さっくんはまっすぐに小説執筆しつづける

kenko_u

きらきらしていた

「あの……よかったら、ぼくの書いた小説、読んでみてくれないかな」


 さっくんから緊張した面持ちでそう頼まれたのが、数日前の出来事だった。

 わたしがそれを快諾すると、さっくんはほっとしたような顔をしていた。

 てっきり、その場で小説を渡されるのかと思っていたけど、せっかくだから集中できるように、ほかの人がこない喫茶店で、とさっくんは言った。

 ――うまいこと、誘われちゃったかな。

 そのときのわたしは、そう思っていた。


 当日、待ち合わせをし、二人で近くの喫茶店に入る。

 落ち着いた雰囲気で、ピアノ演奏のCDが流れている、静かな喫茶店。

 注文したコーヒーが届くと、さっくんはすぐにわたしのスマートフォンに、さっくんの小説のURLを送信した。

 どうやら、小説を読んでほしい、というのは、誘いの口実というだけではないらしい。


「ゆっくり読んでよ」

「そうするね」


 わたしはスマートフォンの画面を見つめる。

 さっくんの小説は十二万字。かなりの大作だった。まともに読むとなると、けっこうな時間がかかるだろう。

 わたしはちらりと、正面にすわるさっくんを見る。

 さっくんは落ち着かないようすで、コーヒーカップを口に運んでいる。

 さっくんは、わたしが読み終わるまでそうしているつもりだろうか――

 わたしは疑問に思ったが、ともかく、その小説を読み進めてみることにした。


 ――そして、すぐに限界を感じた。

 読んだのは、およそ五千文字から一万字のあいだくらいだったと思う。そこまでで、頭が疲れてしまった。

 一文が長い。句読点の位置はそこそこ適切だし、語の使いかたもまちがってはいないが、あまりに長い文章がつらつらと続き、頭のなかの許容量を超えてしまう。呼吸をする場所を与えてもらえない。

 登場する語も多い。吸収すべき情報が多すぎる。かといって、すぐにその情報を使用するわけでもない。世界観の説明としては冗長すぎる。

 きっと、さっくんのなかでは壮大なストーリーができているのだろう。だけど、それはきちんとシーンに分けられていない。材料は揃っているけど、ひっくるめてざっと炒めて盛りつけしないで鍋のまま、はいどうぞと渡される――そんな感じ。


 はじめて書いた文章は、こういうふうになりがちだ。

 日本の国語の授業は、原稿用紙を埋めることを指示はしても、不要な文章を削って、伝えるべき内容を浮きあがらせるような指導はほとんどしない。

 大学のレポートや論文ですら、一定字数に達することが提出の最低条件となっていることがある。量が増えることが、質を増やすことに繋がるという意識がどこかにある。

 まずは、そこから脱却してもらわないと、さっくんの文章は良くならないだろう。


 わたしはスマートフォンをテーブルに置いて、自分のカップを口に運ぶ。

 コーヒーはわたしの疲れた頭を、心地よい香りと苦味で癒してくれた。

 本日のコーヒー、としか書いてなかったけれど、この酸味はキリマンジャロかな。

 わたしはさっくんを見る。さっくんは落ち着かないようすでわたしを見ていて、それが子どもみたいでなんだかほほえましい。

 さて、どうしよう。

 思ったことをそのまま言えば、さっくんは意気消沈してしまうかもしれない。

 けれど、言わないわけにはいかない。

 いまのわたしとさっくんは、読む者と読まれる者の関係なのだから。

 だから、言いかたを選ばなきゃいけない。

 さっくんが傷つきすぎないように。けれど、さっくん自身が、自分の小説の現状をちゃんと認識できるように。


「……えと、続き……どうぞ」


 さっくんからの催促がくる。

 わたしはほんの少し勇気を出して、覚悟する。さっくんを傷つけてしまうかもしれないことの覚悟を。


「うーん、もう、いいかな」

「え」


 さっくんは明らかにがっかりしていた。

 わたしは頭のなかでことばを組み立てる。


「……なんだか、しんどくなっちゃって」

「つ、つまらないかな? もうちょい先まで読めば面白くなるからさ」


 さっくんは食い下がってきた。

 これなら、すこし具体的な話をしても大丈夫かもしれない。


「んと、ちょっと、まっててね?」


 わたしはスマートフォンをとって、さっくんの小説の冒頭の文章をメモ帳アプリに貼りつけると、文章の修正をはじめた。

 長い文章は分けて、必要の薄い語をどんどん削り、おそらくさっくんが説明したいのだろう箇所を浮き上がらせるように意識して整えていく。


「はい」


 わたしがスマートフォンを手渡すと、さっくんは不思議そうにそれを受け取って、表示された文章を読み始める。


「……これ」

「わたしなりに、さっくんの小説の最初の章を簡単に直してみたの。このくらいの文章量のほうが、わたしには読みやすいな」

「ず、ずいぶん減っちゃった……ね」

「うん」わたしはコーヒーを一口飲む。「でも、きっと、さっくんの書きたいことはこれでも伝わると思う」


 きっぱりと、伝えた。

 ほんのすこし、心が痛い。

 さっくんは、わたしが修正したさっくん小説をもういちど見て、それからわたしに言う。


「で、でも、もとのでも伝わるとおもうし、いまのままでも面白さの中心は変わらないし」


 さっくんの表情が辛そうで、わたしはその言葉を遮った。


「要らない言葉や説明は、そのままノイズになっちゃうかもしれないの。たくさんのノイズに埋もれちゃうと、ほんとに伝えたいことはどんどん薄くなっちゃう。大原則として、文字はできるだけ少ないほうがいいと思うの。さっくんが自分で読んで、ここを削っても自分の気持ちは通じるな、っていうところは、きっとぜんぶ削っちゃってもいいところだよ」


