エピローグ 第2話 粟野了祐の場合
「ねえケーシ」
「なんだ」
「角の喫茶店、寄ってかない?」
それは茅ケ崎の誕生会からの帰り、了祐が自転車の前を走っている時の発言だった。
会はほのぼのとした雰囲気で終わり、俺はカロリーを消費するかと思ったがむしろ良い感じに充電された気分だった。紅茶は茅ケ崎がブレンドしたものだったらしく、器用な奴だとは思ったが、茶葉の缶を開けるのは父親任せだった。立てていた、と言う見方もできるが、大方手を使いたくなかったんだろう。ミントさんは仕方のない子ねぇ、と笑っていたが、やはり手伝う気はなさそうだった。親子だった。まさに親子だった。それは微笑ましいほどに。
「お前喫茶店寄っても食えるものないだろ、了祐」
「そうだけどさー、クッキーアソートぐらいならコーヒーがあれば飲めるよ」
「一人で行けよ。何だ、紅茶の次はコーヒーの気分なのか?」
「それもあるかな。茅ケ崎さんのタルト、美味しく全部食べられたぐらいの紅茶だったし。でもコーヒーも悪くないと思うんだよ、ケーシ」
「まあ、不味くはないな」
「という訳で一緒に行こうよ」
「何でそうなる」
「ケーシはコーヒーと紅茶、どっちが好き?」
どこか試すような雰囲気を持った質問だった、それは。
今なら解る事だが。
了祐は俺が茅ケ崎と了祐のどちらを取るのか、聞きたかったんだろう。
コーヒーと紅茶。
まあ、最近は抹茶派の自分であるが。
「どっちも、物によるな。甘さめいっぱいのコーヒーが美味い時もあるし、甘い物付きの無糖紅茶が美味い時もある。でも取り敢えず腹一杯だし、お前と一緒に喫茶店に入るつもりはないぞ」
「カプチーノ飲めばいいじゃない。適度に甘くておいしいよ、多分。僕にはちょっと甘すぎたけど」
「なんだ、入ったことあるのか」
菓子がメインの喫茶店なので、甘い物が苦手な了祐が行ったことがあると言うのはちょっと意外だった。しかもカプチーノ。まるで何かに歩み寄るような行為だったが、俺は自転車を漕ぐ足は止めなかったし、了祐もそうだった。甘食一つで頭痛がすると言う奴なのに。俺よりはるかにカロリー消費量は高いはずなのに、意外と小食なのだ、こいつは。
それがケーキの後にクッキーを、なんてのは、俺には筋が通らないことだった。何か悩みでもあるのか、信号で停まった了祐の後ろ頭を見ながら、俺は話し出すのを待つ。元々俺はそんなに他人に積極的な性質ではない。この自損事故大好きな幼馴染がいなければ、いくつの事件に関わらずに済み、何度の呼び出しを回避できたか解らない程だ。
だが了祐は何も話さない。俺が話しかけるのを待っているのだろうか。喫茶店は口実で、何か相談したいことがある? でもそれなら、別に金を払わずとも家に行ったり来たりすれば良い。そう言えば今年はまだ了祐の部屋に行ったことないな。物持ちだから、あの六畳間は物があふれて大変だろう。カメラで撮った写真の山もあるだろうし。一日一回以上は必ずパチリとやるのだ、こいつは。今日も茅ケ崎の後ろ姿を撮っていたし。プレゼントだってアルバムだったし。しかし、小さなとは言えアルバムに収めるほど了祐が茅ケ崎を撮っているとは知らなかった。もしかして好きなのだろうか。いつも俺とばかり一緒にいて、友達の心配はむしろ了祐に向けるべき質問だとも思う。部活に入ってはいるがまだペーペーだと言うし、趣味で把握している生徒は何人かいるらしいが、彼らと積極的な友好関係を築いていると言う事もない。俺は別に、この口うるさい友人が一人いれば特に問題もないが、了祐の方はどうなんだろう。まるでドーナツだ。中心に近いほど、孤独になる。俺はそれが心地良い性質だ。大事なものは少なくて良い。消費カロリーは最小限に。一応その大事な物の中に、このお騒がせな同級生も入っている。
了祐風に言うと、親友、か。
言葉にすると恥ずかしいから、知人と言う事にしている事も多いが。
さて、茅ケ崎の居場所はドーナツのどの辺りだろうと、俺は考える。
「お前が奢ってくれるなら考えないでもない」
走り出した背中に声を掛けると、一瞬振り向いた了祐は仕方なさそうに苦笑していた。
「ケーシはそうなんだもんなあ。そうやって友達を選別していくのは、ケーシの悪い癖だよ、本当」
「どういう意味だ」
「そのまんま。見返りはきちっと求めるよね、ってこと。茅ケ崎さんの事件は僕らが大きくした所があるからボランティアだとは思うけれど、怒られるのは僕任せって所が多かったじゃない」
「いや俺もしっかり怒られてたが」
「僕は弁明したけどケーシは沈黙を貫くじゃない。昔から変わらないよね、どうでも良い事には自己弁護に喋る事すらしない。ただその場にいるのが面倒くさくなって、低カロリーに事が終わるよう努める。もしも巻き込まれたら相応の対処はしてもらう。クラス全員に謝らせたりとか、ね。聞いた時は意外と気が強いなって笑っちゃったけど、あの時は」
「……何年前の話をしてるんだ、お前は」
「十年前」
