エピローグ 第1話 茅ケ崎夫妻の場合

「ばじるはあまり友達を作って来なかった子でね」


 茅ケ崎の誕生会、また紅茶のおかわりを作りに行った娘を見送って、時計さんは言った。


「学校の先生曰く、受け答えもするし教科書を忘れた時の貸し借りなんかも屈託なく行うそうなんだが、自分から他人に声を掛けると言う事はなく、穏便に人を避けているそうなんだ。そして多分それは、僕の所為だろう。電気車椅子はまだ目立つ代物だったからね。ろくな外出も出来なければ、外はそんなにバリアフリーに出来てもいない。アスファルトの傾きや段差もある。冬は雪が降ると溶けるまで外に出られない。それでもばじるは何かあったら小さい頃から、僕を優先してきてくれていたよ。カテーテルの袋がいっぱいになったら捨てに行ってくれたり、段差のある駅ではエレベーターを探してくれたりね」

 僕には優しい自慢の娘だよ。

 時計さんは言う。

「そんな風に僕のことばかり考えて来たばじるが男の子を呼びたい、と言った時には、正直嬉しくなってしまってね。同学年の男子、仕事で会った訳でもなく本当に普通に教室で仲良くなった友人。勿論どうしてそうなったかも聞いているよ。ちょっと変わった事件があったらしいね。そしてあの子は容疑者だった。君達は信じてくれた。良い人達なんだ、と言ってくれたから、僕達も快諾した。なあ、お母さん」

 話を振られたのはミントさんだ。茅ケ崎と同じ甘党なんだろう事は、なんと言うか、体型を見て解った。手袋は食事用の薄い絹の物、茅ケ崎が焼いたと言うチーズタルトをフォークで崩しながら、そうねえ、と優しく笑って見せる。ケーキは了祐の為か、甘さ控えめだったが、少しこってりとしたチーズの甘さを紅茶で流すとそれはするりと喉を通って行った。どうすれば美味しいものがもっと美味しくなるのか、研究に余念がない。了祐も気に入ったらしく、もむもむと食べていた。

 ミントさんは恰幅こそ良いが、茅ケ崎の大先輩である。茅ケ崎がこの道を追い掛けて行くと、こんな感じになるのだろうか。それはちょっと想像が出来なかった。長い髪をしてよく笑う彼女にじっと見られると、ちょっと茅ケ崎を思い出す。よくよく見ると母親似なんだな、と解る感じだった。かと言って時計さんに似ていないと言う事もない。鼻筋の辺りはそっくりだった。良い所が掛け合わされて、茅ケ崎はそこそこ可愛い娘に育ったんだろう。両親にとっては、すこぶる可愛い娘になったんだろう。顔だけなら俺だってそう思う。あの奇矯な性格が無ければ。もっとも、それを面白がって学級外の友人も多いようではあるが。だがそれでも、こんな風に家に呼んだのは、俺達が初めてなのだと言う。友達と遊びにも行かず、たまに何かねだったと思ったら、誕生日プレゼントだったとか。

 ちなみに本日の底の取れる便利なタルト型は、去年の誕生日プレゼントだったらしい。今年はティーセット、今使っている物で下ろしたてだそうだ。実用的物を好むのは、ちょっと俺と似ていた。了祐はネッシーの尻尾とか一角獣の角とかよく解らない物を事前にねだって来る事が多い。ちなみに俺達は別段家に呼んだり呼ばれたりする誕生会は開かない。学校で渡してはいお終いだ。今まで一番喜ばれたのが多分今年渡したカメラの三脚だ。手ぶれと言うのはいかんともしがたいので、教室の後ろの物置場ににいつも準備されている。って言っても、使ってるのを見たことはない。新聞部は大概提供された写真を使うからだ。僕の野望が、と泣いていたこともあるが、軽く無視してその三脚は今も学校にある。災害への蓄えか。一度準備したらそれで満足する。ちなみに了祐の写真は、あの絵の事件以来それほど役にも立っていない。

「ばじるはちょっと早い時期に、大人の世界に入っちゃったようなものだからねえ。モデル業界の競争率って結構凄いのよ。気が合わない同士のでもカメラの前では笑っていなくちゃいけない。ばじるはまだ手だけのパーツタレントだからそう言う事が少ないけれど、もし全身なんかを写す仕事になったら、それはすごく大変だと思うわ。何か支えがないとぽっきり折れちゃうぐらい。手タレでも下手に特定の芸能人に気に入られると嫉妬の対象にされるしね。身体で仕事を取ったんだ、とか。まあ、モデルなんだから身体で仕事を取るのは当然なんだけれど」

 そう言うミントさんは手タレの片手間、ちょっとそのなんだ、サイズが大きめな人用の服のモデルもしているらしい。にっこり笑う顔は確かに親しみがあった。角の和菓子屋のおばちゃんみたいに。年は向こうが上だろうけれど。

 チーズタルトを崩して口元に運ぶ。美味い。綺麗に五等分されたタルトを、紅茶で流し込む。確かにそろそろ中身が空に近い。

「お父さんの言う通り、他人に対してちょっと壁を作っちゃう子なのよ。小さい頃は本当にお父さん第一だったからね、それを理解してくれない子とは自然に離れちゃう。バイトの事もそう。芸能活動って色眼鏡で見られがちだし。だからその壁を壊してくれた二人には、とても感謝しているの。最初は男の子二人って言われて面食らったけれど、二人とも本当にばじるのお友達なのね。やり取りしてるのを見ると解るわ。私はばじるにそう言う心の許せる友人が出来たこと、本当に喜ばしいと思ってるの」

