すこし甘い気がした

 オードブル、スープ、パンと運ばれてきて、メインディッシュはとっても良質なチキンのグリル。

 ちょっと省略された洋食のコースみたいな感じ。

 チキンの身にはしっかり脂が乗ってて、でもしつこくなくて、上品に整えられてる。

 皮はぱりぱり。香ばしくって、ナイフで押すと小気味いい音がした。


 さっくんにから、小説を読んだ感想を聴くためと誘われた夕食のレストラン。

 わたしのお腹は大満足していた。

 夕食、とだけ言われて、予定を調整しただけだから、ファミリーレストランとか、定食屋さんとかかなって思っていたのだけど、こんなレストランを用意していたなんて。

 結婚式の二次会なんかにも使えそうな広さと、上品な雰囲気の店内。店員もしっかりしていて、入るときにちらっとみたメニューの価格から考えたら、明らかにお値段以上だ。

 窓から見える夜景も雰囲気を引き立てていて、ちゃんとした「デート」に十分使える。


 ほんとに小説の感想が主目的なのかな? と、わたしはちょっと疑問に思っていた。

 けれど、食事中ずっと落ち着かなさそうにしていたさっくんは、二人がメインディッシュを終えたころに、さっくんにとっての真のメインディッシュであろう、小説の話を切り出した。


「書きなおした小説……ど、どうだった?」


 わたしは口元を拭ってから、心の準備をする。

 きょうもまた、さっくんには厳しいことを言わなきゃいけない。

 小説はすでに受け取って、読んでいた。

 前回指摘した、文章のボリュームが多すぎることについては、大幅な改善が図られていた。文章量は三分の二くらいになっていた。コンテスト応募は諦めたのかもしれない。


「うん、前より読みやすくなってると思う。一文の字数も長すぎなくて、すっきりしてた」

「そ、そっか」


 さっくんはほっとした顔をする。


「うん」


 わたしはそれだけ返事をする。まだ、なんて言ってさっくんに伝えたらいいのか、言葉が組み立てられていない。


「……面白かった?」


 さっくんがそう尋ねたとき、ウェイターがやってきて、テーブルの上のメインディッシュを片付けていく。

 助かった、とわたしは思った。得られた時間でいっしょうけんめい考える。

 ウェイターが去り、テーブルは整った。けれど、まだわたしの頭のなかは整っていない。


「ごめんなさい。最後まではまだ、読んでないの」


 短くそれだけ伝えると、さっくんは「えっ」と、とても悲しそうな顔をした。心が痛む。けれど、最後まで読み進めることができなかったのは本当のこと。

 だから、それがどうしてかをちゃんと伝えなくちゃならない。


 さっくんの小説は、まだ、作者であるさっくんしかちゃんと読むことができない文章で作られている。

 文章のつながり、代名詞がなにを指しているか、必要な説明がなされているか、必要な気持ちや体の動きが過不足なく書かれているか。

 そういういろんなことがちぐはぐなままで、さっくんの頭のなかにあるシーンは、ほかの人が読んでも判るような文章として起こされていない。


 言ってしまえば、単純に「推敲」が足りないんだ。

 ひとは自分の主観から脱出できない。だから、自分が考えていることを書いたり話したりすると、そこには必ず他人の主観とのあいだのずれが生じる。

 小説は、だれが読んでも無理なく、同じ意味にたどり着けるように書かれていることが理想。だから、自分と他人のあいだのギャップを、推敲でていねいに埋める。

 いちばんいいのは、ちょっと時間を置いて読み返してみること。それだけでもずいぶん、人は書いたそのときの主観から遠ざかって文章をみつめることができる。


 けど、それをどう伝えたものか。「読み返して推敲して」と単純に言っていいものか。

 わたしは窓のほうを見て、しばし考えて――もうすこしわかりやすい項目を挙げることにしようと思った。


「読んでいる途中で、気になっちゃって……」

「な、なにが?」

「『指示語』……かな」

「『しじご』……?」

「食後のデザートと、お飲み物をお持ちしました」


 さっくんが首をかしげたとき、ウェイターがチョコレートケーキとコーヒーを運んできた。

 チョコレートケーキはかなり大きくカットされている。わたしのなかの甘味センサーは敏感に反応した。おいしそう。……食べたい。

 素敵な出会いへの感謝の意味を込めて、わたしはウェイターに会釈する。


「あの、指示語って……」


 さっくんの声が耳に入り、わたしは現実に引き戻された。

 心を小説モードに入れなおす。


「指示語。これ、それ、あれ、みたいな言葉。さっくんのお話のなかでときどき出てくるんだけど、どれを指しているのかに迷っちゃって」

「わかりにくい……?」

「うん、ちょっと、ね」


 さっくんの悲痛な顔が辛くて、わたしはさっくんから目をそらしてコーヒーを取った……けれど、すぐに自分に言い聞かせる。まずは最後まで、伝えるべきことを伝えないと。

 さっくんの書いた小説の話をするのは二度目。さっくんも、わたしからなにか指摘されることは覚悟してきたはず。

 じゃあ、わたしだってきちんと向き合わなきゃ。

 カップをソーサーに置いて、わたしは続ける。


「指示語は、必要最低限にしたほうがいいかな。指している言葉に置き換えたほうが、読みやすくなると思う」

「で、でも……それをすると、同じ言葉がなんども出てきて、飽きたり、読みづらくなったりしないのかな?」

「だいじょうぶ。それよりね、指示語がなにを指しているのかがわかりにくいままのほうが、困っちゃうの。さっくんの小説も、一生懸命考えながら読めばわかるの。だけど、指示語がなにを指してるのか考えてるとき、気持ちが物語から離れちゃう」

