第二世界『海と漁の町 フォスクリウ・トア[foschriu-toua]』 その5

×トリシャ×


 民宿に泊まった翌日。

 朝風呂を浴びてさっぱりしたあと、朝食を食べるためにキッチンに行ったトリシャは、そこで驚くべき光景を目にすることとなった。


「あの、ケイ。どうしたんですかそれ」

「……まぁ色々あってな」


 苦虫をかみつぶしたような顔で椅子に座ったケイの隣には、べったりとイリュがくっついていた。やけに上機嫌で、離れようとしない。


「誤算だった……こうなるとは思ってなかったんだ……」

「えぇと、お疲れ様です……?」


 なにやら疲れ切った様子だったので、首をかしげながらも労いつつ、椅子に座る。

 既に朝食は並んでいた。イカっぽい海産物をぶつ切りにして煮込んだものと、海藻とキャベツのような葉もののサラダ。ドレッシングがかかっていておいしそうだ。


「んー……いいにおいです。食べていいですか、イリュさん?」


 漂うにおいに不機嫌そうなケイのことなどすっかり視界から外して、頬を緩める。


「どうぞどうぞ。海藻だけだと陸種のトリシャちゃんたちには微妙かと思って、普通のサラダも混ぜてみたの」

「ありがとうございます! いただきます」


 フォークのような食器が出されていたので、それで刺して煮物、サラダの順で食べてみる。海産物の煮物の味は色が白いもののタコに近い。が、やはりトリシャの食べたことのあるタコよりもはるかにうまみが強かった。サラダの方も、しょっぱさと酸っぱさのまじりあったソースが絶品だ。


「ああ、美味しいです……それにしても、主食は魚と言ってましたが……これも魚にカウントされるんですか?」


 タコ――と言っても伝わらないだろうと思い言葉を選んで言うと、ケイにタコもどきを食べさせようとしていたイリュは苦笑いを浮かべた。


「いいえ、これは魚じゃないわね。朝は手間がかかるからこういう軟体海産物を食べるの」


 ……また微妙に翻訳がおかしいことになってる気がしますが。


 どうやら固有名詞が上手く変換されにくいらしいと思いながらも話の続きに耳を傾ける。


「魚は基本的に殻がついているから、調味料につけてから皮をはいで、ぶつ切りにして……手間がかかっちゃうのよね」

「殻……殻がついた魚ですか」

「あら、食べたことない? 甲殻魚。魚って言えば甲殻魚だと思ってたんだけど、もしかして魚自体食べたことなかったり?」


 甲殻魚。

 ケイに目配せして情報を求めるが、軽く首を横に振られた。


「イリュ、よかったら甲殻魚ってやつを見せてくれないか」

「ええ、もちろん! あなたのお願いだったらなんでも聞いちゃう」

「ああ、うん、ありがとう……ははは……」

「本当に何したんですか」


 べたぼれどこの状態ではないイリュにますます何をしたのか気になるところだったが、ケイは話す気が無さそうだったので聞かないでおいた。

 やがて、席を立ったイリュが魚を持って戻ってくる。


「これよ。甲殻魚」


 皿におかれた甲殻魚と呼ばれる魚は、体長二十五センチほど、基本的な形態はトリシャの知る『魚』と同じだった。ただし体の上部四分の三ほどは青い殻で覆われていた。頭部はほとんど全部硬そうな殻に覆われている。


「殻はカニに似てますね。私、カニ食べたことありませんけど」

「殻はよく見ると分割されてるな……体の動きを妨げないようにするためか。殻のつなぎ目も完全に蟹のそれだな」


 頭を寄せてケイとともに魚を観察する。色々触ってみると、表面にはところどころ小さなトゲのようなものがついていた。とはいえそこまでとがっている感じでもなく、先端をつついても痛みは感じない。


「これ、生では食べないんですか?」

「んー、一応生でも食べられるんだけど、調味料に漬け込まないで殻を外そうとすると身がボロボロになっちゃうから。見栄えも悪いし、食べにくいから、基本的には調味料に漬けこんでから煮込んだり、って感じね」

