神の噂
シャルロット
まだだ......。
俺は自分にそう言い聞かせる。
まだ早い......。
今にも動き出そうとしている身体を押さえつける。
落ち着け、合図があるまでは......。
そう。その時は必ず訪れる。こちらから向かわなくてもむこうから来る。焦る必要はない。
そして、その時は訪れた。
ピンポーン。
「来た!」
俺はダッシュで玄関へと向かった。
「どうも。お荷物をお届けに来ました」
「はい!」
「ここにサインを」
俺は速攻でサインし、荷物を受け取った。
ありがとうございます、と宅配の男性がドアを閉めてから俺は屈む。
「......た......」
溜めに溜めて――。
「来たー!」
俺は高々とその荷物を掲げた。
「会いたかったよー!」
受け取った荷物に抱きつき、頬擦りまでする。
「やっと来たぜ! この日をどんなに待ちわびたか!」
荷物をテーブルに置き、包装紙を乱暴に破り捨てる。そこには箱が現れたが、クッキーが入っているような紙で出来た安物の箱ではない。発泡スチロールのような保冷と保護を兼ね備えた箱で、中のものをきっちりガードしている。蓋には中身を教える金のシールが貼られているが、それでも俺は確認のため蓋を開けた。
「おおっ!」
中には肉が入っていた。それも、スーパーとかで売っているようなものではない。綺麗な赤みと脂が輝いており、一般人でも高級と分かるほどのものだった。
「美しい......」
俺はその美しさに見惚れてしまっていた。そして箱から出すと、まるで赤子を扱うようにもう一度高々と挙げた。
「これが噂の近江牛か」
今俺が手にしているのは日本三大和牛の一つ、近江牛のブロック肉だった。
時は三週間前に遡る。
朝、バイトから帰ってきてポストを開けると、いつものように数枚のチラシが入っていたのだが、その中に懸賞のカタログが入っていた。
「何だこれ?」
俺はカタログを取り寄せた記憶はなく、送り先を見てみると名前が違っていた。俺の名前は森繁悟史なのだが、カタログの名前は部屋のお隣さんのものだった。どうやら配達の人が間違えたらしい。
「しょうがねぇ、渡しに行くか」
そのままポストに入れてもよかったが、ちょうど回覧板が回ってきていたのを思いだし、ついでに渡そうと思った。
部屋を訪れお隣さんに回覧板と一緒に渡すが、もう必要ないという。取り寄せた時は何かに応募しようと考えていたが、今は忙しく見ている時間はないそうだ。良かったらあげるよ、と言われ回覧板だけを受け取り部屋に引っ込んでしまった。
「いや、俺も要らないんだけどな」
カタログなんてこれまで見たこともなく、俺にとってはゴミと変わらなかったが、そのまま捨てるわけにもいかず手にしたまま部屋に戻った。
すぐに捨てようとも思ったが、どんな懸賞なのか気になった。一度目を通してから捨てようと思い、封筒の中身を取りだしパラパラとページを捲る。ほとんど食品の懸賞で、時期的にそう麺セットやビールの詰め合わせなどが多かった。
「やっぱこんなもんだよな、懸賞なんて」
しかし、途中気になるページが目に入り、捲る手が止まった。そこには近江牛のブロックの写真が載っていた。
「うわ~、すげ~旨そう」
綺麗な肉の姿を俺はしばらく見ていたが、この肉も懸賞で当たる商品のようで、日付を見ると明後日までだった。当選者は三名まで。
「ものは試しだな。送ってみるか」
一番倍率が高そうな商品が当たるわけがないなと思いながらも、俺は葉書に必要事項を書き記し送った。そして一週間後になんと当選したという封書を受け、届くのは二週間後であると知らされた。
「お、お、近江牛が、あ、あ、当たった......」
その時の驚きと興奮は今でも忘れられなかった。
「いや~送ってみるもんだな。まさか当選するなんて思わないもんな」
肉を手にしたまま俺は踊り始めた。
「こんな高級牛が食べられる日が来るなんて思いもしなかった」