「う、うーん……」


 さっくんが辛そうな声を出した。

 わたしは言葉を探す。さっくんの小説を読みたくないわけじゃない。

 もっとよくなった文章を読ませてほしい。

 いっしょうけんめい考えて、言葉を口にする。

 わたしにできるかぎりの、優しい声と表情を、心がけて。


「もっと、さっくんの小説に、夢中にさせて?」


 そう伝えたとき、さっくんの表情から緊張が少し和らいだのが見えたので、わたしはそのまま続けることにした。


「同じ言葉がなんども出てきてテンポが悪くなってしまいそうなときは、文章全体を直したほうがいいと思う、かな。すらすら読めるようにやさしくリードしてくれるお話が、わたしは好きだな」

「……がんばってみる」

「うん」


 よかった。わたしは心中でほっと胸をなでおろしていた。

 さっくんは自分のスマートフォンをとりだし、なにやら熱心に画面とにらめっこをはじめた。――きっと、自分の小説を読み返しているんだろう。

 わたしはその情熱を嬉しく思いながら、運ばれてきたチョコレートケーキにいよいよ手を伸ばす。

 わくわくしながらフォークを入れて――ひとくちで脳が幸せを叫ぶ。

 コーヒーの苦味とムースの甘さの絶妙なバランス。メインディッシュの質の高さから想像はできたけど、このチョコレートケーキも絶品だ。ホールでお持ち帰りしたい。

 ケーキはみるみるうちになくなっていく。しあわせだけど、ちょっとさびしい。

 やがて、わたしのお皿は空っぽになった。わたしはさっくんが観ていないのをいいことに、フォークについたクリームもていねいに舐めとる。


「……指示語はゼロにしたほうがいいのかな。難しそうなんだけど」


 さっくんに声をかけられ、わたしは慌てて気持ちを切り替える。

 舌だけは本能に忠実に、唇についたクリームを求めていたけど。


「どうしても使いたいときは、できるだけ直前の言葉だけを指すように、工夫してみて」

「うーん……」


 わたしの指摘に、さっくんはあいまいな返事をする。

 なにか、具体例を示したほうがいいのかな。

 考えて、視線をテーブルに落とす。

 さっくんの目のまえにはまだ手付かずのコーヒーとチョコレートケーキが残っている。

 せっかくだからコーヒーが温かいうちにいっしょに食べたほうがいいのに。さっくんは甘いものがあまり得意ではないのだろうか。

 そこまで想像して、わたしはひとつのことを思いついた。

 さっくんに、指示語の具体例を伝えられる、いい方法。

 それはちょっと、わがままな思いつきだった――けれど、さっくんの小説にもプラスになるかもしれないし、わたしも嬉しい、win-winだよね、という考えが、わたしの背中を押した。


「あのね、さっくん?」


 自分でもびっくりするくらい、ちょっと甘めの声が出た。

 止めるわけにもいかないので、そのまま続ける。

 ほかの人に聴こえてしまうのはちょっと恥ずかしいので、声をひそめて。


「あなたのそれ、欲しいの」

「は……えっ、な……」


 さっくんは想像以上に困惑していた。


「ね? 指示語がなにを指してるかわからないと、集中できなくなっちゃうでしょ?」


 わたしがさっくんのチョコレートケーキを指さしてそう言うと、さっくんはちょっと目を丸くして、黙ったままわたしにチョコレートケーキを差し出した。


「えへへ、ありがと」


 わたしの口元が思わず緩んだ。


「このくらいなら。ぼくの小説の足りないところも実感できたし。でも……読子さんの言うことには、ときどき、ドキッとさせられるなぁ……」


 さっくんがちょっと恥ずかしそうにそう言ったので、わたしはフォークを口に含んだまま、その意味するところを考えて――頬が熱くなる。


 また、やってしまった。

 いっしょうけんめい考えて、言葉を選んで、考え過ぎた結果、口からでる言葉が妙な意味を含んだものになってしまうことがある。

 それで相手になにか期待させてしまったのか、そのあと結果的にいろいろあって、相手に謝ることになったこともあった。

 ……恥ずかしい。

 わたしは口の中のチョコレートケーキを急いで飲み込んで、別の話題を探した。


「そ、その、さっくんの小説なんだけど」

「うん」

「すこし時間を置いてから、読み返してみて。読み返すときに、さっくんじゃない、はじめてさっくんの小説を読む人の気持ちになって読んでみるの。だれでもいい、わたしでもいいよ。そしたら、きっと、いろんなことに気が付けるから」

「なるほど……」さっくんは腕を組んで少し考える。「うん、やってみる」


 それから、さっくんはコーヒーを口に運び、わたしはケーキの続きにとりかかる。

 わたしは話題をそらせたことに安堵しながら、あるひとつのことに気づく。


 ――そういえば、さっくん、今日の夕食、わたしといっしょに食べ終わってたな。


 わたしが待つでも、待たせてしまうでもなく。ちょうどいっしょにお皿が空になって、さっくんから小説の話をされて、ウェイターの人が来て。……わたしに合わせてくれたんだろうか。

 わたしはちらっとさっくんをみた。さっくんはふたたび、真剣な目をして自分の小説と向き合っている。


 ――きっと、根がいいひとなんだろうな。


 わたしはそう考えて、チョコレートケーキをまたひとくち、口にする。

 さっくんからもらったチョコレートケーキは、自分のお皿に乗っていたのとおんなじもののはずなのに、なんだかさっきよりもすこし甘い気がした。

 コーヒーがないからだ。きっとそう。

 わたしは、そう自分に言い聞かせた。

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