第4話
俺と茅ケ崎の関係は、ただのクラスメートだ。だが以前、ある人物にお前も茅ケ崎が好きなんじゃないのか、と問われた事がある。ないなーと答えたが、確かに茅ケ崎は他のモデルに負けない程度には顔が整っているし、茶を煎じるのも美味ければ紅茶を淹れるのも上手い。趣味は主に部費を使った甘味巡りとあまり金の掛からない奴だし、時々了祐とつるんで悪戯をやらかす程度にはヤンチャだ。主に犠牲者は俺だが、あの絵の事件以来俺達の仲は急速に近づいていると言わざるを得ないだろう。
だが好きかどうかと問われると、それには閉口するしかない。高校一年の今まで、俺には恋愛経験と言う物が一切ないのだ。多分あのパンの事があって、心底から人を信じることが出来ないからなんだろう、と適当に自分に理由を付けているが――そしてそれが一因であるのは確信しているが――俺は云わばモブになりたいのだ。背景の、書き割りの住人。誰にも好かれず、誰にも嫌われず、誰にも認識されたくない。下手な事に巻き込まれたくないからだ。なのに十年来の友人はとにかく事件大好きだし、高校に上がってからは茅ケ崎と言うトラブルメイカーの塊に出会ってしまい、気に入られてしまった。ん。ちょっと待て。
俺はそもそも茅ケ崎に気に入られているのか?
誕生会に呼ばれたのは了祐も同じだ。
俺はどこかで、茅ケ崎の特別だと、勘違いしていないか?
それは――何よりも、恥ずかしい事ではないだろうか。
家の布団、寝巻代わりの着古したジャージでごろりと寝返りを打つ。茅ケ崎を意識した一番初めの事を思い出す。
俺は土足で外の自販機に向かい、あいつは音楽室でめいっぱいに菓子を広げていた。そして外から開けておいた窓に戻って来た俺に自販機に戻って何か甘い飲み物を買ってきてくれと言った。しかし俺はその自販機が壊れているのを知っていた。自分の手にホットコーヒーではなくホットアクエリアスなどと言う明らかに清涼飲料水と言うカテゴリに反した液体が出て来たからだ。だが自販機はそのフルネームの示す通りに、自動販売をする機械。自動的かつ機械なのだから、壊れてしても文句の付けようも無い。
校舎裏の職員駐車場近くにある自販機にまで足を伸ばしたのは、ひとえに学食のある別棟が昼時のラッシュで混み合っているからだ。目当てのものもなく無駄足になることも多々ある。教員生徒合わせて千人を超えるというのに、コーヒーが一種類しかない所為だ。これは学校側の怠慢であると論じずにはいられない――いる場合でもない。込み上げて来る欠伸を、俺は逃がした。
見上げれば、気持ちの良い秋晴れの空。
俺の席は、ばっちり窓際。
昼下がりはぽかぽか気持ちの良い陽気。
「これは、確実に、寝る……」
コーヒー様の魔力を求めたら、不条理に断られた。これは寝ろという思し召しか……次は体育なんだけれど、そう言ってもどうなるものでもないだろう。思し召しはありがたく受け取るべき、俺は踵を返す。あまり長居すると土足がばれてしまう。面倒ごとは避けましょう。
「校則二十八条別項一、校外に上履きで外出することを禁ず」
歌うように響いた声に、俺は視線を巡らす。
近くの窓から、茅ヶ崎が顔を出していた。
窓の桟に腕を重ねて、そこに顔を乗せているらしい。後ろに向かって角度の付いたおかっぱ頭に丸い大きめの目、それを細めてニヤニヤと彼女は笑っていた。不思議の国のアリスに出てくるチェシャ猫のように。
「ヒーホー」
「……ひーほー」
しゅび、といつものように手袋に包まれた手を挙げて挨拶する彼女に、俺も惰性で手を挙げ返す。何やら挨拶の言葉らしいけど、正直俺にはよく判らない掛け声だった。くふふふっと声を出して笑い、茅ヶ崎は俺を手招く。足を進めれば、校舎内の方が足場の位置が高いのか、見下ろされた。
「良いところに居たね、鵜住君。私も飲み物が欲しいんだ、何か適当にお願い」
「土足禁止なのにそいつを使うわけ」
「私は土足にならないからね」
もっともな意見だった。首から下げられた子供用のようながま口の財布を示され、そこから二百円を取り出して確認させる。自分で財布ぐらい開けたらどうなのかと思うけれど、気にしない。人には人それぞれの流儀があるのだと適当に納得する。了祐辺りには突っ込まれるが、俺はこれで充分なのだから構わないだろう。
