3
朝。わたしは朝が好きだ。確かに布団の誘惑には堪えるものがあるが、澄んだ空気、鳥の鳴き声、生物の目覚め…それらがわたしを夢の世界から連れ出してくれる。現実と夢。二つの世界が交差するこの朝という空間が、わたしは好きだ。
とはいえ、わたしが朝の事が好きだからといって朝が長くなるわけでもない。朝の後ろには昼が今か今かと待ち構えているのだ。昼に待ちぼうけさせることなどできない。布団がいくらわたしを呼んでいようと、その呼びかけに応える事は許されない。わたしはいそいそと今日も大学へ赴くため、身だしなみを整える。
今日の日程は午前の講義をのりきればあとは比較的楽なものばかりだ。よし、と重たいからだを奮い立たせて、家を出て、愛車にのって大学へと向かった。
学内での交遊関係だが、幸い人との縁には恵まれているようで、気のおけない仲の学友も少なからずいる。その一人が、
「おーい、杏子ー!」
この子、大嶋茜だ。年は19、身長は170弱あり、スラッとした長身で男子からの人気も高い。美人で快活なのもそれを助長している。
「おはよ、茜。」
「おはよ!ねぇ、聞いた?昨日の事。」
「え?何かあったの?」
「ほんとに知らないの?結構有名だよ?」
「だからなんの事?もったいぶらないで教えてよ。」
あのね、と茜は声を潜める。
「…いなくなったらしいのよ。」
「だれが?」
「C科の山本くん。」
山本くん:山本典栄くん。そこまで活発ではないものの、それなりに女子に人気のあった男子学生。
「山本くん狙ってた友達に聞いたんだけど、最近学校にもこないし、電話にもでないみたい。」
「え?それ大丈夫なの?」
「友達も心配してるみたいなんだけど、勝手に通報して大事になりすぎてもって言って…」
まぁ懸命な判断だ、と私は思った。こういう話は大きくなりすぎると、いらない尾ひれがつくものだ。勝手に物を言っても大抵いい方向には向かわない。
「まぁとりあえずは様子見が一番じゃない?」
「うん…そうだね…。」
すこし気にはなったものの、それからは講義にもみくちゃにされて、山本くんのことを深く考える余裕もなく、時間は過ぎていった。
「はー、つかれた…。」
「疲れたね… あの教授、絶対教える気ないよ… 小難しいこといって私たちをバカにしてるんだよ!」
「さすがにそれはないと思うなぁ…」
茜はあまり頭はよくないため、基本的に授業のあとはぐったりしている。
さて、そろそろ帰ろう、そう思い席をたつと、ふわりと甘い香りが鼻孔をくすぐった。
(なんの臭いだろう…)
なんの臭いかはまったく検討がつかなかった。チョコレートの香りとも、野花の香りともとれる、なんだか不思議な、それでいて心地よいものだった。その香りに誘われるように、わたしの足はフラりフラりと歩を進めていった。
どこにいくかなんて考えていなかった。考えることはしなかった。考える必要もなかった。
気がつけばわたしは学外の、人通りの少ない通りのとある橋の上にいた。どうやら匂いはこのしたから匂ってくる。わたしはごく自然に、橋に足をかけた。
「―杏子!!」
後から追ってきていたのであろう茜の声ではっ、とした。
眼下には流れの緩やかとはいえない川がいた。
「なにやってるの!!そこから早く降りて!!」
「え、あ、うん…」
わたしはここまでの記憶がないことに茫然としながらも、橋から降りようとした。
ずるっ。
「え」
不快な浮遊感がわたしを襲う。
「杏子!!!!」
橋の上で手を伸ばす茜が遠退いてゆく。
私の意識は、そこで途絶えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます