第3話
放課後の職員室に呼び出されたのは俺と茅ケ崎で、了祐は光画部とやらに写真を持って行った。教師は以前の茅ケ崎の事件で俺と了祐をこっぴどく叱った先生だったが、今回はその怒りのぶつけどころを探しているらしい。学校の平和を守るのが生活指導教師の役目だ、と思っている節があり、念のため隣の椅子で待機している教頭先生も、困ったように眉をハの字にしていた。
「目立つ置き方をしていた、と言う事はないのか?」
「むしろ服の下に隠していました」
「以下同文です」
「お前達が――なんだ、財布の共有をしていたのを知っているのは?」
「いません。了祐――粟野にも話していません」
「お前たちはなんだって両替なんかしてたんだ?」
それは俺も聞きたい。たまたま知り合った良さげな人物だから、以外に心当たりはない。
「お財布が重くなるからです」
「ああ、お前はそうか、手指があまり細かいことに向いていないんだったな、茅ケ崎。鵜住は?」
「ちょうど百円玉が十枚あったから両替してやったんです。偶然以外には特に理由もありません」
ばりばりとちょっと薄くなって来ている髪を掻きながら、ジャージ姿の体育教師も眉をくねらせる。彼の場合自分が担当している授業の最中に悪戯があったので、責任を感じて――はいないが、減点を感じているのだろう。写真の事についても問われたが、素直に事実を伝えると、ああ、と教頭先生が頷いてくれた。
「新しいメニューの開発を頑張っていると、おかみさんが言ってましたからねえ。茅ケ崎さんは甘い物が好きだったので、それで鵜住君に頼んだのでしょう」
「そうです。一口くれと言ったら肉食獣の眼で拒絶されました」
「茅ケ崎さんさんらしいことです。――それでその、写真はどこに?」
「粟野が光画部に持って行って分析を頼んでます」
「分析って、高校の光画部に何を求めてるんだか」
はぁっと体育教師が吐く吐息はたばこ臭い。運動してないで見てるだけだもんな、この人。だから腹がちょっとメタボリックなんだ。縄跳びでもやれば良いのに。俺は色々とトラウマがあるのでやらないが。小学校の縄跳び大会で引っ掛かり続けその度にカウントをゼロに戻し続けるぐらいには、迷惑な存在だった。思わず仮病で大会の日に欠席したら優勝してて、お前のお陰だと嬉しくない賛辞を貰った事がある程度には。と、ドアがコンコンと鳴る。
「失礼します――」
入って来たのは、了祐だった。
「おや粟野君、写真の具合はどうでしたか?」
「それが、画質が妙に荒いんで虫メガネとかと使ってみたんですけれど、どうやらこれ、相当古いガラケーで取った写真みたいなんです」
ガラケー。またの名をフューチャーフォン。今時いるのかそんなもん使ってる奴。みんなスマホに代替わりしたもんだと思っていたが、写真やメールのログが残ってて捨てられないと言っている女子がいたのを思い出す。女子はメモリーを大事にするんだろうか。俺は写真フォルダは空だが。そしてガラケーだが。動ける内は使っておかないと損じゃないか。それにスマホって基本料金高いし。本体も高いし。大学ぐらいになったら祝いとしてねだってみようかと思ってはいるけれど。
しかし今時ガラケーを常に所持している奴なんかいるんだろうか。思っていると、隣で茅ケ崎が鞄をあさっていた。
そして出て来たのは、ガラケーだった。
お前もか、セリヌンティウス。
俺もポケットから自分のガラケーを出す。
最近少し伸び始めていた前髪越し、うん、と俺達は妙な結束をする。
「二人もガラケーなんですか。これは犯人を探すのも、難儀ですねえ」
「犯人って言っても、金銭的被害は何もないんですよ、教頭先生。安易に生徒を犯人扱いするのは」
「プライバシーの泥棒ですよ、こんなのは。安全地帯から眺めてるだけで、本当に性質が悪い。しかし十分な証拠も不足している」
本当に性質が悪い、と教頭先生は汗で曇った眼鏡をいつものようにネクタイで拭いた。
「とりあえず喫茶店に行ってみて、どの位置から撮られた物か確認してみますね」
了祐の言葉に、教師二人は頷いた。
三人揃って学校を出ると、妙な圧迫感からやっと解放された感じで、揃ってはーっと大きな溜息を吐いてしまった。そうして歩いて角の菓子屋に向かうと、茅ケ崎が太い毛糸の手袋では遣り難そうに、がま口の中身を転がしている。そっと首が締まらないように引っ張って、いくらだ、と聞くと、三百円、と言われる。今朝両替した三枚を渡すと、ありがとう、と言われる。まあ、たまにはこんな節介も良いだろう。大体こいつは購買のおばちゃんや和菓子屋のおばちゃんに頼り過ぎだと思う。というか、信用し過ぎだと思う。財布を預ける相手は選んでいるのか。以前もあった事だが、俺で良いのか、それ。
角を曲がるといつものおばちゃんが立っている。こっち? と聞かれてふるふる首を振ると、じゃあ向こう? 隣の喫茶店を問われた。
「最近写真撮って行ってくれる人もいるからネットでも評判良くってねぇ。こっちも負けられないから、何か新商品頑張らなくっちゃ」
「あんこが良いと思います」と、茅ケ崎。
「マロングラッセが良いと思います」と、俺。
「あら、これは合体させると栗羊羹になるかしら。それも良いかもねえ、今の季節だと」
まさかの折衷案に、俺と茅ケ崎は目を合わせて、うん、と頷く。絶対食べにこよう。だが甘い物駄目な了祐は喫茶店で何を頼むつもりなのだろう、俺はカウベルのからころ鳴るドアを開けて喫茶店に入る。にこにこ愛想の良い店主さんともチーズケーキを食いに何度か訪れているから顔見知りだ。了祐だけがきょろきょろと店内を見ていた。
歪まないようおそらく樫で作られているナチュラルトーンの四人掛けテーブルが、仕切り越しに六個。さて俺達が座ったのはどこだったか、写真を見ると花壇があったので、花の見える席に俺と茅ケ崎は進む。腰かけると、ちょっと待っててね、と了祐が俺のガラケーを持って絵面の確認に出て行った。きょとんとした店主さんに、盗撮されたかもしれないんで、とは言えず、ちょっと本屋に行ってるんです、と嘘でもない嘘を吐く。今日は了祐の好きなミステリ雑誌の発売日だ。その間に俺はダージリンを、茅ケ崎は一枚サイズのふわふわしたホットケーキを頼む。メニューを見ると、それは二百五十円だった。ああ、だから三百円。そして溜まる五十円、と言う訳か。自販機や購買も使えば一週間で二十枚は決して不可能な枚数じゃない。って言うか。
……外手袋ぐらい外せよ。
「いつも来てるのか?」
俺は茅ケ崎に訊ねる。
「うん、あと購買のパンも食べる」
「よく太らないな」
「縄跳びで結構カロリー消費してるからね」
聞きたくない単語に、俺は少し頭痛を感じる。
「あとラジオ体操も一日三回やってる」
「それは効くのか?」
「一日の代謝カロリーぐらいには効くって聞いたことがあったような無かったような。父と母と私で一日三回やるよ」
「……ちなみにお母さんの名前は?」
「ミント」
弟か妹が産まれたら是非その名付け風景を見てみたい。見てるだけでハーブの名前が覚えられそうだ。ちなみに俺はピッツァ・マルゲリータが好きなので、バジルも大好きだ。カプレーゼとか心躍る。同じ名前の目の前のはともかく。
「なあ」
「んー?」
「お前直近でラブレター貰ったのいつ?」
きょとん、とした顔をされる。
「ないよ、そんなの」
ふうん。
目の前にやって来たパンケーキは、あらかじめ賽の目にナイフが入れてあって、フォークで食べられる状態だった。やっぱりここの夫婦は茅ケ崎のバイトの事を知っているらしい。それでも念には念を入れて、俺が食わせてやる。まるで小鳥の給仕だな、思っていると一瞬光るものを感じて窓を見た。
了祐がいるはずの場所に、その影がない。
同時に茅ケ崎のケータイが鳴る。店の中で行儀は悪いが、そう言う場合じゃない。
「はい茅ケ崎」
『粟野了祐は預かった』
「それで?」
『返して欲しければ、学校に戻れ』
終話。
聞こえていた俺はダージリンを一気に飲んでカップを置いて立ち上がる。しかし茅ケ崎はものすごい速さでフォークを繰り、一皿平らげた。俺は財布から五十円玉をジャラジャラと出し、足りなかったらまた来ますので、と茅ケ崎の背中を追い掛ける。急ぎ足の茅ケ崎は、まるでイギリス人だった。けっして走らない。或いは競歩の選手か? 追い掛ける俺は小走りになり――
学校に、戻った。
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