 せめて、声色はできるだけやさしく、笑顔をつくって、わたしはそう伝えた。

 そう、字数は少ないほうがいい。意図が通じるなら、字数はできるだけ減らすべきだ。

 さっくんは、そこからスタートしてもらわなきゃ、だめ。

 さっくんは肩をすぼめて――なんだか、一回り小さくなってしまったみたいに見えた。


「でも、このまま全部読んでもおなじ言葉はあるから意味は通じるんだし」さっくんはテーブルに視線を落とす。「それに、一生懸命、書いたし」


 さっくんの声は小さくなっていた。

 さっくんも自分で理解してる。それが、言い訳だって。


「うん、愛着沸いちゃうよね」


 わたしはコーヒーカップを置く。

 ここからが、肝心。

 さっくんの心が折れてしまわないことを願って、わたしは続ける。


「けどね。とっても美味しいコーヒーに、水をじゃぶじゃぶ足しちゃったとして――それを全部飲み干しても、美味しいコーヒーの味にはたどり着けないと思うの。ましてやお客さんにお出しするコーヒーなら、なおさら……ちゃんとした濃さで、出さなきゃだめじゃないかな? 美味しいコーヒーの濃さは人それぞれ違うけどね。さっくんのいまの小説は、わたしにはちょっと薄くて、読むのに疲れちゃった」

「う……」


 さっくんは、泣きそうな目でわたしに言う。

 心が痛んだ。


「で、でも……その、コンテストの出典条件が、十万字以上で……」


 わたしは身を乗り出して、さっくんの泣き言を、ゆっくりと、でもきっぱりと否定する。


「五万字の読みやすい物語を、文章をただ長くして十万字にしてみたとしても、それはやっぱり、五万字ぶんの物語以上のものにはならないよ。ううん、文字がおおい分、もっと悪くなっちゃう。それで、ほんとに濃い十万字の物語と、並べられるかな?」


 そう伝えると、さっくんは小さく低く声を漏らして、コーヒーを口に運んだ。

 さっくんの空いているほうの人差し指は、落ち着かなくテーブルのはしを叩いていた。

 辛そうな表情。当然だと思う。自分の表現を批判されることは、自分自身を批判されるようなものだ。

 多くのひとは、そんなことには慣れていない。



 いままでも、何人かの小説を読んで、同じように、思ったことを伝えたことがある。

 結果――そのうちの何人かは、小説を書くのを辞めてしまった。

 そんなにきつく言わなくたっていいじゃないか。そういうふうにとがめられたことだってあった。

 趣味程度で愉しんでたのに、そんなふうに言われるんなら、もう書くのはやめると言われたこともある。

 そんなつもりじゃなかった。ただ、そのひとの書く、もっといい小説が読みたいだけだった。

 書くのをやめてほしくはない。

 だからわたしは、必死に言葉を選んで、組み立てる。


「ね、さっくんの気持ちを、わたしにもっと伝えて」


 わたしはさっくんの頬に手を添えた。

 さっくんを否定したいんじゃない。怖がらなくたっていい。

 あきらめないで、もういちど、頑張ってほしい。

 わたしの手には、さっくんの体温が伝わってくる。


「わたしは、さっくんの――もっと、熱くて、濃いのが飲みたいな」


 口に出してから――わたしは気づく。

 ひょっとしてちょっと、言葉が足りないだろうか。

 わたしは動揺を悟られないようにさっくんから離れて、微笑んで付け加える。


「――コーヒーだったらの、話だよ?」

「あ、ああ」


 さっくんはちょっとあわてた様子で、そう返事をした。

 それから、自分のスマートフォンをとりだして、じっとその画面を見る。

 自分の書いた小説を、読み返しているみたいだった。

 その目が真剣で、わたしはコーヒーを飲みながら、だまってさっくんを待っていた。

 冷静を装ってはいたけれど。内心では、祈るような気持で。


 やがて、さっくんはスマートフォンをテーブルに置くと、残ったコーヒーをぐいと一気に飲み干して、テーブルに両手を突いて、わたしのほうへ身を乗り出した。


「読子さんっ」

「は、はいっ」


 わたしは、驚いてすこし肩が跳ねた。


「またこんど、もういっかい、読んでほしい。もっと……もっと、読子さんに届くように、ちゃんと読んでもらえるように、頑張ってみるから。熱くて濃いのを、だすから」


 さっくんの目は、とても熱がこもっていて。

 それから、なんだか……さっくんはとても、きらきらしていた。

 その熱にあてられたのか、わたしはなんだか、両の頬がぼっと熱くなったように感じた。


「う、うん……待ってる」


 そのとき、周りのテーブルのひとたちが、こっちを見ていたことに気づいて恥ずかしくなったことは、さっくんにはまだ、話していない。

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