ちいさなひと 4


 

 小さな子供用の寝具に寝かされた結花の姿は、なんだかすごく、神々しかった。その寝顔を見つめながら、春香さんが小さく息を吐いた。


「最近ずっとこうなの。いやいや期っていうのかな。前はなんでも素直に聞いてくれてたのに。急に反抗的になって、癇癪を起こすようになって」


 人見知りも、どんどんひどくなって。そうこぼす春香さんの横顔は、やっぱり少し、疲れていた。


「ごめんね、こんなの無理だよね。まだ早かったんだ、恋愛なんて」


 そう言いつつ春香さんは結花の小さな掌に、自分の人差し指をあてがった。眠っているはずなのに、結花はしっかりと春香さんの指を握った。真っ赤に泣きはらした顔が嘘みたいに、今の結花の寝顔はすごく可愛い。胸板が穏やかに上下するのを見ていると、なぜかこっちも満ち足りた気分になる。


「佑都君すごく優しいから、つい甘えたくなっちゃったの。でも、やっぱり間違ってた」


「なんで、」


「私には結花がいるから、」


「違うよ、そんなの間違ってるよ」


「え?」


「結花もいるし、俺もいる」


 春香さんの目がぼくの目を見た。心底驚いた顔をしていた。


「ひとりでなんとかするなんて、間違ってるよ。俺も手伝うから」


 息を呑む音が聞こえた。


「一年休学して、結花ちゃんを見てもいいし」


「それはダメ、佑都君にだって将来があるし、それに、この子あんなに無愛想で、まだまだ手もかかるし、一緒だと私なんにもあなたにしてあげられない」


「いいよ、別に」


「そんな、そんな簡単に言わないでよ」


 春香さんの目から涙がこぼれ落ちた。涙はあとからあとからこぼれ落ちて、ひっきりなしの嗚咽が春香さんの言葉を奪った。

 ぼくには深い考えもなかったし、春香さんを助ける手段も皆無に等しかった。それでもなにか力になりたいと思った。春香さんが泣いているのを見るのはこれが初めてだったし、普段穏やかな春香さんが感情を高ぶらせる姿は、今まで抱えてきたものの重さを象徴しているような気がしたから。


 


 しばらくすると、普段の疲れが出たのか、それとも今日はよっぽど気を張っていたのか、結花の隣で春香さんまで寝息を立て始めた。くっつきそうなほどに近くに寄せられた、ふたりの寝顔は驚くほど良く似ていた。筋になった目の角度、薄っすらと開かれた唇の色形。ぼくは傍にあったクッションを春香さんの頭の下にできうる限り慎重に挿し入れた。


 親子は相変わらず手を握り合っていて、やわらかな寝息は徐々にシンクロして響きあう。


 ぼくはそっと、結花の空いている方の掌に、さっき春香さんがしていたように、自分の人差し指をあてがってみた。結花はしっかりとぼくの指を握り返した。小さくてこまやかでやわらかい手は、しっとりと湿り気を帯びている。指を握り返す力が思いの外力強くて、ぼくは子供の生きようとする意志の強さに感心せずにはいられなかった。


 ちいさなひと、その美しいかたち。体中から発散される熱、やわらかな曲線。ちいさな体の奥から、表面から、そこかしこから、生きるという強い欲望だけが感じられるように思った。まだうまく言葉も操れない、感情のコントロールすらままならない。それでも、母親にしがみつく腕の力強さや、握り返してくる掌の圧、真っ直ぐな視線、濁りのない色。そのすべてから生きるエネルギーが周りににじみだしている。


 なんて、なんて美しいんだろう。

 泣いて、泣いて、泣いて怒って、笑って。そして彼女はきっと強い女の子になる。

 ぼくはそれをそっと見守っていたい。


 指先のぬくもりを感じながら、ただそんなふうに思った。


<おわり>


©2016 aze_michi

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