歌うように懐かし気に了祐は言う。気が強い、と言われたのは初めてかもしれなかった。負けん気が強いとも思ったことはない。ただ身の回りで起こった納得のいかない事象を片付けさせられていただけだ、俺は。信賞必罰、迷惑を掛けられたらそれなりの見返りは求めて来た。主に了祐が。それこそ、中学の壁新聞のネタにするための聞き込みとして。俺にはまあ、ごめんなさいの一つがあれば良い。それすら要らない時は了祐任せで良かった。釣り合いの取れた、言うなれば磁石めいた関係である。それも文理選択で分かれると思うと、一人ぼっちの教室は、確かに少し寂しいのかもしれなかった。いや、絶対休み時間来るだろうけど。
信頼と言うのか信用と言うのか、了祐は俺を少し過大評価しているところが大きい。いつか茅ケ崎が言ったように、特別じゃない何処でもいる俺少年A、と言う奴だ。しかし古い歌だよな。よく知ってるな。死語趣味の一環か。少年A。今までの俺の扱いはそうだったが、高校生にもなるとそれで終わらないことも出て来るんじゃないかと戦々恐々だった。その時はこいつも道連れにしてやる、と、思ってはいるが。出来るか、俺に。コミュニケーション能力皆無に近いこの俺に。そして反対に弁舌マックスのこの親友に。
「それじゃケーシは変わらないままだよ」
ぽつりとつぶやいた了祐の言葉に、俺はきょとんとする。変わらない。それの何が悪いのか解らない。俺はずっと、それこそ十年前からこれで、お前の好奇心に付き合って来たじゃないか。それの何が悪いって言うんだ。変わらない。不変。別に困ったことはない。了祐が拾ってきた事件に適当に答えを付けて、それが当たっていたり外れていたりした。多分一年の間はまたそう言う事になるんだろう。変わらない。確かに俺は変わっていない。了祐に対して。
では新しく表れたファクターである茅ケ崎に対してはどうだと言うのだろう。
やっぱり了祐と扱いが変わっているとは、思わないのだが。他人は押しなべてそうだと、俺の自己観測は言っている。しかし誕生会に呼ばれる程の友人もいなかったか、そう言えば。それは良い事なのか悪い事なのか解らない。だが、もっと甘いチーズケーキも良いかな、と食べてみたくなったのも確かだ。角の喫茶店。ふむ。
「自腹で行ってやっても良いぞ、喫茶店」
「へ?」
「甘いチーズケーキも食いたくなった」
「茅ケ崎さんちで出たのもチーズケーキだよ、多分ケーゼクーヘンっていう奴だと思う。ドイツ系のタルト」
「あれ多分お前用に甘さ控えめだったぞ。だからもっと甘いのが食いたい。今度はコーヒーで。ドイツ系なら、多分そっちの方が美味い気がする」
確かドイツはコーヒーを飲む国だったと思う。あっはあ、と笑った了祐は上の兄が原付を買ったので御下がりに貰ったと言うロードレーサーを俄然加速させた。
俺はママチャリなので、それについて行くのに立ち漕ぎになる。
「スピード落とせ、よッ!」
「やーだね、自転車に乗ってる時は風の気分さ! ケーシはそう思わない!?」
「思わない! ちゃんと前見ろよ、子供が飛び出して来たら大変だぞ、その速さ!」
「あはははははははっ!」
機嫌良さそうに喫茶店に辿り着いた俺達が頼んだのは、オートミールのクッキーアソートと、ベイクドチーズケーキ、そして二人揃ってコーヒーでカウンター席に着いた。顔を見合って食うような仲でも無し、それで丁度良い。了祐はやはりあまり来た事が無かったのだろう、きょろりと店内を見渡していた。和紙を用いた電灯だとか、樫で出来た頑丈そうなテーブルだとか。その妙な収まり悪そうな様子に、誘った本人が何でこんななんだ、と俺は少し息を漏らして笑う。
「笑わないでよケーシ」
「誘った奴が物珍し気にしてたらそりゃ笑うだろ」
「いや、面白い雰囲気だなって。洋菓子屋さんなのに結構中が和っぽくて面白くない?」
「隣の和菓子屋だって洋菓子の試食くれるしな。多分和洋折衷がテーマなんだろ、お互いに」
そうだよ、と答えてくれたのはコーヒーを持って来てくれた店長さんだった。隣の和菓子屋さんのおばちゃんの、旦那さんだ。たまに茅ケ崎と来るから、顔見知りではある。あまり話に入って来る人ではないので、それは珍しかった。男同士で邪魔も何もないと判断したんだろう。男女だったら二人の時間は守る人だ。いや、俺は茅ケ崎はそう言う仲ではないが。
「料理学校で会ったのが縁でねえ、二人で貯金出してこの店を買ったんだ。幸い評判も良くって、お互い充実してるよ。専攻が違ったからこうして二つの味も楽しんで貰えるしねえ」
なるほど、縁とウマが合ったのか。そしてタイミングも。了祐は出されたクッキーを食べ、俺もチーズケーキを食べる。こってりした味だった。茅ケ崎の作ったケーキはあっさりしていたから、もしかしたらヨーグルトか何かを使って甘さと濃さを調整していたのかもしれない。どっちも、了祐の為だ。恐らくは。
「うん、このクッキーは甘すぎなくておいしい。ナッツが入ってるとコーヒー進むよねえー」
「こっちのチーズケーキも美味い。やっぱこのこってり感が堪らん」
同じタイミングでカップを取り、まだ熱いそれを一口飲み込む。口の中から温まったチーズがとろけて喉に向かって行くようだった。
趣味が合うんだか合わないんだか。
それでも俺はこの友人が、嫌いではない。
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