浮かれるな!
「ほんっとにすいませんでした!」
女性が深々と頭を下げて俺に謝った。
最初は戸惑っていたが少しずつ冷静になり、自分の状況に気付いたようだ。
「いや、誤解が解けたならいいです」
軽く手を振り気にしていないように振る舞うが、内心はかなり焦っていた。もしあのまま誤解されていたら俺は痴漢と間違われていただろう。
「助けていただいたのに、いきなり殴るなんて失礼なことを」
「いやいや、本当にいいんです。殴られても仕方ないですから。その~、あなたの胸に、手が......」
「......!」
女性の顔がみるみる赤くなる。助けてくれた人を殴ってしまった事への申し訳なさと、自分の身体を触られた事への恥ずかしさから耳まで赤くなっていた。
なんとも言えない雰囲気が俺達を包みこむ。その空気に耐えられず俺は声をかけた。
「え~と、怪我はありませんか?」
「は、はい。あっ、お礼がまだでした。助けていただいてありがとうございます」
「いえ、そんな大袈裟な」
女性はまた深々と頭を下げた。さすがにここまでの態度を取られると俺も落ち着かない。
「あの、本を戻しませんか?」
「あっ、はい。すいません」
慌てて本を拾おうとしゃがむ女性につられ、俺もなぜか焦って拾おうとする。手を伸ばすと彼女も同じ本に手を伸ばし、お互いの手が触れた。
「あっ」
「あっ!」
二人してサッと手を引っ込め、また気まずい雰囲気が漂った。モジモジする女性を見ていて俺も何だか恥ずかしくなり、顔に熱が集まるのを感じる。
もう、さっきから何なんだよ......。
行動をしようにもタイミングが掴めず、どうしようか迷っていると頭に衝撃が走った。
「いてっ!」
ドサッと床に一冊の本が落ち、それが俺の頭に当たったのだと分かった。
しかし、ぶつかってもいないのになぜ本が落ちてきたのだろうか。不思議に思い振り向くとレイが腕を組んで仁王立ちしていた。髪が逆立ち、顔は笑っているが明らかに内心は怒っている。まるで『何やってんの?』と言っているようだ。
ごめんなさい、すぐ片付けます!
誤解が解けたんだからもう怒らなくてもいいじゃないかと思ったが、レイの怒りのオーラに恐怖し俺はすぐに本をかき集め始めた。
せっせと本を片付けて帰ろうとしたが、女性が先程のお詫びをしたいと言ってきた。そこまでしてもらう必要はないと言ったのだが、彼女はそれでは気が済まないと一歩も引かなかった。結局俺が折れることになり、近くの自販機で飲み物をご馳走になることになった。
「あの、改めてありがとうございました」
「いや、もういいですよ。終わったことですから」
すぐ傍のベンチに二人で腰掛けたが、女性はまた頭を下げてきた。このままだといつまでも謝れ続けられそうだったので、俺は話題を変えた。
「この図書館にはよく来られるんですか?」
「ええ、だいたい週に二、三回程」
「心霊とかUFOに興味が?」
女性は図書館から数冊の本を借りてきており、手元にある本のタイトルが幽霊や未確認生物といったものだった。
「はい。昔からこういった怪奇みたいな話が好きで、自分で調べるのが趣味みたいになったんです」
「珍しいですね。女性がこういったのに興味を持つなんて」
「そうですね。私の周りには同じ趣味の人はいませんし、好奇な目で見られたりします」
女性なら怖がりそうなものだが、彼女にとっては娯楽になっているのだろう。
「あなたは--そういえば、まだお名前を伺ってませんでしたね」
「そうでしたね。俺は森繁って言います」
「唐澤由美子です。よろしくお願いします」
唐澤由美子。二十四才。携帯ショップの店員をしているそうだ。パッチリとした一重瞼に小さな鼻と口、童顔ということもあり綺麗というよりは可愛い印象を受けた。愛想もよく、ショップ店員として人気が高そうだ。
「森繁さんは幽霊とかに興味はないですか?」
「幽霊ですか? あ~、そうですね~」
唐澤の質問に俺は返答に困ってしまう。
興味もなにも俺は今幽霊であるレイと共に過ごしている。片時も離れず、毎日一緒にいる。興味云々というより日常と化しているのだ。だがそのまま伝えるわけにもいかず、曖昧に返事をする。
「まあ、それなりには」
「ホントですか!?」
唐澤が嬉しそうな声をあげた。俺を見る目が何だか輝いているように見える。
「私の周りには全然興味ない人達だらけですから嬉しいです! 私、幽霊についていろいろ調べているんです。もちろん、妖怪とか未確認生物も調べていますが、特に最近は幽霊のことに力を入れているんです!」
「へ、へ~。そうなんですか」
「はい! 心霊スポットや怪奇現象の出るところをネットで知り合った人達と巡ってみたり、写真を撮って幽霊が写っていないかとか調査してるんですけどなかなか成果が出てなくて」
唐沢は話に熱が入り、その勢いに少し圧されてしまう。