もう一度自販機に向かう。並んでいるのは十弱の飲料水だけど、俺はそれを見て思わず唸った。コーヒーを買ったらアクエリだったのだから、アクエリを買ってもちゃんとアクエリが出てくるかは判らない。ホットのものは避けるのが良いだろう、炭酸飲料が暖まって出てくるのを考えると悲劇だ。適当にお願いされても困る、いや、頭を振る。何か指定されていたら、それもそれで厄介だ。
すべてがランダムになっている可能性もあるが、未知数だ。ポカリとコーヒーだけが入れ替わっていたのかもしれない。とにかく冷たいものを選ぶが吉。茅ヶ崎は甘いものが好きだったから、オレンジジュースで良いだろう。はずれても、飲めない物が出てくることはないと思うし。
コインを投入、俺はボタンを押す。がこんっと音がしたのを確認してから屈んでそれを引き出した。
冷たいコーヒーだった。
「……にゃろう」
業者に文句を付けたいが、十分で忘れる怒りだ。
俺は音楽室の窓に向かうけれど、そこに茅ヶ崎の姿は無かった。覗き込めばぺたりとカーペット状になっている防音材の床に座り込んで、食糧を広げている。キャンディやチョコレート、一人ハロウィン状態だ。俺が見ているのに気付くと、かむかむ、と手招く。さっきのように従うか――二本の飲み物を制服のポケットに突っ込み、懸垂の要領で窓の桟に手を付く。足を引っ掛けて、中に入った。これも完全に土足だけど、第三者よってに認知されない限りは犯罪は成立しないと倫理の時間に習った。茅ヶ崎も、言い付けるタイプじゃない。
「ヒーホー、ご苦労様」
「うい」
差し出した缶コーヒーに、彼女はむうっとした顔をする。分厚い手袋でそれを受け取り、恨めしげに俺を見上げてきた。何を求めているのだ。そんなにむっすりするな。頬を膨らますな。泣くな。
「イジメだ。あそこのコーヒー無糖なんだよ」
「自己弁護を申請します」
「許可」
「入ってるのがバラバラなのか壊れてるのか知らないけれど、ボタン押しても違うのが出てくるんだよ。俺も被害者だから、その辺を考慮して情状酌量してくれると嬉しい」
「何出たの?」
「コーヒー買おうと思ったらホットアクエリアス」
ポケットから出したペットボトルを示すと、茅ヶ崎は手を伸ばす。分厚い手袋にそれを握らせると、うん、と彼女は頷いた。
「物々交換で手を打とう」
「……ホットだぞ」
「ホットのコーラは風邪に効くらしいよ。だから清涼飲料水も人肌程度で美味しいんじゃないかとこの私は思う訳だ、ヒーホー。君はコーヒー欲しいんだから、これで万々歳でしょ。冷たくても文句を言えない男の子の極寒時代」
適度に意味不明だった。
「ボトルの蓋を開けてくれると嬉しい気分の女子高生」
「…………」
「うい、ありがとう」
俺は何故か座り込み、彼女の向かい側で冷たいコーヒーを飲んでいる。秋口のこと、少し寒気はあったが、その所為もあって眠気は良い感じに飛んで行った。茅ヶ崎は小さなハサミでパンの袋をちまちまと切っている。大量の菓子はコンビニ調達らしいが、何故主食のパンは購買なのか。この年頃の女の子の考える事は、きっと俺には判らないんだろう。
と言うか、俺の昼飯は教室なんだが。
「俺、教室戻るわ」
「ん。そんな座り込んで一息吐いたところで忙しないね、人生を急いぢゃいけないと思うよ若者。昔の人は言っている、時は金なり」
やっぱり適度に意味不明だった。
「昼飯置きっぱなしだからな。了祐も待ってるし」
「ああ、粟野君か。それは仕方ないことだね、それじゃばいびー」
しゅび、と茅ヶ崎は手を挙げる。
俺も手を挙げかけて、それを、止めた。
「茅ヶ崎、なんで一人でいるんだ、こんなとこに。友達と食えば良いじゃん」
「取り分が減る」
広げられた大量のおやつ。
なんて意地汚い奴だ。
「まあ、これはお礼で、あげるよ」
茅ヶ崎はぴょんっと、左手で飴玉を一個投げて寄越す。くるくるとビニール紙で包まれたそれは、イチゴミルク味だった。あまり甘いものは好きじゃないけれど、人の好意を無碍にするのもよくないし、貰っておくとしよう。さんきゅ、と小さく声を掛けると、ヒーホー、と返された。
ドアに手を掛け、俺は音楽室を出る。
茅ヶ崎の鼻歌が、聞こえた。
茅ヶ崎ばじるはクラスメートで、変な奴だ。
誰とでも仲良くやるし、良い意味でも悪い意味でも分け隔てが無い。
殆ど話さない俺まで、馴染んだ相手のように気安く使う。
溜息を吐いて、俺は飲みかけのコーヒーの入った缶を揺らした。
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