった。


あたしがやらなきゃ。あたしがやらなきゃ、しずるさんが死んじゃう。


 そこからは無我夢中だった。通りすがりの人を呼びとめて電話を借りて、救急車を呼んだ。


他の車がその場所に入ってこないように見張ったりしていた。


 救急車が到着してからは、あたしの目の前で起こった事を話した。


ゆかりお姉ちゃんの事は黙っておく事にした。


……ゆかりお姉ちゃんの事好きだったから。


あたしが、それを言う事でゆかりお姉ちゃんがどうなるかを考えるととても言えなかった。

 救急車がその場を去った後、あたしはふらふらと学校に戻ってぼーっとしていた。


しばらくするとお兄ちゃんがやってきた。


 お兄ちゃんが大事な話があると言って、話し始めた内容は洋子お姉ちゃんが私の実の母親だっていう話。

…そっか。お兄ちゃんは優しいね。そんな内容の話をあたしにするのが辛いんだね。


涙は出てないけど、顔が泣いてるよ。


 でもね、大丈夫だよ。


あたし。うすうす知ってたから。


あたしがお兄ちゃんの本当の妹じゃないってこと。


それはね、あの家に暮らしていたら嫌でも感じちゃう。


 洋子お姉ちゃんがあたしの本当のお母さんか。…それも悪くないな。


 お兄ちゃんはしばらく話を続けた後、立ち去っていった。


お兄ちゃんは本当に優しい。


あたしの事嫌いなのに、優しくしてくれるなんて。



 こんな醜いあたしに優しくしてくれるなんて。


気がつくと体育倉庫の方に向かって歩いていた。


あの場所はこの学校の中では一番のお気に入りだった。


窓一つないあの場所はあたしにとって安らげる場所だった。


 醜いあたしもこの息苦しい世界も皆、暗闇が覆い隠してくれる気がする。


体育倉庫の中に入って扉を閉めるとそこは完全な暗闇になった。


あたしは倉庫の一番奥にあるマットの上に倒れこんだ。


 土と石灰の混じった匂いがする。嫌いじゃなかった。


瞼を閉じると静寂と完全な闇があたしを包んだ。


この闇に包まれて何も考えずにいる事であたしはあたしを保てる。そんな気がしていた。


 …でも、今日はそうはいかなかった。暗闇に包まれていても、包まれているから、嫌な思い出ばかりが思いだされてくる。


 お父さんとお母さんが一緒に死んだ日。


あの日、あたしも本当は死ぬはずだった。


あの時、お母さんがあたしの袖をきちんと掴んでいれば、あたしも一緒に行けたはずだった。


 お母さん…どうして、離してしまったの? 


