わたくし、家庭を脅かす存在に立ち向かいます(5)



 豚たちがぶひぶひと鳴きながら、剣士さまの足元にまとわりついております。なかなかの人気です。あれはもしかすると、魔王さまに匹敵するかもしれませんね。

 しかしいまは危険です。あの暗黒のオーラ。まるで凍てつくような寒さを感じます。さすがのわたくしでも、背筋がひやりといたしますもの。

 魔王さまが、ごくりと喉を鳴らしました。


「この気配。剣士よ、魔に堕ちたか……」


 魔に堕ちる?

 聞きなれない言葉でございます。いったい、どういう意味でしょうか。


「闇の精霊と取引を結ぶことだ。闇の精霊は普段は影の中で眠っているが、ひとが深い絶望に囚われたとき、姿を現わして契約を持ち掛けるのだ。契約者は強い力を得るが、代償として魂を喰われるという」


 まあ。なんて恐いものかしら。女神さまに属する精霊たちはすべて仲間になっていただいたはずですが、まさかそんなものがいたなんて知りませんでしたね。

 いままでの剣士さまが、そんな力を持っているはずはございません。もしかして、あれこそが一年の修行の成果なのでしょうか。とすると、先ほどまではほんの小手調べということなのでしょう。

 わたくし、どきどきしてまいりました。


「い、いや。取引を交わしたのはついさっきだと思うが……」


「そうなのですか?」


「お、おそらくな……」


 なにが彼をそこまで追い込んだのかしら。まさか、あの跳び蹴りでしょうか。だとしたら、わたくしが剣士さまを絶望させたということですわ。

 ……剣士さま。そんなにも勇者の称号を欲しているのですね。こんなことになるとわかっていたなら、もう少しだけしっかりと話し合うべきでしたわ。


「ゆ、勇者よ」


「なんですか?」


「……いや、なんでもない」


 ずいぶん煮え切らないご返答ですね。魔王さま、お優しいですがご自分の意見はきちんと言える方だったと思うのですけれど。


「剣士さま!」


 わたくしの声に気づいた剣士さまが振り返ります。


「勇者……」


 そのお顔は、とても悲しそうなものでございました。わたくし、ぎゅっと胸が絞めつけられるようです。


「なにをするおつもりですか!」


「……手に入らないなら、いっそ壊してやるよ」


 彼は足元の子豚を一頭、ひょいと腕に抱えました。その右手には、先ほどの大剣が握られております。


「け、剣士よ。その豚彦ぶたひこをどうするつもりだ!」


 剣の切っ先を向けられた子豚が、のん気にぶひっと鳴きました。


「勇者から手を引きな。さもなければ、この豚が細切れになっちまうぜ!」


「や、やめろおおおおおおおおお」


 あら、まあ。なんて悪いひとなのかしら。魔王さまが最も精神的にものを的確に選んでまいりました。絵面はともかくとして、とても緊迫した状況です。


「豚彦に罪はない。いますぐ手を放せ!」


「知ったことか。おまえに関わるものは、みな許さねえ」


「くそ。それでもかつて勇者の仲間だった男か!」


「ハッ。てめえにおれの気持ちがわかってたまるかよ」


 しかし豚を刻むか刻まないかなど、遅かれ早かれという気もいたしますね。男たちが盛り上がっているのでそれは黙っておきますけれど。

 というか、なぜ魔王さまはこんなにも葛藤していらっしゃるのでしょうか。もしかして、わたくし豚と同格なのかしら。あとできちんと問い詰める必要がございますね。


 そこへ、僧侶さま方もやってきました。


「剣士どの。これは……!」


「魔に堕ちましたか。まさか人間がその負荷に耐えられるとは、さすが剣聖といったところですな……」


 妹さまが泣きついてまいりました。


「勇者。はやく豚彦を助けなさいよ!」


「あら。妹さま、でも所詮は豚……」


「豚彦はただの豚じゃないの!」


 そうなのですか?

 すると妹さまは大泣きしながら訴えます。


「豚彦は……、あの豚彦はわたしが夜に寂しくて泣いてるとき、いつも励ましてくれるいいやつなの! きっと魔界に帰れるよって。お兄さまもわかってくれるって。そんな豚彦を見捨てるなんて、あんた勇者失格よ!」


 ……ご兄妹そろって、なんて面倒くさいのかしら。

 魔王さまに似ておこころが優しいのはいいのですけれど、出荷のときに抵抗なさるのが増えてしまっては元も子もないのですけれどねえ。こんなことなら無理にでもお部屋をひとつ空けるべきでしたわ。

 しかし、いったいどうしましょうか。このまま剣士さまの気が落ち着くまで様子を見ようと思いましたが、そうも言っていられなくなりました。だってこんなことでお姑さまと仲違いをしてしまっては、魔王さまとの結婚生活に支障が出てしまいますもの。


 とはいえ、特別な解決方法などわたくしに思いつくはずもございません。ここはやはり、真正面から正々堂々と解決に踏み切るべきでしょう。こんなに身勝手な方に勇者の称号など渡しては大変ですもの。なによりわたくし、そんなことになったらお師匠さまに殺されてしまいますわ。

 世界の平和のため。そしてなによりもわたくしたちの幸せな結婚生活のため。剣士さまの野望はここで挫きます!


 あ。豚彦は助けられたら助けましょう。

 だって所詮は豚ですものね。


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