第一世界『密集都市 トーキョー[TOKYO]』 その4
×ケイ×
コーラとポップコーンとチュリトス(チョコとシナモン一本ずつ)を買って、ケイとトリシャは劇場内に入った。ぎりぎりだったようで既に本編前のCMが入っていたが、平日であるせいかあまり人は居なかったので悠々と席にたどり着く。
席に座ると、間もなくして映画が始まる。
「いいか、なにがあっても騒ぐなよ。言いたいことがあったら小声で言え。それが映画館のルールってものだ」
「流石にそのくらいは分かってますから、安心してください。あとさっき注意の映像流れてたじゃないですか」
「トリシャは常識が無いみたいだから一応な」
失礼な、と特に怒った様子も無く言って、始まった映画に集中し始める。
映画は女子高生が戦車に乗って部活動を行うと言う、アニメは有名どころをちょっとかじった程度のケイからすれば『何をどう捻ったらそんなアイディアでアニメを作ろうと思うんだ』と言いたくなるような内容だったが、面白かった。
特に戦車の駆動音は劇場のスピーカーのおかげで全身に響き、とても臨場感がある。
トリシャもそれは感じていたのか、CGの戦車の動きに合わせて音が響くたびに目を輝かせ、体を震わせていた。
そんなトリシャを時折観察しつつ、一時間が過ぎ。
やがて映画はクライマックスにさしかかる――が、ふとトリシャの様子がついさっきまでと違っていることに気付いてケイはスクリーンから目をそらした。
トリシャは、スクリーンを見ていなかった。
斜めに視線を向けて、他の客席を見ていた。他の客の顔を見ていた。
トリシャの顔に表情はない。何を考えているのかまったくわからない。
「トリシャ」
「え? は、はい、どうかしました?」
流石に気になって声をかけると、少し慌てたように返事をする。よほど他の客の顔を見るのに集中していたのか。
「いや、あまり他の客を見てるのは失礼だから、止めとけと思っただけだ」
暗いから大してわからないだろうが、それでも難癖つける人間というのは居るものだ。美人なトリシャだ、難癖つけられたあげく何をされるか分かったものではない。
無論、ケイが居るからそんなことには絶対にならないが、今後別行動をすることもあると考えればそういった部分を注意しておくのは大切だ。
「すみません……少し、気になって」
「なんだ、そんなに変な顔のやつでも居たのか」
「いやそうじゃなくて。――みんな、楽しそうだと思ってたんです」
楽しそう。映画が面白いから楽しそうだ、なんて単純な話でないのはすぐにわかった。
「なにを考えて、生きているんでしょうか。みんな」
スクリーンの中で砲撃が行われ、当たった戦車から降参の印が飛び出していた。
それを横目に、ケイは少し考えてから質問を返す。
「なんで急に、そんなことを思ったんだ?」
「……戸惑っているんです、多分。私の世界はずっとあの部屋の中だけで、閉じて、終わっていたはずなのに……想像の中だけだった、広がっていなかったはずの世界に飛び出してしまったから」
トリシャの心の中には、世界がある。
ケイが考える、ケイの基本となっている、様々な世界が組み合わされた立体パズルのような世界がある。
それは外の世界を認識しなかったから生まれた世界に対する認識だ。けど、それが本来ありえないことだと、ケイは理解している。
ありえない世界だと、わかっている。
ケイが作らない限りは、ありえない世界。けれどそんな世界観をトリシャが持つにいたったのは、あの部屋の中でトリシャの世界は閉じていたから。
閉じているが、しかし、それ故に制約なく、自分の内側に無限に広がっている世界。
それがトリシャの世界観を生み出した。
けれど今はそうじゃない。トリシャはケイが生み出した世界の中に入って、その中を歩き、認識している。
だから――戸惑うのだ。
閉じていた世界が、生が、人生の先が――開けてしまったから。
「一体、人は何を見て生きて行けばいいんでしょうか。ただ父と交わって、快楽を得て、食事をとって、眠って、映像を見て、本を読んで、眠って、交わって、食べて、眠って……その繰り返しだけだった私には……わかりません」
「……さぁな。知ったことか。オレは人間じゃないから、人が何を見ているかなんて知りたくもない」
心底思って吐き捨てる。
自分の根底に焼き付けられた記憶を想いながら、吐き捨てる。
産みの親の愚かな人生を、報われない生を想って。こうなって欲しくないと思いながら。
「だから、他人を見てオレが得た教訓を教えてやる。『楽しいこと』だけ見て生きていろよ。きっといくつも生き方に答えはあるだろうが……それだけは、絶対に正しい答えのひとつだ」
「楽しいことですか」
「そうだ。楽しみを求めて、そのために生きろ。目標のために苦にならないなら努力してもいいが、そうじゃなきゃ努力なんてするな。他に楽しいことをみつけてそれをやれ」
「ひどく堕落しそうな感じですね」
「人間なんて堕落してナンボだ。一握りを覗いて、堕落せずに求道する奴に訪れるのは破滅だけだ。求道なんてものは天才に任せておけばいい。凡人が極める道なんて間違ってるんだよ。大抵な」
「実体験ですか?」
「いいや。実体験ならぬ追体験に基づいた発言だぜ。認められたくて、愛されたくて、そのためには価値が無ければいけないと思った……『俺』という人間からのアドバイスだ」
男が居た。男は、自分が求めるものがどこにあるかわからなかった。
価値があれば、求めるものは手に入るという情報を得た。
だから道を極めた。価値を得るために。一人、ひっそりと、死を得るその瞬間――すべてが無駄だったと悟る、その瞬間まで、一心不乱に。
誰にも知られず死んだ男の人生に、一体どんな充実と意味があったというのか。
「楽しいことの先に、求めるものはある。苦悩しても楽しめるならその先はきっと正解だ。死にたくならない限りは突き進め。そうして充実した生だけが、きっと価値ある人生ってものだろ?」
「聞かれても私にはわかりませんって」
それもそうか、と少し加熱していた頭を冷やすように吐息を吐く。どうにも、ケイは自分の製作者のことを語ると熱くなってしまうきらいがあった。焼き付けられた想念が、無念が、胸の中で身を焦がすような熱を持ってしまって、熱くならずにはいられなかった。
「わかりませんけど……でも、それを探すのもきっと、それを考えるのもきっと、生きているうちにやるべきことなんですよね。私が今まで考えてこなかったのが、むしろおかしかったんですよね。きっと」
「ああ。考えろ。生き方の答えなんて、自分で出すしかない。死に際にだけその正否が天啓のように降りてくる。誰も死を迎えるまでは、その答えにたどり着けない」
二人同時に、スクリーンへと視線を戻した。エンディングの曲が流れ始めていて、画面の中では登場人物たちが達成感と喜びを得た表情をしていた。
「幸せそうです」
「作り話だからな。人生の正否を得てなおあんな表情が出来る人間はそう多くないとオレは思う」
「作り話でも、わかりやすい目標があるのは私にはありがたいです」
――いつか、あんな表情を。
そう小さくつぶやくトリシャの顔は真剣そのものだった。
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