第二世界『海と漁の町 フォスクリウ・トア[foschriu-toua]』 その7

×トリシャ×


「遅いですねー、ケイ。……大丈夫かな」


 空中でしゃがみこんだまま、ときおり杖を左右に振ったりしてトリシャはひたすら待っていた。ぼーっと澄み切った空を眺めていると、不意に杖が重さを増す。


「うわ? わ、わ、わ?」


 慌てて立ち上がり、しっかりと両手で杖を持って踏ん張る。

 そして――


『ぶはぁ! トリシャ――! キャッチだ――――ッ!』

「無理ですよぉう――!?」


 水柱を立てて空中に高く飛びだした物が影をつくる。見上げた視界、青空に浮かび上がるシルエットに目を剥き声を上げる。

 それはケイが噛みついて海から引っ張りだしてきた巨大な魚だった。その体長七メートルほど。デカイというレベルではない。腹側を残してほぼ全て真っ青な甲殻に覆われており、小型の甲殻魚よりも澄んだ色合いの甲殻はサファイアのようだ。

 空中で引っ張られてなおビタビタと跳ねまわる巨大魚。こんなもんどうやってキャッチしろというのか。

 トリシャは杖だけはどうにか手放さないまま、空中を全力で走って逃げた。このままでは巨大な甲殻魚にダイレクトアタックされる。あんな硬そうかつ重そうな魚にぶつかられたら体が粉砕されること確実だ。


『こら――っ! せっかく取って来たんだしっかりキャッチしろ――!』

「叫ばれても無理なものは無理ですってば――!」

『なら体を簀巻きにするから、頭を蹴って息の根止めろ! そのくらいならいけるだろ!』

「いや、いやいや、いやいやいやいやぁあ~~……っ!?」


 頭を蹴って息の根を止めろと言われても、サファイアのような輝く甲殻を蹴り壊す自信は皆無だった。見た目こそすごいものの、重さを感じない足鎧にそんな頑丈さが秘められているとは思い難い。

 情けない声をあげながら浜に向かって全速力で逃げるものの、杖は放していないわけで、吊り上げられた魚は空中で暴れながらびったんばったんと迫ってくる。


『逃げるな! 魚食べるんだろ! 今の今まで滅茶苦茶泳いでたから絶対身が引き締まってて美味いぞ! なんなら醤油もあるぞ! だから頑張れ!』

「う、っぐ、うう……! さ、魚ぁ……! 食べる……!?」


 美味しいかもしれない魚への欲求が走る速度を鈍らせる。俯いて唸っていたトリシャだったが、やがて顔を勢いよく上げると浜辺へ向かって全力疾走する!


「ケイ! 空中だと蹴れないので浜辺まで行きます!」

『おう! しっかり持ってるから安心しろ!』

「いきます――――!」


 浜辺へと走る。走る。走る。

 脚力が強化されているのは本当らしく、恐る恐る空中を歩いていた行きよりもはるかに速く、空中を疾走する。

 そして浜辺まで残り五メートルほどのところで、トリシャは勢いよくジャンプした。


「え、え、えぇええええい!」


 今まで出したことのないような大声を出して、落下していく。

 もう頭の中はめちゃくちゃで、今まで使っていなかった回路がショートしてしまっているんじゃないかというほどで。

 けれど。

 けれど、どこか、爽快な気分だった。


「う、っちゃ、っく、っちぃ!」


 水を跳ね上げて、何度かステップを踏むようにして、海水をたっぷり含んだ砂を踏みしめ浅瀬に着地する。足は全く痛くない。これならいけると確信して、トリシャは海の方へと振り返った。


「ケイっ」

『いくぞ!』


 ぐるぐる巻きにされた魚がトリシャに向かってくる。頭から、勢いよく。

 暴れてはいるが、ケイのおかげで狙うべき頭だけはまっすぐにトリシャの方を向いている。だからそこに狙いを定めて、黄金の足鎧に包まれた右足を引き。


「かい――たい――ッ!」


 掛け声と共に、頭部を勢いよく横から蹴った。自分でも驚くほど柔軟な股関節、驚くほどの強度を持った足鎧から繰り出された蹴りは、薄いプラスチックでもへし折るような軽快さで甲殻魚の分厚い頭部の殻をカチ割った。

