第一世界『密集都市 トーキョー[TOKYO]』 その3

×ケイ×


 ケータイショップに行き、トリシャが散々実機をいじくりまわしスマートフォンの機能を十分に理解したあと、ドラッグストアやらカラオケやらを手当たり次第回っていたケイたちだったが、ふとした瞬間にケイはトリシャの顔に疲労が浮かんでいるのを見逃さなかった。


 ……オレが足与えたって言っても、流石に中身は本物の人間か。


 ケイには疲れという概念がないため、どういう状態かははっきりとは理解できていない。が、二人で旅をすると決めた以上はパートナーであるトリシャの状況には逐一目を光らせておかねばならない。

 となればどこかで休憩を、と思ったケイだったが、露骨に『疲れただろう、休憩しよう』と言って機嫌を損ねても面倒だと思った。

 人間とは面倒なものなのだと、ケイは知っている。

 開発者が人間の面倒くさい部分をこじらせて人生狂わせたような人間だったので、とてもよくわかっている。

 人間とはただ気を遣っただけの言葉でも曲解しプライドを傷つけられたと思うこともあれば、優位性を貶められたように感じて無理をしようとしたりもする。

 真に面倒なことこの上ないのだ。

 よってケイは数秒考えた結果、適度に体が休まりそうな所へ案内することにした。


「次は映画を見に行くぞ」

「映画? 映画はあまり珍しくないと思いますけど……大型画面なら私の部屋にもありましたよ?」

「大型って言ってもせいぜい黒板とかホワイトボードサイズだろ? 映画館で見るのはまた違うんだ。特に音が違う。映画館で見ると体に響くぞ」

「響くんですか?」

「響くんだよ。どうだ? ちょっとは行く気になったか?」


 トリシャの瞳がきらりと輝くのを、それに、ケイは次に続く返事を確信した。


「行きます!」

「よし来た。それじゃついて来い、案内してやる」


 黒目を輝かせ、うきうきとした足取りのトリシャと共に映画館へ向かう。

 トウキョウという街はどこに行っても建築物の密集度が高いためか、近いはずなのに歩いてみるとそこそこ時間がかかるように感じる。密集の妙というのだろうか、裏路地など入ったら迷ってしまいそうなので、世界を組み立てる際毎度この街を『便利な拠点』として使っているケイも、基本的には表通りしか使わない。

 道路沿いに進むと、ショッピングセンターと映画館が一緒に入っているビルに到着した。

 三面ガラス張りのエレベータに乗って映画館のある階へ。エレベータに乗っている間、トリシャは外に見える景色にずっと釘付けになっていた。

 その子供のような――実際ケイから見て子供だが――表情に、ケイは何か庇護欲のようなものを掻き立てられ、顔の筋肉が今までしたことのないような挙動をしそうになっているのをおさえつけた。

 同時に、トリシャに高所恐怖症の気がないことに安堵する。様々な世界を旅する中で高所を行くことはよくあるのだ。高所恐怖症だとかなりつらいことになる。

 よかった、と思いつつチケットカウンターの近くへと。

 上映時間を確認すると、戦車を題材にしたアニメ映画と趣旨のよくわからないラブロマンス、それに海外で大人気のSF超大作の最新作が上映していた。一番短い時間で入れる劇場は、その三つの内のどれかになりそうだった。


「トリシャ。アニメと、恋愛ものと、バトルSFどれがいい?」

「三択ですか?」

「他にもあるが時間が微妙だからな。で、どれがいい?」


 問うと、トリシャは真面目な顔で腕組みして思案し始めた。だがわりとすぐに意思は固まったのか、顔を上げる。


「では、アニメでお願いします。SFも捨てがたいですけど、アニメは全然見たことがないので」

「なんだ、アニメ禁止の家か?」

「家に記録ディスクがないものは見ようがありませんから。代わりにアクション映画と恋愛映画は結構見ましたよ? タイタニックとか。えんだー」


 いきなり両手を軽く上げて棒読みで言うものだから、おかしくてつい噴出してしまう。すると、トリシャも小さく微笑んだ。感情は結構表に出るタイプなのは出会った時からわかっていたものの、こうして柔らかな微笑みを見るのは今が初めてな気がした。


