現実は奇なり

「うう、俺のシャルロット......」

 先程のショックがまだ抜けず、暑く眩しい日の光を浴びながら俺は図書館へととぼとぼ歩いていた。

 図書館へと向かっているのは勉強するためではない。俺はそんな知的な人間ではなく、知識が欲しいわけでもない。学校の教科書などまともに読んだことは一度もなく、はっきり言って本とは無縁の人生を送ってきた。ではなぜそんな俺が図書館へ向かっているのか。

 それは彼女、レイの事件を調べるためだ。事件について調べるためパソコンや新聞がある図書館へ足を運び、不得手ながら情報収集をしている。毎日行くわけではないが、かれこれ半年はずっと続けているので、かなりの回数を行っている。

 荷物が届いたあとに出発するというレイとの約束のため向かっていたが、この行為が失敗であることに俺は気付く。

「ってか、あっち~」

 顎から汗が滴り落ちる。拭ってもまた新しい汗が流れ、止まることなく溢れ出してくる。

 今日は清々しいほどの快晴だった。雲一つない空を太陽が完全に支配している。そのおかげで歩いて間もないが既に背中は濡れ、太陽にジリジリと肌を焼かれていた。

 時刻は昼前。一日で一番気温が高くなる時間帯だった。

「ちくしょう~。明日にすりゃよかった」

 ゴミ箱にシャルロットが入ったことにレイは大笑い。そして、充分笑ったあと彼女は『さぁ出掛けるわよ!』というように急き立ててきた。その様子に腹が立ち、出掛けるのを中止しようとも考えたが、だいぶ前からの約束のため無視もできなかった。それはレイの気持ちも痛いほど分かる点も含め、約束したというだけでなく、俺自身も早く調べたかったからだ。

 これまで俺達は調査をしてきたが、全くと言っていいほど進展がなかった。犯人の正体はおろか、彼女がどこで殺され、どこから来たのかすら分からない。記憶を無くしたレイだが、すべてということではなく、唯一覚えていたことがあった。それは犯人が男であることと、銀色の何かを身に付けていたこと。だがその二点だけであり、調査は難航していた。

 しかし、俺達は偶然と言える状況下で求めていた情報を手に入れることができた。一ヶ月前に参加したミステリーイベント。そこで殺人事件に逢い、犯人探しをしているときにある記事を見つけた。それはレイが殺された事件の記事だった。

 記事によると、レイは連続女子殺人事件の被害者の一人で、本名は速水紗栄子。三番目の犠牲者だった。顔写真が載っており、一目でレイだと分かった。その事件の犯人はまだ捕まっておらず、いまだに逃走しており、さらには背丈や顔といったどんな人物なのかも分からないという。事件に至ってはほとんど進展していなかった。

 だが、俺とレイにとっては大きな進展だった。レイの本名が知れ、どんな事件だったかも知れたことでこの先の調査の的を絞ることができたのだ。手当たり次第調べていた前に比べれば天と地ほどの差があった。

 今日もこの事件について何か情報がないか、また新たに被害者が出ていないか、犯人の行動範囲などを調べるつもりだ。

 また手掛かりが見つかるかもしれない。そう思うと自然と足取りも早くなるが、今の俺はそれだけではなかった。

「は、早くクーラーの効いた所へ......!」

 今もなお容赦なく照りつけてくる太陽を恨みながら、早歩きで俺は足を進める。調査に行く日々の中で、今日ほど早く図書館に行きたいと思ったのは初めてだった。



 図書館に着き、自動ドアを潜ると冷えた空気が出迎えてくれた。この灼熱と言える外界から辿り着いた者にとって極上のおもてなしであり、俺はそれを身体全体で受け入れる。

「あ~、気持ちいい~」

 しばらく浸って身体を充分養ってから空いている席を取り、俺は調査を開始した。

 今日も前回に続き新聞やネットでの情報集めをするつもりだ。事件のあった場所を記した地図を見ながら、他に何か関係ありそうな事件はなかったか、被害者たちの繋がりはないのか、など分かる範囲で調べていく。

 俺は警察ではない。調べるといったって一般人であり、そういったことに素人の俺が手に入る情報はたかがしれているだろうが、前に進んでいることに変わりはない。足一歩分だろうが、その分真相に近付いていることはたしかだ。レイに早く真相を知らせたいという思いもあり、俺は今日も出来る限りのことを尽くした。

 


 カラ~ン、カラ~ン。

 図書館に鈴の音が鳴り響き、俺は作業の手を止めた。腕時計を見ると時刻は十六時を指しており、閉館一時間前だ。およそ四時間近く調べていたことになる。

「今日はこれくらいにするか?」

 一度伸びをしてから隣のレイにさりげなく、周りの人に気付かれないように聞いてみた。すると彼女は首を縦に振り、終わりを告げる合図をする。

「んじゃ、片付けるか」

 机の上に集めた新聞や情報紙を元の位置に戻そうと立ち上がる。

「こいつから戻すか」

 手にした情報紙を先に戻そうと元あった棚へ移動する。

 この図書館は市民図書館でありながら意外にも多くの蔵書量を誇っていた。メジャーからマイナー、子供向けから大人向け、マニアックな本まで取り寄せ、連日多数の利用客で溢れかえっていた。クーラーの効いた建物で休息ができる、そういった理由から利用する者もいるだろうが、暇潰しができなくては来ないだろう。だがこれだけの本の量。飽きが来ることはない。

