第四世界『ほんとうのせかい[Out of the window]』 その5
×トリシャ×
移動しながらトリシャが集めた情報によると、どうやらこの世界は結構終わっているらしかった。
なんでもすごく強くなれる薬(意訳)が全世界で使われた結果人間はあんな化け物になってしまい、仕方なく一部研究者を残して無事な人間は安全な場所でコールドスリープに入ってもらったのだが、残った研究者たちも薬を飲んでいないのに化け物となりはじめてしまって、今にいたるということらしい。
百匹目の猿現象、というものがあるらしく、それによって化け物が一定数に達した時から爆発的に人間の化け物化が広がってしまったのだという。
「……私のお母さんもそうだったんですね、きっと」
階段をのぼりながら、頬に着いたべったりとした血の感触を拭う。しかし手のひらも血まみれで、一層トリシャの顔が汚れてしまっただけだった。
ここに来るまで、白衣を着た化け物を何人も殺した。
元人間だとわかってからも、容赦なく。むしろ人間だったものだとわかってからの方が容赦なくトリシャは殺してここまで来た。
あんな風に共食いをするようなものであるよりは、死んだ方がましだと思うから。
その中に自分の父親が混じっている可能性もあったのだが、トリシャは何故か自分の父親は化け物になっていない気がしていた。
ただの勘ではあるのだが。もしかしたら、ここに自分を連れてきたのも父なのではないかとも少し考えていた。
もし、そうなのだとしたら――
「お父様に、謝らないと、ですよね」
ケイに誘われてわりと勢い任せで飛び出してしまって、父親はもしかしたら悲しんだのかもしれない。あんなに、可愛がってくれていたから。
見つけた父親の資料やメモはどれもどこか正気ではないような内容だったが、トリシャを傷つけるようなことはしなかったのだから。
それはきっと、愛されていたということなんだろう。
たとえ、正気でなくても。
「……だから、ちゃんと言わないと」
自分がしたいことを、はっきりと言わなければならないと、トリシャは少しだけ階段を上る足を速める。
しかし速めた次の瞬間、建物全体が大きく震えた。
「わっ?」
慌てて手すりに摑まると、ぱらぱらと上から埃が落ちてきた。
「爆発……?」
呟く間にもまた揺れる。頑丈な建物であるため揺れる程度で済んでいるようだったが、かなり大きな衝撃が上で起こっているのは肌で感じられた。
「行かないと」
手すりにつかまりながら、衝動的に走り出す。その先に、父親が居る気がして、カツカツと足鎧で音を立てながら勢いよく階段を上っていく。
上の階に行くほど、振動は大きくなっていった。おそらく震源の二・三階ほど下の階に到着するころには、本当に地震でも起きているのではないかというほどの振動が断続的に建物を揺らし、時折バランスを崩してしまうほどだ。
それでも、トリシャは歩みを止めずに階段を上り。
やがて到着したのは、大きな会議室が並ぶ階だった。階段近くの案内板を見ると、奥の方に一番大きな会議室があるようだ。
確認している最中にも建物が揺れる。……振動のくる方向的に、震源は一番奥の会議室のようだ。
トリシャは神経を研ぎ澄ましながら、一番奥の会議室へと進んでいく。
そして――
「……失礼しま――すうわぁ!?」
恐る恐る扉を開けた瞬間、びたん! と開けた扉に黒い何かがぶつかる。よく見れば、それは自分を連れ去った『手』のようだった。
その『手』を引きちぎった張本人――真っ黒で巨大な二首蛇が、入ってきたトリシャに視線を向ける。
『トリシャ? 来たのか』
「その声、ケイですか? なんでここに」
『助けに来た――んだが、間が悪かったな。もう少しで全て片付いていたところだったんだが』
そういうケイの前には、真っ赤な白衣が落ちていた。
「……違う」
真っ赤な白衣、ではないとすぐに気付く。血で赤くなっているのだ。
そして、その下には人間が居た。両肩が噛み千切られた――トリシャの父親が。
「お父様……」
『……すまない、見せるつもりはなかったんだが』
「いえ……お父様が、私をここに?」
『ああ、そうだ。あまり言いたくはないが、これはもうダメだ。狂っている。心苦しいかもしれないが、今ここで――おい、トリシャ!?』
ケイの言葉を無視して、とりしゃは父親の方へと歩み寄った。ケイも父親を殺そうとしていたところを見られて気まずいのか、止めるか止めないか迷っておろおろしている。