「見た感じ、そこまで殻を外すのは難しくなさそうだけどな。イリュ、包丁あるか?」

「捌いてみるの? いいわよ」


 イリュが包丁と、石で出来たまな板のようなものをもってきてくれる。しかしそれを受け取ったケイは、包丁を見て顔をしかめた。


「これじゃダメだな。捌けるわけがない」


 渡された包丁は刃が四角い形をした中華包丁のようなものだった。ブツ切りにする分にはいいが、魚を捌くのには確かに合わなそうだ。


「イリュさん、包丁ってこれしかないんですか?」

「んー、私たちって手先が器用じゃないから、他の包丁って買っても上手く使えないの」

「そういえば昨日も手ではあまりしなかったな……水かきがついてるからか」

「? 昨日なにかしてたんですか、ケイ」


 ケイの呟きに疑問をぶつけると、まずい、という顔で目を反らした。代わりに、イリュが近くに寄ってきてトリシャの事を軽く抱きしめる。


「ふふふ、トリシャちゃんにはちょっと早いかもしれないわねー。大人の遊びをしてたのよ」

「……あ、なるほど」


 性的な知識は乏しいものの、父親に散々行為自体は行われてきたトリシャである。

 大人の遊びと聞いて、なんとなくどのようなことが行われ、なぜ今ケイとイリュがこのような状態になっているのか悟った。

 つまりは。


「ケイ、床上手だったんですね」

「いや、床上手なのはオレじゃなく――ああもう、説明するのも面倒な!」


 がりがり、と頭をかくケイ。そんなケイを見て、イリュは楽しそうに笑っていた。


「まぁ、床上手には見えないものね。それにしてもトリシャちゃん、意外とませてるわね」

「清純そうに思っていただいているところ申し訳ないんですが、これでも経験がないわけではないので。それで、どうしますかケイ。捌いてみます?」

「そうしたいが、この包丁じゃあなぁ……仕方ない」


 ケイは服の裾から背中に手を突っ込む。すると、どこからか魚を捌くための細長く鋭い包丁がその手に握られていた。イリュは驚くかと思ったが、大して驚いていなかった。


「何度見ても変な手品ね、それ」

「実際に種も仕掛けもないわけですから、余計変に見えるでしょうね」

「トリシャ、余計なこと言うんじゃない。とにかくこの包丁があれば捌けるだろ」


 早速魚に包丁を入れ始める。意外とどころかかなり手慣れた手つきで、まずは頭を落とし、次に殻のない腹の部分を裂いて内臓を取り出し、殻の間に包丁を差し込む。すると、薄皮のようなものと一緒に殻がはがれて行った。


「包丁で剥がす分には楽な仕事だな」


 少し口元を緩め、ケイは魚の殻を剥がしていく。つなぎ目も刃をたてて分断していき、残るは背中の部分に固定されている殻のみになった。


「ここは中が骨と繋がってるみたいだな……身ごと骨を切って落とすか」


 背中側の殻を、身を一部削り取るようにして切り落とす。殻と違って、内部の骨はそこまで硬くないようだ。パキリと軽い音がして、背中の部分がそぎ落とされた。


「イリュ、水もらうぞ」


 水道を使って、捌いた魚とまな板と包丁の血を落とす。それから改めて魚を切り身にして、皿に並べた。


「これでよし。食べるか」

「あ、待って。調味料がないと流石に微妙でしょ」


 イリュがサラダにかかっていたのと同じものらしいソースを持ってきてかけてくれる。

 それから、三人でフォークを構えて。


『頂きます』


 同時に口の中に刺身を放り込んだ。それぞれ咀嚼して、飲み込んで、それからイマイチ冴えない表情を見合わせた。


「なんか、いまいちだな」

「うーん、これはやっぱり煮物向けね」

「いまいち弾力がないですね。美味しいですけど」


 感想を聞きながら、トリシャはもう一切れ口の中に放り込む。魚はそこそこ食べた経験のあるトリシャだったが、珍しく元居た世界で食べた物の方がおいしいと思えるものだった。

 身の引き締まり具合が微妙なのだ。油は乗っているのだが、それが余計にもったりと嫌に口の中に残るような印象を与える。


「なんでこんな引き締まってないんでしょう」

「殻のつなぎ目が筋肉になってたみたいだから、そのせいだろう。外殻が動きの補助をしているから、外殻のない魚に比べて中身が引き締まってないんじゃないか?」

「となると、ものすごい速さで泳ぐ魚とか、たくさん泳いでいる魚ならもっとおいしいんでしょうか」


 居ます? とイリュに視線を向けると、あごに指を当てて考え込む。


「そうねぇ……たしか、大型の甲殻魚には常に泳ぎ回ってるのが居たはずよ。大型の甲殻魚には止まると死んでしまうようなのも居たはずだから」

「それって、今の時期でも泳いでます?」

「ちょっと遠くに出なきゃいけないけど、今はちょうどこの辺りを回遊してる時期だったわ、確か。……まさかとは思うけど、釣りにいくんじゃないわよね?」


 呆れたような、驚いたようなまなざしを向けられるが、釣りにいけるかどうかを判断するのはトリシャではない。

 トリシャがケイに視線を向けると、ふむ、と一つ間をおいて。


「やれないことはない。ちょうどいいから、練習がてら行ってみるか」


 一部言葉の意味はわからないものの、期待した返事が返ってきたのだった。

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