こんな息苦しい世界なら、一緒に連れて行ってくれればよかったのに。


 目の前でバラバラに砕け散る両親の姿が思いだされた。


どんなに忘れようとしても、こびりついて擦っても擦っても取れない錆のように頭の隅に残っていた。


 瞼の隅にお母さんの顔が浮かび上がる。


その顔は青く、どこか恨めし気だった。


その横にお父さんの顔が浮かび上がる。


視線があらぬ方向を向いていてどこを見ているのか分からない。


 どちらも、首から下が無かった。


 とっさに目を開ける。目を開けても辺りは暗闇だったけれど、それでも二人の顔は見えなくなった。


 気分が悪くなる。やっぱり、洋子お姉ちゃんにあんな事言わなければよかった。


本当の事なんて言わずに今まで通り、演技を続けていればよかった。


演技するのなんて子供の頃から慣れてるのに。


 やっぱりあたしは疫病神なんだ。


あたしが生きているから皆が不幸になる。


あたしがのうのうと生きているから、それも楽しそうにお父さんと歩いている所を見られたりするからお父さんもお母さんも死んじゃったんだ。


 あたしは、洋子お姉ちゃんの子供でお母さんの子供じゃない。


そんな子供がお父さんと一緒に家族の様に歩いていたら、許せないよね。


 お母さん、ごめんなさい。あたしがお父さんに甘えて、お兄ちゃんにあまえていつまでもあの家族の中にいたから。


お母さんから家族を奪ったから。だから、ごめんなさい。


 お父さん。ごめんなさい。あたしが誕生日にろうそくが欲しいなんて言ったから。


二人で買いに行こうなんて言ったから。こんな事になってごめんなさい。


 しずるさん。ごめんなさい。あたしがぬいぐるみが壊れた時に悲しそうな顔をしたから。


それを直してくれるなんていう好意に甘えてしまったから。


あんな事故にあっちゃった。ごめんなさい。


 ゆかりお姉ちゃんごめんなさい。あたしが学校の裏門からしずるさんを呼んだから。


しずるさんがあたしに会いに来ようと道路に出てしまったから。


あんな事故を起こさせてごめんなさい。

 あたしは疫病神です。あたしの周りにいる人は皆不幸になってしまう。


 そう考えただけで涙が溢れてきた。


でも、誰かと一緒に居たい。誰かに甘えたい。優しくされたい。誰かの為に何かをしてあげたい。


 でも、それはあたしはしちゃいけない事なんだ。


あたしは独りで生きていくべきなんだ。


 そう自分に言い聞かせたけど、涙は止まってくれなかった。

どれぐらいの時間が経っただろう。


それなりに長い時間泣いていた気がする。


そろそろ外に出ないとお兄ちゃんが心配するかもしれない。


 あたしは、涙を袖で拭うと立ちあがった。


もう冬だって言うのになぜか、この体育倉庫はとても暑かった。


 ……暑いなんて言うものじゃなかった。


立っているのも辛いぐらいに体育倉庫の中の温度は上がっていた。


何が起こっているのかわからない。バチバチと木が爆ぜる音がした。



……燃えてる?


 あたしは急いでドアに駆け寄る。


ドアを開こうとして横に動かそうとするがガチャガチャと音をたてるだけで開かなかった。


まだ鍵がかかっているみたいだ。


 ドンドンと扉を叩く。


「誰かいませんかー!! 閉じ込められているんです!! 助けて!!」


 ドンドンとまた扉を叩く。


声は木の爆ぜる音と混じって外に聞こえているのかどうかも分からない。


 ドンドンとまた扉を叩いた。


「熱っ」


 何度も扉を触っていると、手が赤くなっていた。


この扉も熱されて熱くなってるんだ!


あたしは咄嗟に扉から離れる。


「ごほっ。ごほっ」


どこかから煙が入ってきているのか、それともこの倉庫のどこかが燃えているのか部屋の中が煙で覆われて視界が悪くなっていた。


「誰か、助けて」


よたよたと倉庫の奥に歩いていく。そうだ。


時計塔。ここから時計塔に登れるってお兄ちゃんが言ってた!