「……結構友達多いですよ、あいつ」

「でも、手袋の事を知ってるのは貴方達だけなんでしょう? 今時はUVカットで、とか言い訳できるけれど、学生時代は訝られるものだからね、やっぱり。茶化して誤魔化すのもちょっとは面倒だったりする。そう言う時、二人はあの子の休める場になると思っているの」

「休める、場」

 学校のクラス、隣の空き教室で三人揃って昼食を食うのは、嫌いじゃない。小麦粉の塊のコロッケパン、でたらめな自販機から時々出てくるコーヒー。了祐と顔を合わせて、俺達は苦笑いになってしまう。そんなにそんなに大きな存在であるつもりはないからだ。でもここに居るのは、茅ケ崎の一方通行の好意からだけではないとも言える。


 俺達は友達なのだ。

 それで良いと思う。


「俺達の中では、茅ケ崎は気安く出来るクラスメートですよ。面白いし、ヒーホー言うし」

「友達以上恋人未満って感じですね」

「了祐。アホなこと言わなくて良い」

「でもただの友達じゃないのは確かだと思うなー。手作りのタルト、お庭でお茶会、ご両親とも対面だよ?」

「お前はそれがブーメランになって自分に刺さる事に気付け」

「気付いてるよー。だから僕も茅ケ崎さんの特別にはなってみたいかもしれない。それってすっごく、面白そうだもん」

 面白さ至上主義、ミステリな日常を好む了祐には、トラブルメイカーな所が自覚無くある茅ケ崎は面白い観察対象なのだろう。そしてそれは俺もだ。なんだかんだ言いながら何か起こったら解決してしまう。そう、あの給食のワゴンの取り違えの時から、俺は了祐にとって興味深い観察対象であり友人なのだ。本人は親友だと言っているが、果たしてどうなのだか。一番近くにいるこいつですら時々は距離を測りかねる、この友人は。親友なんて心の深い所に置いたら怖い。でもこの十年、俺達は諍いごとを起こすほど見解の相違を見せたこともない。

 茅ケ崎が言っていたように、俺には了祐、了祐には俺なのだろうか。

 ニコイチの存在。

 でもそんな他人に寄りかかった生き方は、しない方が良い。

 裏切られて倒れた時に、起き上がるのが面倒くさくなるだけだ。

「本当、せめて同じクラスの間だけでも良いから、あの子の事お願いするわね。粟野君。鵜住君」

「……多分文系なんで同じクラスに放り込まれます。了祐、お前は理系だからさよならだろうがな」

「悲しいこと言わないでよケーシ! 僕だって自分の野望曲げてまで文系目指すつもりはないけれど、良い感じなミステリを見付けたら速攻メールするよ! って言うかいい加減スマホに代えようよケーシ、ライン便利だから」

「あー……次の進学の時に買って貰おうと考えてる」

「高校の入学祝はどうだったの、そう言えば」

「貯金してる」

「堅実な蓄財!」

「ふふふっ」

 ミントさんに笑われる。時計さんも笑っていた。俺達にとってはいつもの掛け合いだが、傍から見ると面白いらしい。スマホねえ。うちのクラスでまだガラケー使ってるのって俺ぐらいだろうな。否、背の高い男子が使ってるのも見た気がする。田中だっけ。同じクラスになって七ヵ月、前後左右に居たことのある奴しか覚えていない俺の貧弱な脳みそは、でかい身体でぽちぽちしていたその後ろ姿を思い出す。顔は――うん、まったく思い出せん。パーツがふよふよしているだけだ。

「本当、面白い二人なのね。ばじるが気に入るのも解るわ。二人にとってのばじるって、本当、ただのクラスメート? おばさん教えて欲しいなー、現役男子高校生と恋バナできるチャンスなんてめったにないだろうし」

「お母さん、男子は意外とシャイなんだよ。あまりつついてあげるのはおやめなさい」

「じゃあお父さんはばじるのお友達の事、気にならないって言うの?」

「恋バナを控えてあげなさいと言っいているんだよ」

「あらあら、うふふ」

 仲の良い夫婦だった。俺の両親が特別仲が悪い方であると言う事は全くないが、それでも仲の良い夫婦だった。

 見ているこちらが微笑ましくなるほど。

 こういう悪意とか邪気のない環境で育ったから、茅ケ崎はちょっと変な趣味ではあるけれど、背筋をしゃんと伸ばして前を向いて歩く少女に育ったんだと思う。

「あの、失礼ですが」

 了祐が問う。

「お父さんの脚は、どうなさったんですか? 交通事故か何かで?」

 座が温まって来た所で、その問いが出る。予測していたように時計さんは、その動かない足を撫でて見せた。

「酔っぱらい運転の暴走車に突っ込まれてねえ。家族三人で歩いていたのを、とっさに二人を突き飛ばしたら、ちょっと当たり所が悪かった感じかな。はじるが幼稚園に入りたて、三歳の頃の事だから、憶えてないだろうけれど、まあ物心つく頃にはこんな感じだったね。幸い商売道具の手の方は方だったから、お母さんと二人で食い扶持は稼げている感じかな」

「手先、器用ですよね。ケーシとばじるさんのがま口作ったり」

「手袋も編んだのは僕だね。手先だけは結構良いんだ。田舎の伝統工芸を継ごうとしていた時期があってね、その影響で」

「へぇ、何ですか?」

「こぎんざし、って言う、布に糸を通して補強がてら模様を作るものだよ」

「こぎんざし、っと」

 了祐がスマホで調べる。

「へえ、色んな模様があるんですね」

「そう、昔から細かいことが好きだったんだ。工房では専門的な作業――がま口付けたりね、そう言う事も出来るようになってる。よければ君の分も作ろうか、がま口」

「いえいえ二人の間には入れませんよ」

 俺には適度に意味不明だったが、ご両親は笑っていた。

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