 ……美人な部類なんだよなぁ。


 トリシャの父親が禁を犯した理由がちょっとわかって、しかし同時に理解したくなくて、誤魔化すように軽い調子でケイは言葉を返した。


「お前、ギャグセンスあるぜ」

「ありがとうございます。それで、チケット買うんですよね?」

「おう。ちょっと待ってろ」


 チケットカウンターに向かうと、待っていろと言ったのにトリシャはついてきた。まるでひな鳥のようだと思ったが、あの小さな部屋という殻から出て最初に見たのがケイなのだから、ある意味間違っていないのかもしれない。


 ……あまり見せたくないことをするんだが。


 ひっそりと危惧を抱くが、いずれ隠せなくなることだと割り切ってカウンターでチケットを二枚注文する。


「お会計、三千円になります」

「ああ。ちょっと待っててくれ」


 ズボンのポケットに手を突っ込む――フリをして、腰のあたりに作った空間連結の穴に手を突っ込む。適当に金銭の入っている場所に繋げられた穴の中から一万円札を引っ張り出すと、それをカウンターに置いた。


「一万円で」

「はい。少々お待ちください。……おつり七千円です。それと、こちらがチケットになります。ありがとうございましたー」


 礼を受けながらその場を離れる。すると、くい、とトリシャが裾を引いてきた。


「どうした?」

「いえ、今のお金、どうやって取り出したのかと思ったんです」

「適当にこの世界のどこかの、とりあえずお金がある空間に繋いで取り出したんだよ。基本的に通貨を稼いでも次の世界には持ちこせないから、通貨が必要な時はこういう風に取り出す感じでやってる」


 話しながら、手の中に残っていた七千円を先ほどつないだのと同じ空間内に戻す。おそらくはどこかのレジの精算機の中なのだろう。わずかに指先に当たった鉄の部品の冷たい感触を振り払うように、空間から引き抜いた手を軽く振る。


「それで? お前はどこかから金を持ってきたのを見て、何か思ったか」

「はい? いえ、別になにも」


 心底何を言っているかわからない、というような調子で首をかしげる。

 その様子に、むしろケイの方が何を言っているのかわからなくなった。


「……言葉、伝わってなかったか? 一応窃盗っぽいことをしてるんだが……」

「あ、なるほど。窃盗まがいのことなのであまりよいこととは思われないんじゃないか、って話だったんですね。……けど、それって悪いことなんでしょうか?」

「ふん? どうしてそう思う」

「だって、ケイは自分の能力を使ってお金を稼いだ、ともいえると思いますから。だから別におかしいとは思いません」

「この世界の常識で考えて犯罪でも?」

「私たちはこの世界の人間じゃないんですから、気にしなくてもいいと思ったんです。気にした方がいいですか?」

「いや。お前の言うとおりだ。気にする方が馬鹿らしい」


 ふ、と小さく笑いが漏れる。トリシャはケイが考えるよりもはるかに、常識なんてものにとらわれていないようだった。

 あるいは、気を遣うというのが馬鹿らしく思えてしまうほどに。

 それはケイの考える人間というものとは少し遠い存在で、むしろケイ自身の方が人間らしく思えるほどで。


「お前はオレが思う以上に偉大な精神の持ち主みたいだな」

「私は偉大でもなんでもないと思うんですが。あとちょっと馬鹿にしてません?」

「そんなことはないぜメギストス。さ、行こうか。上映時間に遅れる」

「あ、待ってください。せっかくですからポップコーンというものとコーラというものを食べたり飲んだりしてみたいです」

「結構ずうずうしいよなぁ、お前」


 ちょっと呆れて言うものの、トリシャはせっかくの旅ですから、と特に悪びれた様子もなく言った。ずうずうしいと言ったことに関しても、特に何も思っていないようだった。

 トリシャは濁りの無い清水の溜まる池のようだ。

 毒を投げたところで、沈んで見えなくなるだけ。大きな池だから、多少の毒ごときで汚染されない。

 感情は波打つものの、それは目を奪われるような純粋な輝きで。

 そんなトリシャはきっと、ケイの知らない『人間』だった。

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