開けてください!

「ふ~、食った食った」

 夕飯を食べ終え、コップに注がれた牛乳を飲み干し一息つく。

 図書館で唐澤と話した後、気付けば十五時近い時刻になっており、俺達はそこで別れた。結局相澤の地図の数字は分からず終いで、暑さから再び調べる気力も沸かず俺は帰宅した。

 現在の時刻は十九時前で、いつものバラエティ番組を見ようとテレビの電源を入れた。ソファーに腰かけるが、何かが足りない。

「あれ、レイ?」

 普段なら番組を見るときは横にレイが座って一緒に見ているのだが、そのレイの姿が見えない。

「お~い、レイ。番組始まるぞ」

 声をかけるが無反応だった。

「レイ~?」

 俺はレイを探し始めた。ソファーの下。ベッドの下。冷蔵庫の中に、キッチンの引き出し。ゴミ箱まで引っくり返すが見つからない。

「どこいった、あいつ」

 あちこち探し回り、トイレのドアを開けるとそこにレイがいた。便座に腰掛け、足を組み、顎に手を当て、「考える人」ならぬ「考えるレイ」がそこにいた。

「何してんの、お前?」

 声をかけると、レイはゆっくり顔を上げ俺を一瞥したが、また思考に戻ってしまった。俺は一度その場を離れ、コルクボードに貼ってあったひらがな表記を持ってきてレイの前に指し出す。するとレイが語り出した。

『ちょっと考え事』

「見りゃわかる。ただなんでトイレ?」

『一人になって集中したかったからよ』

 その気持ちは大いに理解できた。トイレのように狭い空間に留まるとなぜか考え事に集中できる。俺もたまに用を済ませた後でもレイのようにあれこれ考えることがある。

「んで、その内容は?」

『事件のこと』

 やっぱり......。ロダンが製作した考える人は地獄について考えているらしいが、目の前の考えるレイは事件のことを考えていた。

「何か分かったのか?」

 そう尋ねるが、レイは首を横に振った。

「数字のことか?」

 レイは無言で頷いた。

「やっぱり、あの数字は関係ないんじゃないのか?」

『......』

「きっと相澤さんだけの分かる何かだよ。俺達が考えたところで意味は知れない」

『......』

 そう言うが、レイはいまだに黙ったままでイエスともノーとも答えない。

「事件のことは一度置いとけ。お前の好きな番組始まるぞ」

 するとレイがこう言い出した。

『たしかに、調べても意味は知れなかった』

「ああ、だから――」

『だから、行くわよ』

「行く? どこへ?」

『......神社よ。白之蛇神社』

 白之蛇神社。つまり、相澤が殺された現場に行こうとレイは言っている。しかも明日。

「待て待て、本気か?」

『本気も本気、大真面目よ。資料で見つからないなら、現場でなら意味が分かるかもしれない』

 レイは真剣な表情で俺を見つめてくる。どうやら彼女はかなり事件にのめり込んでいるようだ。現場百篇とも聞くが、本当に行って何か分かるのだろうか。それに、それ以前の問題がある。

「いや、無理じゃないか? 事件が起きた場合、普通そこには踏み込めないだろ」

 事件現場には黄色い規制線が張られたりして、一般人は中には入れないはずだ。

『バレなきゃいいのよ』

「いや~、バレるだろ」

 漫画なんかでは警察の目を盗み現場に踏み込むなんてよくあるが、現実にはそんな簡単に事が運ぶわけがない。

「やっぱ止めない?」

『止めない』

 レイの目は固い決意の眼差しをしていた。経験上、これはもうてこでも動かない。俺が折れるしかなかった。

「......分かった。行くことは行ってやる。でも、もし神社に近付けなかったら引き返すからな。それは約束だぞ」

 いくら事件の調査と言っても、一般人である以上警察に見つかったら連行される。さすがにそれだけは避けたい。

『......分かったわよ』

 渋々ながらレイも認めて約束してくれた。

「じゃあ、明日な。ほら、早く出てこいよ。テレビもう始まるぜ」

『うん。でも、その前に一つ......』

 その前に一つ?

