第二世界『海と漁の町 フォスクリウ・トア[foschriu-toua]』 その8
×ケイ×
道具を取り出して炙ったりいためたりして一通り甲殻魚を味わい終えると、流石に一時間以上が過ぎていた。
「そろそろ帰るか。解体した甲殻魚の前に居たら色々聞かれそうだ」
「そうですね。イリュさんにおみやげをもって帰りましょう」
布に包んだ大きな切り身を胸に抱えて、嬉しそうに微笑む。
そんなトリシャを見ているとケイも表情が緩んで、足取りも軽くイリュの居る宿へと戻ろうとしたのだが。
「……ん?」
不意に、音がした。
音、と言うにはあまりにも小さい。ケイでなければ聞き逃すような、超音波の域にあるような特殊な音。実際、立ち止まったケイを見てトリシャは不思議そうな顔で振り返った。
「どうかしたんですか?」
「いや。なにか来そうだと思ってな」
音は空からだった。ケイは音のした方を見て、やはりな、と小さくつぶやく。
空には穴が空いていた。
丸く、黒い月のようにも見える穴が空いていた。
それを見て、トリシャは何かを思い出したように声を漏らした。
「あれ、昨日の夜も出てました。黒い月」
「ふん? なるほどな。この世界にはオレと似たようなのが居るのか」
「似たようなの、ですか?」
「そうだ。物質とか空間とか時間とか、そういうものを俯瞰できる立場にいるような上位の存在だ」
説明している間に、ケイの感覚は天に空いた黒い月からエネルギーが流れ込んできているのを感じていた。
同時に、超音波の域にある音も世界に広く響き始める。
『――――、――――、――――、』
「どうやらオレたちの事が気に入らないらしい。とっとと出て行った方がよさそうだ」
「……私にも、なんだかわかります。怒ってる……? なんだか、お父様に叱られている時を思い出すような、そんな感じがして……」
お互いにしかめた顔を見合す。次の瞬間、ケイは杖になって、勢いよくトリシャの手の中に収まった。何かあったとき、人間の状態で一緒に移動しているよりもフォローがしやすいだろうと考えてのことだった。
『予定が早まったが、いくぞ、トリシャ。海に向かってひたすら移動すれば、来た時とは別の世界に続いてる壁を乗り越えられるはずだ』
「わかりました。――足っ」
トリシャが叫ぶと、足鎧が現れその両足を包み込む。そのまま空中を走り始めるトリシャだったが、黒い月も黙ってはいなかった。
黒い月から、黒く薄っぺらい影絵のような『手』がいくつも伸びる。『手』が海面に触れると、勢いよく海をかきまぜ、渦を作り、やがて竜巻が高く渦巻き始めた。
竜巻は、全力疾走するトリシャより少し遅いくらいの速度で、確実に近づいてきている。
「け、ケイ。アレ追ってきてませんか?」
『追ってきてるな。よっぽど気に入らないか、自分の世界に入ってきた人間が』
「ケイと同じ存在なら、世界を移動しても追ってくるんじゃないんですか?」
『それはない。アイツとオレでは持っている世界観が違うだろうからな。万が一にオレと同じ世界観を持っていない限り、アレはオレの作ったパズルの世界を壁を越えて移動することは出来ない』
「ならいいんですけど――ひゃぁっ?」
竜巻に巻き上げられた魚が顔の横をかすめていく。だが、歩みを止めればすぐに追いつかれてしまう。それほどに速度は僅差だった。
『走れ! 普通の竜巻でも十分危険だが、アレはそれ以上だ。中はエネルギーがたまったミキサーみたいになってる。飲みこまれたら細胞の一片まで爆発して死ぬぞ!』
「そんな死に方はしたくないですね……っ!」
ケイの叱咤に、トリシャは走る速度を上げた。
海水を全身に浴びながら、時折体勢を崩しつつも、走って、走って、走って。
やがて、白い靄の塊のような壁が見えてくる。
「ケイ!」
『ああ、飛びこめ!』
そして。
ケイとトリシャは竜巻に追いたてられて、海と漁の町を去った。
ほどなくして竜巻も目標を見失ったことでその意義を失い、海は何事もなかったように平穏な状態へと戻っていった。
ただ、しばらく天の黒い月は、何が起こったのか観察するように見開かれたままだったが――やがて、瞼が閉じるようにゆっくりと消えて行ったのだった。
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