第三世界『空の世界 テソハノラ[tess-O-har-nola]』 その6

×トリシャ×


「さて、と、用が済んだならそろそろ空に行くか」

「居ると思います? 目当ての人たち」

「月よりも小さい世界のようだからどうにか見つかるといいんだけどな。壁の内側に入っていなかったら諦めるか、入ってくるのをしばらく待ってみるしかない」

「長丁場になりそうですね」

「時間はたっぷりあるんだ、焦らなくてもいいだろう。……しかし、崩壊ってものの中で空を飛ぶのは結構危険かもしれないな」

「すみません、飛ぶというか空を走ってる状態で……」


 おそらくトリシャの空の飛び方では危なっかしいと思っての発言だと思い、少し申し訳なる。だが、ケイは特に重く考える様子はなく、軽い声音で言った。


「感覚的につかみにくいだろうから、仕方ないだろう。今回はオレが抱えて飛ぶ。その方が安全だろうからな」

「抱えてですか。ちょっと恥ずかしいです」

「なんなら、お前の背中に翼みたいな状態でくっついて飛んでやろうか?」

「……そっちの方が恥ずかしいです」


 背中に羽が生えたまま、ろくにバランスもとれずぶらんとした状態で運ばれる自分の姿を想像するとなんとも言えない気分になった。不格好すぎて想像するだけでちょっと口元がひくついてしまう。


「なら抱きかかえでいくぞ」

「はい。もう行きますか? それとも、島の端まで移動してから?」

「もうすぐ崩壊とやらがくる時間みたいだし、とっとと飛んでしまおう。ほら、こっち来い」


 手招きされて近くに寄る。すると、背中とひざ裏に手を回してケイはトリシャを抱きかかえた。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。

 だからといって、トリシャには特に感動があるわけではない。しいていうなら裾がちょっと邪魔そうだなということくらいだ。


「重くないですか?」

「50キロかそこらで何を言ってるんだよ。せめて重い云々聞くなら60キロ越してから言うんだな」

「いえ、自分の体重が重くないのは知っているんですが、一応気遣いとして聞いただけなので気にしないでください」

「そういうところ本当に可愛げないよなぁ、メギストスよ。――飛ぶぞ」


 苦笑いで言って、ケイはその身を飛翔させる。とくに動作もなにもなく、宙を滑るように高い場所へと昇って行った。いくつもの島を見渡せるほどの高さまで来ると、真っ黒な球体の上に浮かぶ島々というこの世界の全貌が認識できてなんとも不思議だ。実際には移動していると壁が見えてきて、そこから先には行けないのだろうが。


「それにしても、いったいどうやったらこんな風にとべるんですか?」

「オレはもともと重力の影響を受けないようにつくられてるからな……どうと言われても難しい。歩く難しさなら説明できるんだけどな」


 オレも歩くのには苦労した、と語る。

 その言葉をトリシャは不思議に思った。空を飛ぶことより、歩くことの方が遥かに簡単な気がしたからだ。いきなり足をもらったトリシャだって、少々戸惑ったもののちゃんと歩けたのだから。


「難しかったんですか、歩くことが」

「言っただろ? 重力の影響を受けないように作られてるんだ、元々は。だから歩くっていう、モロに重力の影響受けたうえでの行動はすごく苦手だった。人間はよく重力下であれだけバランスとれるもんだと感心したもんだぜ」

「はぁー……そんなものですか」

「ああ。だから気にする必要もないだろう。どうしても飛びたいなら、オレが手伝ってどこかでキッチリ特訓してやる」

「ケイの特訓は厳しそうですね」

「それはもう厳しいぞ。やると決めたら完全に出来る様になるまでやるから――なっ」


 話しながら、ケイはかすむほど遠くをも見透かすように目を見開く。

 トリシャも真似して目を見開いて周囲を見渡すものの、大して光景が変わることはない。


「まだそれらしいものはないな。さっき出会ったニワトリ人間たちが離陸し始めてるが」

「アメさんもですか?」

「あの辺にいるぞ」


 ケイが指さした少し下方に目をやると、確かにアメと同じ蛇のような姿をした龍が次々と飛び立って行った。どうやらアメのような大型種は、荷物を運ぶために雇われているようだ。長い体には、いくつも荷物がくくりつけられている。