 まだ何かあるのか、とそう思った次の瞬間、顔面にトイレットペーパーがぶつかってきた。

「ぶひっ!」

 俺は床に倒れ込む。柔らかい物なのでダメージは少ないが、その分顔にめり込んでくるので変な声が出てしまった。

「いきなり何すんだよ!」

 レイは仁王立ちし俺を見下ろしている。そして、ひらがな表記を浮かせながら指差していった。

『悟史、ここトイレよ』

「そうだな。少なくとも漫画喫茶には見えない」

『そして、トイレには私がいた』

「いたな」

『だったら分かるよね?』

「?」

 レイの言いたいことがよく分からない。首を傾げると、レイの身体がプルプルと震えだし、次いでこう言い出した。

『女性がトイレにいたのに何堂々と開けてんのよ!』

「いや、お前を探して――」

『だったらノックをするくらいのことはしてよ! いくらなんでもデリカシーなさすぎ!』

 レイは酷く怒っているが、俺は一つ疑問に思う。

「あれ? お前用を足すのか? そんなこと聞いたこ――イテテテッ!」

 するとまたレイがトイレットペーパーを飛ばしてきた。

「お、おい、こらやめろ」

『女性にそんなことを聞くな!』

 はーはー、とレイは息を荒げ怒りと恥ずかしさからか軽く顔が赤らめている。

『全く信じられない。もしホントにしてたらと思うと......! あ~、もう! ちょっと落ち着きたいからまた籠るわ。次は勝手に開けないでよね、分かった!?』

 バン! と勢いよくドアが閉まり、俺の前にヒラヒラとひらがな表記が落ちてきた。

「なんだよ、あいつ......」

 俺は立ち上がり、ひらがな表記を元に戻してからソファーに腰かける。

 レイがトイレを使用したことなど一度としてない。いや、俺が知らないだけでずっと使っていたのか? などと考えるが、どうでもよくなり以後気を付けることは頭の隅に入れておく。

 再びレイはトイレに籠ったが、そこは一つ訂正したい。たしかに気持ちを落ち着かせたり考え事に集中するには、トイレは最適な場所かもしれない。しかし、トイレは本来そのための用途はではない。元々の用途は......。

 グゥゥゥゥゥゥゥ。 

 急に腹が鳴り始めた。しかし、疑問に思う。夕飯は今しがた食べ終えたばかりであり、空腹であるはずがない。

「ん? 何で腹が鳴――」

 グゥゥゥゥ......ギュルルルキュルキュル......。

 お腹の音が変わり始め、次第に痛みも伴い脂汗が噴き出してくる。

「あ、あれ? こ、これは、まさか......!」

 俺は腹部を両手で押さえながら痛みに堪える。

「ちょっと待て。夕飯は調理済みのおかずだぞ......」

 火が十分に通っていないといった自分の調理ミスなら分かるが、今日は帰宅前に寄ったスーパーの閉店前値引きされた唐揚げや惣菜を買い、先程それを食べたのだ。

 まさか、傷んでいたのか?

 テーブルのおかずのトレーを眺めていたが、ふと隣の牛乳パックが目に入った。賞味期限の数字を確認してみると、そこには「8月7日」と印字されていた。

「い、......!」

 原因が分かれば些細なことだった。自分の不注意で、ただ傷んだ牛乳を飲んで腹を下していた。

「や、やばい。ト、トイレ!」

 俺はふらつきながらトイレに向かい、ノックをした。

「レ、レイさん。ちょっと変わってくれませんか? もしもし?」

 痛みと暴発に耐えながら俺は必死に懇願する。しかし、レイの返事は絶望を与えた。

 ガチャ。

「ガ、ガチャ?」

 何の音だろうか? 

 まさかとは思いながら恐る恐るドアノブに手をかける。しかし、

 あいつ、鍵かけやがった!?

 俺は顔面蒼白になり、この瞬間から破滅へのカウントダウンが始まった。

「ちょっと待て! お前これ冗談で終われないぞ、早く変われ!」

 ドンドンとドアを叩くが、レイは全くの無反応を返してきた。それがさらに俺を焦らせる。

「いや、マジやばいんだって。ちょっとでいいから変わってくれ。トイレを本来の用途に使用させてくれ!」

 必死の懇願も、レイはドアを開けてくれない。刻一刻と時間が流れるが、一秒が過ぎれば過ぎるほど俺の腹は暴発しようと暴れまわる。

「頼むから出てきてくれ。ホントやばいって。これ以上はあぁぁぁマジやばいやばい! ボンバーする、ボンバーする!」

 そして、ようやくレイが迷惑そうな表情で顔を出したが、俺は無視して押し退け便座に駆け込んだ。

「うおぉぉぉぉぉぉぉ!」

 漫画などで、強敵に立ち向かう主人公さながら雄叫びを上げた。

 破滅はなんとか回避でき、無事ハッピーエンドを迎えることが出来た。

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