「でも、実はこの前この地域にも噂される心霊スポットがあることを知ったんです。それも、かなり有力な場所なんです。森繁さん、怨霊神社って知ってますか?」
「怨霊神社?」
聞いたことがない。随分物騒な名前の神社だなと思った。
「S市の北側に林があるんですけど、その奥にある神社のことです。いろんな噂が広まっているんですよ」
「例えばどんなのですか?」
「その名の通り怨霊が集まる神社だとか、生きたままでは辿り着けない場所だとかです。でも、一番有名なのは神様の怨霊説ですね」
「神様?」
「なんでも、その神社は神様を祀っていたらしいんですが、参拝者がいなくなって神が怒り怨霊になった、という説です。そして、神社に近付いた人間に裁きを下すとか」
「神が怨霊になるんですか?」
なんかいまいちピンとこない。あまり信じられない内容だ。
「最初は私も信じられませんでしたが、天使から堕ちた堕天使という存在が生まれているわけですから、神が怨霊になったとしても不思議はないと思います」
善の者が悪に染まる。そんな話はいくらでも聞いたことがあるが、神も例外ではないのかもしれない。
「それで、裁きというのどんな?」
神が怨霊になったとか言うが、それは噂でしかなく本当かどうかは分からない。どうせ近くの物が倒れたとか体調が崩れたとかで、面白半分に誇張して話題作りをしていると思ったが、唐澤の口から予想外の言葉が出てきた。
「殺すみたいです」
「えっ?」
俺は目を見張った。
「その神社に近付いた人は怨霊となった神に殺されるみたいです。既に数人の方が亡くなったとか」
殺す。殺人。
一ヶ月前に殺人事件に巻き込まれた事もあり、その単語には過敏に反応してしまう。ひきずることはないが、忘れたわけではない。気持ちが完全に切り替えられるにはまだまだ時間がかかる。
「あの、森繁さん?」
「えっ? ああ、すいません。ちょっとビックリして」
「ですよね! 神が人を殺すなんて聞いたことありませんし、なんか神秘的じゃないですか?」
どうやら唐澤は俺とは違い、殺すということにさほど恐怖は抱いていないようだ。彼女にとっては恐怖より好奇心が勝っているようで、俺は少し複雑な気持ちになる。
「そうだ、森繁さん。今度の土曜日時間ありますか?」
「土曜日?」
急に話題が変わり少し戸惑うが、予定を思い出す。
「特に何もありませんが」
「よかった! 実は土曜日にネットの仲間とその怨霊神社に肝試しに行こうという話になっているんですが、森繁さんも参加しませんか?」
手を叩いて唐澤が嬉しそうに誘ってきた。話を聞くとメンバーは唐澤の入れて五人で、実際に実物を見てみないかということらしい。
「いや、でも危なくないですか? 数人亡くなっているんですよね?」
「でも、それも信憑性が低いんですよ。人が亡くなった割りには事件として取り扱われていないみたいですし、警察も動いていないとか」
本当に神の仕業なら警察の手に負えないような気もするが、人が亡くなっていながら誰も動いていないとなると噂はガセのように思った。
「だから、本当かどうか確かめに行こうって。どうですか?」
上目遣いで聞いてくる唐澤。
ぐっ! か、可愛い!
少し瞳を潤わせながら見るその表情はまるで子猫のようだった。こんな顔でお願いされたらどんな男も断れないだろう。当然、俺も拒否の言葉が出せなかった。
「い、いいですよ」
「わぁ! ありがとうございます!」
満面の笑みで喜ぶ唐澤。それから連絡先を交換し、後日また連絡すると約束してお開きとなった。
「それじゃあ、土曜日楽しみにしています」
そう言って離れていく唐澤の背中を見ていると、彼女は本当に嬉しいのか足取りが軽くスキップのような歩き方をして姿を消した。
「いや~、まさかな」
幽霊と一緒に生活している俺が肝試しに行くことになるとは思わなかった。それに、レイは害がないから問題ないが、その神社は危険な感じがする。
「でも、女の子と肝試しってテンション上がるよな~」
しかし、俺の中では唐澤は好みの範疇に入っており、そんな異性から誘われて嬉しくないわけがない。嬉しさに惚け、気分は最高潮に達していた。
バッシャー!
すると突然頭に水が落ちてきて、身体全体が濡れた。次いでカラカラと足元を一つのバケツが転がる。
「......」
「兄ちゃん。いくら暑いからってバケツで水を被ることはないんじゃないかい?」
清掃員のお爺さんががっはっは、と笑いながら目の前を横切った。高まっていた気分が水と共に一気に洗い流される。犯人が誰かも瞬時に分かった。
振り向くとレイが『ざまあみろ!』みたいな表情で俺を見たあと、姿を消した。
レイは害がないと言ったが完全撤回。
あいつは鬼だ! 悪魔だ! 疫病神だ!
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