 その周囲を飛ぶのはニワトリ人間たち。時折大型種の背に乗ったりして、休み休み空を飛んでいる。

 しかし、どうもその動きはぎこちないように見えた。


「なんだか、あんまり飛ぶの上手くないみたいです、あの人たち」

「明らかに体重と比べて翼のサイズが小さいからな。大型種の方は……翼で飛ぶというよりは、なにか力場を発生させて飛んでいるようだから翼のサイズは関係ないみたいだが」

「崩壊っていうのが来た時、大丈夫なんでしょうか……?」


 割とふらつきながら飛んでいるように見えるニワトリ人間たちが心配になってくる。

 しかしケイは別段心配する様子もなく言う。


「大丈夫だろう。おそらくだがあの翼は、羽ばたいて飛ぶんじゃなく――っと、来るぞ。崩壊というやつが。一応気を付けておけ」


 ケイの言葉に身構えていると、一瞬、この世界の中心である真っ黒な球体がぶるりと震えた気がした。その余波が空気を波打たせて、トリシャの全身を撫でる。

 悪寒とは少々違うが、背筋を走り抜ける奇妙な予感に、気づけば真下を覗き見るようにしながら両手を組んでぎゅっと握りしめていた。

 そんなトリシャを驚かすように、再び、世界が震える。

 その振動は、どんどん大きくなっていく。

 震えるたびに、空に浮かぶ大地に繋がった糸の震えが大きくなるのがわかった。ピンと張りつめた糸の震えは弦楽器の低音のように世界中に響き渡る。

 音が満ちていく。

 崩壊の音が。


「こいつはなかなか見ものだな。暮らしている人間にとっちゃやっていられないだろうが、傍から見る分には美しい光景じゃないか」

「そう、でしょうか。……私はちょっと、怖いです」


 やがて、世界がゆっくりと崩れ始める。

 大きな大地は震えて音を発する糸の数に合わせて、バラバラになっていく。無理に引き裂かれた大地からは多くの欠片が零れ落ちるものの、それは中心の真っ黒な球体に落ちることなく、ふわふわと浮いていた。

 ふと見てみれば、さっきまで危なっかしく飛んでいたニワトリ人間たちはさっきよりも安定して飛んでいる。どうやら、中心の黒い球体部分から風のような、上昇気流のような、そういったものが吹いてきているらしい。


「ケイ、風とか遮ってます?」

「結構勢いが強いから一応な。気づいたか、上昇気流が起こってるのに」

「はい。ニワトリの人たちがさっきよりもちゃんと飛んでいたので」

「元からそういう仕組みなんだろうな。崩壊の時の上昇気流に合わせて進化してる」

「世界に合わせて、進化するんですね」


 頭では進化というものが環境に合わせて行われるものだと言う知識はあったが、実際にこうして目の当たりにすると、まさに生命の神秘。

 不思議と高揚感を覚えていると、眼下で陸地が移動を始めた。それから逃げるように、ニワトリ人間をはじめとした翼をもつ種族が空を飛んでいく。

 その間にも大地は千切れ、移動していた。移動速度には差があって、遠くまで移動するものの方が速度が速いようだ。

 法則性を見出せそうな、規則正しい大地の動き。どこか機械染みたその動きに、トリシャの目は釘付けになる。

 一方ケイはといえば、大地の動きよりも空を移動するニワトリ人間や大型生物たちを眺めていた。あとは、割れた大地から落されていく生物たち。

 哀れ大地から落ちてしまった生き物たちは、黒い球体から吹き付ける上昇気流のようなものに当てられながら、緩やかな速度で落ちていく。上昇気流のおかげですぐに落ちることはないようだが、逆にそれが恐ろしさを感じさせるようだ。