 目的の棚に辿り着いたとき、反対の棚で一人の女性が踏み台に乗り、本を棚から引き出そうとしていた。しかし、背が低いせいかなかなか届きそうもなく、四苦八苦している。

 あれ? あの人......。

 俺はその女性をよく見てみた。

 ショートヘアーに丸みを帯びた小さな顔。俗に童顔と言われる顔立ちに小さな背。間違いない、ここの常連さんだ。

 時間が空けばレイに急き立てられ、俺自身もこの図書館にはよく足を運ぶようになっている。多ければ週に三、四回は来るぐらいだ。それだけ来ていれば同じ顔ぶれを見ることもあり、彼女はその内の一人だった。

 見た目はほとんど高校生ぐらいだが、以前駐車場に向かう姿を見かけたので、恐らくは二十歳前後ではないかと思われる。

 何か、危なそうだな......。

 彼女は踏み台に乗った状態でも届かず、つま先立ちで目当ての本を取ろうとしていた。左手には既に数冊抱えており、右手を目一杯伸ばしている。そのせいで身体が前後左右に揺れ、今にもバランスを崩して落ちそうだった。

 そしてそれは的中した。身体が後ろへと傾くとバランスを崩し、そのまま倒れ始めた。

「あぶない!」

 俺はすぐさま彼女を受け止めるために走った。

 片手で肩に手をかけ、もう片方の手で腰に手をやり、彼女を優しく受け止めながら身を守る。そして助けられた彼女は頬を染めながら俺に見惚れ、二人の恋の物語が始まる――。

 そんな少女漫画的な妄想が一瞬の間に浮かんだ自分の頭の回転力に驚いたが、実際はそんなことが起こるはずがない。

 彼女の背中に回り込み、受け止めたまではよかった。背の低い見た目から体重は軽いだろうが、彼女は本を抱えておりその分割り増ししている。さらに受け止めた俺は足を滑らし、踏ん張りが利かず彼女の頭が俺の鼻に当たり、そのまま二人後ろへと倒れていく。

 狭い通路のため、床に倒れることはなかったが反対の本棚に背中をぶつけた。しかし勢いよくぶつかったためダメージは強く、一瞬息が止まる。

「いてててっ」

 さらに俺への攻撃は続き、ぶつかった拍子に本棚から本が雪崩落ち、頭へ次々と降り注いだ。

「あががががが!」

 よく分からない悲鳴のような声が俺の口から吐き出された。そして雪崩は治まり、二人は恋に――いくわけがない。どうやったって無理がある。颯爽と助ける少女漫画の男は、ずば抜けた運動神経を持っているに違いない。

 理想は所詮理想。どう頑張ったって危険が迫っている中あんなカッコイイ助け方ができるわけがなかった。

 レイが俺の傍に寄り、心配そうな顔を向けている。

 大丈夫だ。大したことない。

 そう目で合図するとホッと息をつく仕草をするレイ。身体のあちこちに軽い痛みがあるがそれだけだ。唯一痛みが強いのは鼻ぐらいだろう。

 だが、それよりも彼女の方が気になった。

「あの、大丈夫ですか?」

「い、たたたた」

 痛みに耐えるような声を出す女性。どこかぶつけたのだろうか。助けに入っておいて情けなくも思いながら、もう一度声をかけた。

「大丈夫ですか? どこか痛い――」

 ムニュ。

 ん? 何だ?

 左手に何か柔らかい感触が伝わってきた。

「えっ?」

 彼女も驚いた声を出した。

 俺は左手の先にあるものを見てみた。

 えっ? えっ? あれぇぇぇぇぇぇ!?

 俺の左手はガッチリと彼女の胸を掴んでいた。

 何でだよ! 何でこっちの展開は起きるんだよ!?

 ハプニングで女の子の胸を触ることも漫画では定番と言えば定番だが、実際に起きるはずがない事象だった。さっきまでは......。

 先程まで心配顔をしていたレイが、今度は俺の様子を見ると髪を逆立て怒りの形相で睨め付けていた。

 いや、待て待て! どう見ても不本意だから! 事故だから!

 すぐ手を離せばよかったのだが、気が動転してそのことが全く頭に浮かばなかった。そしてそれが更なる悲劇を生んだ。

「い――」

「えっ?」

「いやぁぁぁぁ!」

「ぶっ!」

 彼女は振り向きながら俺にビンタを噛ましてきた。

 当然と言えば当然なのだが、振り向くことで遠心力が加わり、凄まじい威力のビンタを受け俺は吹き飛ばされた。

 床に倒れて痛みに苦しんでいるとレイが目の前で仁王立ちしており、右手を振り下ろした。

「んが!」

 頭に厚さ十センチ程の本が直撃し、それは星空図鑑だった。

 俺、間違ったことしただろうか......。

 床に顔を埋め、哀しさから俺は一滴の涙を流した。

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