 あたしはふらつく足を引きずって倉庫のさらに奥に進む。


この頃には壁のあちこちから火の手が上がっていた。


古かった木の柱が燃えてあたしの前に倒れこんでくる。


「きゃっ」


 咄嗟に後ろに避けて尻もちをつく。


「げほげほげほげほ」


 喉の奥が焼けるように熱い。咳も止まらなくなってきた。


「助けてお兄ちゃん」


 倒れた柱を避けるように迂回する。


「助けてお父さん」


 柱の向こう側はすでに火の海だった。


「助けてお母さん」


 壁沿いに火を避けるように進む。


「助けて、洋子お姉ちゃん」


 時計塔に登るための梯子がある部屋の扉が見えた。

その目の前に倒れた柱が見える。とても避けられそうなスペースはない。


「助けてください! あたし。まだ死にたくない!」


 突然、違う方向の柱が倒れて、目の前に倒れていた柱の上に倒れた。


その衝撃で倒れていた柱が大きく横に移動する。


子ども一人ぐらいなら通れそうなスペースが出来上がった。


 あたしは、そのスペースに飛び込んで火の海の中を駆け抜けた。


後ろでごうごうと火が何かを燃やしている音を聞きながら必死で駆け抜けた。


 どんっ。と何か、壁のようなものにぶつかった。


目の前を見ると、時計塔とプレートの掛けられた扉があった。


「やった! 辿り着いた! 良かった!!」


 あたしは無我夢中で扉のノブを回して扉を開こうとした。


ガチャガチャ。


 さっき、体育倉庫の扉で聞いた音と似たような音があたしの耳に響いた。


「なんで!!」


 ガチャガチャとノブを回す。思いっきり引っ張って見ても扉がガタガタと揺れるだけだった。






「…鍵がかかってる…」


 あたしはその場に座り込むしかなかった。


立ちあがる気力がもうなかった。真っ赤な炎が目の前で暴れている。


喉が焼けるように熱い。


「ごほごほごほっ」


 息をしようとすると煙を吸い込んで咳き込んでしまう。


咳き込むとまた咳を吸いこんでむせる。咳が止まらないよ…。


 意識が朦朧としてくる。なんでこんなに苦しいんだろう。


あたし何か悪い事したかな?


ああ、お兄ちゃんの邪魔をしてたかな? 


あたしは、洋子お姉ちゃんがお兄ちゃんの事をお父さんの名前で呼ぶのが好きじゃなかったから。


あの二人が仲よくしているのを見ていたくなかったんだ。


 だって、お兄ちゃん、お父さんの名前で呼ばれるたびに、この世の終わりのような表情をするんだもん。


表情って言っても、あんまり顔に出すタイプじゃなかったけど、あたしには分かった。


だって、あたしが鏡の前に立っている時の顔にそっくりなんだもん。


 本当にあたし達って兄妹だよね。


たとえ血がつながっていなくても。


「げほっ」


 さっきまでと明らかに音の違う咳が出た。


もう、喉の痛みもよく分からなくなってきた。


ああ、なんであたしはここにいるんだっけ? 洋子お姉ちゃんに閉じ込められんだっけ?


 なんでお姉ちゃんは鍵を持っていたんだろう? 


ここの南京錠はお兄ちゃんが持っているはずなのに…もう、よく分かんないや。


 …ううん。考えたくないだけなのかな。


お兄ちゃんはあたしの事いらなくなったのかもしれない。


お兄ちゃんがあたしをここに閉じ込めるように仕向けて、火をつけたのかな? あたしが邪魔だから。


洋子お姉ちゃんとの仲を邪魔するあたしがいらなくなったから。


お兄ちゃんは洋子お姉ちゃんの事好きなんだもんね。


見てれば分かるよ。


でもね。お兄ちゃんは気が付いているのかな。


その気持ちがどこから来てるのかに。


「げほげほげほげげほげほげほげほげほげほげほげほげほげほげほげほげほげほげほげほっ」


 意識が遠くなってきた、自分の体がどうなっているのか、もう分からない。


分からないよ。


あたし、ここで死ぬのかな。


死んじゃうのかな? 


死にたくない。


死にたくないよ。


でも。でも。


もし、これがお兄ちゃんが望んだ事ならここで死んでもいいかもしれない。


お兄ちゃんの為なら、そう思えば、少し、ほんの少しだけ耐えられる。


 喉がヒューヒューと音を立てる。



自分が息をできているのかどうかも分からない


最後の。


最後なんて嫌だけど。


もし、ここがあたしの最後なら。誰かあたしのお願いを聞いてください。


 あたしを助けてくれなかった。誰か。


お願いですから。


お兄ちゃんだけは幸せに。お兄ちゃんだけは幸せにしてあげてください。


 ヒューヒューと音が聞こえる。








ああ、死にたくないよ…。

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