 落ちていく生物たちは、その全てが恐怖に絶叫しながら落ちていく。

 大地を引き動かす黒い糸の発する音色と合わせて、歌にでもされそうな地獄絵図だった。

 だが、そこに。

 希望を灯す人が、居た。


「……あれは」

「どうやらあれが、この世界の人間の希望ってやつらしいな」


 落ちていく人間。その一部を掬い上げている大型の竜が居た。アメとは違う種族らしく、その顔つきは蛇ではなく烏の類に見える。長い体は真っ黒な体毛で覆われ、六本の足をもっている。翼は飛翔する体を支えるのに十分な大きさがあり、その数は四対。

 背中、頭に近いところにはかごのようなものがついていて、人が一人のっていた。


「ケイ、行ってみませんか?」

「ああ。ただの慈善活動で可能性もあるが」

「それはそれでなにかおもしろい話でも聞けるかもしれません」


 そうだな、とケイが空中を滑るように移動し、烏龍目指して飛び始める。近くまでくると、烏龍と背中に乗る人間は何か言い争っているようだった。


『こら、いい加減にしないと観察に回す時間がなくなるだろう。人助けは他の仲間にさせておけばいい』

「だからって目の前で落ちてくる人間は放っておけないだろう! ほら、また一人落ちてきた!」

『ええい……! 人如き数人死んだところで大差ないだろうが……!』

「約束なんだから、僕の言うことはちゃんと聞いてもらうよ」

『わかっている! 忌々しい主人だ』


 見た限り、あまり仲はよくなさそうだった。

 ケイがさらに近寄っていくと、主人よりも先に烏龍の方が気付いて声をあげる。


『おい、主よ、人間が飛んできているぞ』

「え? 気球で?」

『いや、身一つでとんでいるんだが……いつのまに人間は飛べるようになったのだ』


 露骨に警戒する烏龍と、驚いた顔で見上げる青年。

 そんな彼らの目の前まで、トリシャはケイに抱えられて下りていく。


「えぇと……はじめまして。あなたが、人間が安全に居られる場所を見つけたりしているっていう人ですか?」

『何者だ、人間……人間か? そもそも』

「あはは……私は人間です。人間以外の人は人間かって聞くの好きですね」


 苦笑気味に言うと、ふん、と烏龍は鼻を鳴らす。


『飛ぶ人間なんぞ聞いたことが無いわ。そっちの男は?』

「オレは人間ではない。ケリュケイオンという道具だ。魔法の杖……のようなものだよ、この世界の言葉で言い表すにはそれ以上の言葉はない」

『証拠は?』

「……示さなくともお前にはわかりそうなものだがな。まぁ、いい。これでどうだ?」


 ケイは軽く指先で空を切ると、烏龍がその手で捕らえていた人間たちが異次元の穴に飲み込まれて消える。それに慌てたのは龍に乗っている青年だ。


「ちょ、ちょっとちょっと!? どこやったの!?」

「次元を繋げて崩れてない島の中心部分あたりに送ってやったんだ。これで信じたか?」

『……ふん。我と似た力を感じていたが、本物か貴様』

「勘違いするなよ。オレはお前よりも上等なものだ」


 ……お仲間でしょうか?