フリーターの自分には永遠に味わえないものだと思っていた。気分はすっかりフィギュアスケーターで、狭い部屋を右に左に舞い始める。
「よし! お前をシャルロットと名付けよう」
もう意味が分からないが、このときの俺はそれほど興奮し気分が高まっていた。
「やっぱ焼きかな? いや、しゃぶしゃぶにするのもいいな~」
どうシャルロットを食べようかあれこれ考えていたが、突然異変が起きた。
シャルロットが宙に浮き出したのだ。
投げたわけではない。俺の手から離れ、重力に逆らい落ちることなく宙に浮いている。
この光景を目にした者なら誰もが驚くだろうが、俺にとっては日常茶飯事だ。
「こら、待て!」
手を伸ばすが逃げるシャルロット。
「ていっ!」
スカ。
「うりゃ!」
スカ。
「このやろう!」
両手で捕まえようとしたがそれでも逃げられ、フヨフヨと宙に浮くシャルロット。
「おい、何すんだよレイ!」
そう言うとシャルロットの辺りで変化が訪れた。
靄もやみたいなものが現れ、最初は十センチ程の薄い蒸気だったが次第に煙ぐらいの濃度になり、さらに上下へと範囲を広げていく。それからも変化は続き、やがてその靄は頭、腕、胴体、脚を形成し、最後には人の形へと変わった。
セミロングの髪にぱっちりした目。小顔でスラッとした体型にワンピースを着た女の子が腰に手を当て、俺に目を向けていた。
「返せよ。その肉は俺のだぞ、レイ」
俺は彼女にそう声をかけた。
彼女の名前は風神レイ。その正体は幽霊だ。俺に憑りついた憑依霊で、一緒に生活(同棲?)している。
憑依霊とは自分の願いを叶えてもらうために人や動物に憑りつくのだが、レイも例外ではない。彼女も俺に叶えて欲しい願いがある。それは自分を殺した犯人を見つけること。
レイは事故や病気で死んだのではなく、殺された女の子だった。しかし、その時の記憶がほとんどなく、いつ、どんな人物に殺されたのか覚えていなかった。そこでレイは俺に憑りつき、自分を殺した犯人を見つけて欲しいと願っている。
ただ幽霊であるレイは物に触れず、しかも彼女は喋れないおかげで資料を漁ることも誰かに問いかけることも出来なかった。
さらには俺と一定の距離を離れられないので、彼女が調査をしたい場合俺が代わりに調査をしなければならず、今日まで何度も行っている。
シャルロットが浮いているのは俗に言うポルターガイスト現象だ。幽霊のレイはこの力があり、これなら自分で新聞などを動かして調査も出来そうだが、勝手に物が浮いたりページが捲れる様を見せられるわけがない。
レイは自分の手の上でシャルロットを浮かせ、『取れるもんなら取ってみなさい』という、ふてぶてしい態度を取っていた。
「お前、その肉の価値を知ってるのか? 早く返せ」
憎らしい笑みで首を横に振るレイ。
「お前にはまだ早い。俺みたいなできる人間に相応しい肉だぞ」
何を言ってんの? というような表情で俺を見るレイ。
「今なら許す。だから早くシャルロットを返せ」
だがレイは、あっかんべーという仕草をして返そうとしない。
「このやろう。調子に乗るなよ!」
俺はシャルロットを取り戻すため再び手を伸ばした。しかしレイは俺の攻めをひらりとかわし、そんな攻防がしばらく続いた。次第に熱が入り、俺の攻撃にも力が入る。
「いい加減に、しろ!」
力強く振り上げた手にシャルロットが当たった。するとシャルロットは弧を描き、奥にあるゴミ箱へと吸い込まれるように入った。
「あー!」
俺は急いでゴミ箱へと駆け寄った。
たしか、昨日バナナの皮や食いかけのお菓子を入れたような......。
恐る恐る取り出したシャルロットにはバナナの粘りやお菓子の汚れがベットリ付いていた。一応密閉されたパックに入っていたので中身は無事だが、それでもショックは大きかった。
「シャ、シャルロットー!」
部屋に俺の悲痛な心の叫びが響き渡った。
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