その様子がなんだか少し可愛らしく感じられて、くすりと笑みを漏らしながら、トリシャは肩をもがれた父親の傍らにしゃがむ。
「お父様。お久しぶりです」
「とり……しゃ……」
「はい、トリシャです。……私のこと、連れ戻したなら顔を見にきてくれればよかったじゃないですか。探しましたよ?」
うつぶせになっていた父親を、仰向けにさせる。その目は濁りきっていて、光りを映しているようには見えなかった。
ケイがやった、のではないのだろう。
そんな短時間でなったものではなく、父親の体が長い時間をかけてボロボロになっていたのだろうというのが自然と理解できた。
「こんなにボロボロになってしまって……疲れている時は休んでって言ったのに、いっつもお父様は私を求めるから」
気づかなかった。何故だろう。
こんなにぼろぼろなら、気づいてもおかしくないのに。
あの部屋に居た時のトリシャには、気付けなかった。
きっと――なにもかも閉じていたから、気付けなかった。
「ごめんなさい、お父様。気付けなくて……もっとちゃんと、言っていればよかった。気遣っていればよかった……今だから言える、ことなんですけど……きっと」
「とりしゃ……どこに、いっていたんだい……? さみしくて、わたしは、」
「少し、旅をしていたんです。そして、これからまた、旅に出たいと思っています」
ずっと開かれたままだった父親のまぶたが、一瞬ぴくりと痙攣した。
「な、ぜ」
「足をもらったから。いろんな世界に行けるように、してもらえたから。美味しいものをたべて、強い人を見て――楽しいと、感じたから」
そして。
「旅をしたおかげで、私はお父様のことを今、ちゃんと心配していられるから」
父が息を飲む。随分と年をとったように見える父の額に、優しく手をあてた。
そのすべてを、労わるように。
「あの部屋の中が私の世界の全てだったら、きっとわからなかった。お父様のこと、気付けなかった。……お父様、いろんなことがあったんですよ、私。まだ三つだけですけど、初めて見る世界に行ったんです」
一つ一つ、丁寧に話す。
本で読んだような都会に行ったこと。映画を見たこと。ハンバーグを食べたこと。
港町に行ったこと。違う種族の人に出会ったこと。おいしい魚を食べたこと。
空に島が浮かぶ世界に言ったこと。そこでは、人は、とても強く生きていたことを。
「……お父様も、強く生きていたんですよね。お母様が死んでも、ずっと頑張っていたんですよね」
話しているうちに、どこか荒かった父親の吐息が穏やかなものに変わっているのを、トリシャは感じていた。
穏やかと言うより――弱弱しいものに。
「気付けなくて、ごめんなさい、お父様。……だからもう、無理をしないで。私はちゃんと、元気にやっていけます。この世界は終わっても、ちゃんと、別の世界で……私は生きていけます。だから、無理しないでください」
「……とり……しゃ……」
「はい、なんですか」
「……いきて……ほしい……わたし……私、は」
目に、一瞬光が宿った気がした。強く、暖かな光が、トリシャを見つめていた。
その視線に、出来る限りの笑顔を返す。震えた笑顔を。
「私は……そのために……罪を――全て――」
「大丈夫です。お父様は、悪いことなんてしていません。……天国で、待っていてください」
「あり、がと、う……頼んだ……あとを……気に入らないが……それでも」
ケイの方に一瞬視線を向けて、それからゆっくりとずっと開いていたままだったまぶたが閉じた。
吐息が途切れて、その体から熱が失われていく。
笑顔を作っている、口の端が震えた。
それでも、トリシャはどうにか表情は崩さずに居た。崩さないで、優しく父の額を撫でた。
「おやすみなさい、お父様。あなたはちょっとだけ、父親らしくなかったけど――でも、やっぱり私のお父様でした」
だからゆっくり休んでくださいと。
別れを告げて、トリシャはゆっくりと立ち上がった。
「ケイ」
『えっ? あ、ああ、なんだ』
「お墓、建てたいんですけど。ちょっと手伝ってくれませんか? 大きいお墓なので、ちょっと手間なんです」
一筋涙をこぼしながら、トリシャは笑顔で、しかし心がけて軽い調子で、ケイに向けて小さく頭を下げた。
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