 主に烏龍の態度が原因でどこかぴりぴりとした会話を聞きながら、トリシャは小さく首をかしげる。話を聞く限りでは、目の前の烏龍はケイと似たような力の持ち主のようだが。


『棒切れごときが偉そうに。噛み砕いてやろうか?』

「烏擬きがさえずるなよ。輪切りにするぞ」

「あの、ケイ、なんでそんなにあらぶってるんですか」

「マイネィも、喧嘩売らない! ほら、大地の観察するんでしょ!」


 トリシャと青年が止めると、不承不承という様子で互いに睨み合っていた視線を逸らした。


『ちっ……命拾いしたな、棒切れ』

「そっちだろう、命拾いしたのは」

「あー、もう、落ち着きなって。なんなんだよ急に。……と、まずい、陸地がくっつき始めてしまう。行こう、マイネィ」

『ああ』


 烏龍が飛び去っていく。追いかけてもいいのだろうが……今の様子では、あまり話を聞くことは出来なさそうだった。


「どうしたんですか、ケイ。やけに戦闘態勢というか、ピリピリしてましたけど」


 気になって尋ねると、ケイは眉根を寄せて困ったような顔をする。


「あっちが敵意剥きだしでにらんできたから、ついな。あっちはおそらく、自分より各上の存在だとわかっててけん制してきたんだろうが」

「前の世界といい、ケイと似たような存在って結構ぽんぽんいるものなんですか?」

「いや、普通はそんなにポンポンは出てこないはずなんだが……まぁ、たまたまだろう。前の世界のヤツは例外的なものだとして、この世界は割と極限状況だから、そういうものが生まれやすいのかもしれない」

「追いつめられると、ケイと似たようなすごい力を持ったものが生まれるんですか」

「そうだな。追いつめられた生物の底力というか、そういうもので生まれることが多い」


 オレは違うが――と呟きながら、ケイが烏龍の去った方向に目線をやる。つられる様にトリシャも同じ方向を向くと、数匹の龍が人を乗せ、うねりながら大地の底を観察していた。

 背中に乗った人間も、時折何か光線のようなものを当てて、なにかを測定しているようだ。


「……ああいうことをやっても、出る成果はきっと微々たるものだろうな。使っている機器は未熟だし、効率も悪い」

「……そのことを、あの人たちは分かっていると思いますか?」

「効率が悪いことは理解しているだろうな。それでも、あれしか道具がないからああやって時間をかけて少しずつ続けているんだろう。生きるために」


 人と龍が空を必死に飛び回り、生きる術を探す。

 崩壊と再生の音色が響く中、それはまるで絵にかかれたような光景だ。

 けれど現実にその光景は目の前にあって。

 必死に生きる人間を、トリシャは呼吸も忘れるほどに見入る。


「……私は、必死に生きられているんでしょうか。彼らほど、必死に生きていられるでしょうか」


 少なくとも、あの部屋に居た自分はそうではなかったと思う。

 ただ日々を漫然と過ごしていた。変わることない日々に、夢想を重ねて、ただそれだけをして生きていた。

 父に言われるがまま、されるがまま、生きてきた。

 抗うことなく、流されるままに。

 でも、今は。

 今はもう、あの部屋の中じゃないから。


「必死に生きていられるか――ではなく。必死に生きなければならないということですか、どちらかというと」

「……ああ、そうだろうよ。必死に生きたかどうかなんてものは、他人から見た評価の言葉でしかない。そんなものに尺度を求めるとろくがことがない。だから、自分の中の尺度で、ただ必死に生きればいい。それだけの話だ」

「はい。そうします」


 笑顔で頷く。すると、ケイは少し恥ずかしそうに頬を掻いた。


「まぁ、なんだ。必死になれるものも旅するうちに見つかるだろう。見つからなくても、それはそれで、オレと旅していればいい。オレはいつでも傍に居る」

「……ふふ、なんだか告白されちゃったみたいです」

「お前はオレが連れて来たんだ。その責任を取るのは当然というだけの話だろう、メギストス」

「はい。そういうことにしておき――」


 ます、と。

 言葉を返そうとしたトリシャの目に、黒いものが映った。

 それは、前の世界でも見た、天に空いた黒い穴。

 それが、まるでケイの隙を狙う様に、背後にぽっかりと口を開けていて――


「ケイ、危ない!」

「は?」


 トリシャはケイを突放すように、その身を宙に舞わせた。

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