 パキーン! と音をたてて、空中に粉砕された甲殻の欠片と、大きな目玉や一部かけた肉片が飛び散っていく。生臭い臭いとともに、トリシャの頬や服の裾にも血が飛び散った。

 蹴り飛ばされたことで得たベクトルに従って、甲殻魚はトリシャの左側に落ち、そのまま滑るように浜へと流れ着いた。

 それを見ることもなく、トリシャはいつの間にか荒くなっていた吐息を、なんどか深呼吸して整えようとする。が、なかなかうまくいかない。


『落ち着け。大丈夫だ、上手くできてる。だから、落ち着け。過呼吸になるぞ』

「け、い?」


 いつの間にか右手で元の長さの杖になっていたケイに目をやる。右手は痛いほどに杖を握りしめていて、そんな状態の自分を客観的に認識すると、徐々に体の熱が抜けて行った。


「すぅ――……はぁ――……」


 改めて深呼吸。

 そして、ようやく落ち着きを取り戻して、打ち上げられた甲殻魚の方を向いた。


「できましたか? 私」

『おう。……服が少し汚れてるな、少し待ってろ』


 ケイが力の抜けた手から離れて、人の姿をとる。そして手をかざすと、トリシャの体についていた血などの痕が一瞬で消えた。


「これでいいだろ」

「あの、足も元に戻してほしいんですけど」

「それは浜に上がってからにしな。それと、お前が望めがその足はいつでも解除できるし、いつでも今の状態にできる。覚えておけよ」


 はぁ、とちょっと気の抜けた返事をして、とりあえずケイとともに浜に上がる。

 そして砂の上で一度目を閉じて足が元に戻るように念じると、ケイの言った通り元のブーツをはいた足に戻っていた。


「さてさて。魚を運ぶかぁ。まだ住人は寝てるだろうし、ひもくくりつけて引っ張っていけばいいだろ」

「持って行っても家に入らないと思いますよ?」


 あ、とケイが今気づいたように声を漏らす。

 その様子がなんだかおかしくて、トリシャは小さく笑みを漏らしながら提案した。


「ふふ。ここで食べていきませんか? ちょっと食べたら、イリュさんへのおみやげ分だけ切り取って、残りは置いておくということで」

「そうだな。漁師たちが驚くだろうが……そうするか」


 ケイが空中に異次元に繋がる穴を開け、大きな包丁を取り出す。包丁というより日本刀のような装いで、まっすぐな刃は美しさすら感じさせた。マグロ用の解体包丁、というものだろう。


「よし、捌くぞ」


 言って、小型の甲殻魚を捌くのとほとんど同じ要領で魚を解体する。

 甲殻を剥ぎ終えると、大きな切り身にして剥いだ甲殻を皿代わりに並べていく。その様子をトリシャは砂の上にしゃがみ込んでじっと見ていた。大きさが変わるだけで、随分と見ていて面白いものになる。


「こんなものか。よっと」


 異次元に解体包丁を投げ入れるように仕舞い、代わりに皿と小型の包丁、ペットボトルに入った水、醤油の入った瓶を取り出す。

 水で流してから普通サイズの包丁で切り分け、皿に盛ると、醤油を軽くたらしてから渡してくれた。


「ほら、食べるぞ」

「はい!」


 勇んで受け取って、手づかみで切り身を一つ口の中に放り込む。

 噛む。途端、跳ね返すような弾力と、適度な脂と、うまみ。


「おいひいへふ!」

「いや食べながら喋るなよ」


 味わって噛んで飲み込んだ。


「おいしいです!」

「そか」


 ふ、とケイが小さく笑いを漏らす。どうにも可笑しそうに笑うのでトリシャは首をかしげたが、鮮度が落ちてはなんだと思いぱくぱくと切り身を食べていく。

 そんなトリシャを、ケイはずっと楽しそうな顔で見ていた。

 トリシャの笑顔を、見ていた。

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