第二部 第1話

 茅ヶ崎とはそれ以降仲良く――なるほどの期間が無く、席替えでむしろ遠くなった。俺と了祐は何故か相変わらず席が近いのは、俺が突っ込みを入れていれば授業に滞りが無くなるからだろう。そう、俺達は分かれたのだ。元々あの事件と席の近さでしか繋がっていなかったような気もするが、取り敢えず分断されたはず。なのだ、が。


 朝学校に着くと、待ってましたとばかりに茅ケ崎にセーラー服の下に隠していたがま口の財布を取り出して隣の空き教室へ連れ込まれる。ずっしりと重そうに揺れるそれ。対して俺は百円玉が十枚なので中でちゃりちゃり言う程度だ。そのがま口は、茅ケ崎の父親――時計さんと言うらしい――タイムにバジルか――が作ってくれたもので、茅ケ崎のはちりめん模様、俺のは目立たないように黒ベースの星柄だ。ある日、茅ケ崎から頼まれたのだ、俺は。毎週月曜の朝は、両替してね。

 どうやら茅ケ崎にとって俺は友達という枠組みに入ってしまったようだった。まあそれはどうでも良いんだが、十円玉に比べてやたらと多い五十円玉は何なんだろう。使われていない机同士をくっつけて、しゃりしゃりんと小銭をひっくり返す茅ケ崎から見えるように、俺は二枚ずつ数えて行く。

「ちゅう、ちゅう、たこ、かい、なっと。んで十枚。ちゅう、ちゅう、たこ、かい、なで二十枚。取り敢えずこれで良いか?」

 問い掛けると茅ケ崎はにんまり笑ってありがとう、と言う。仕事上の理由で硬い物を持ったり引っ掛けたり出来ないのが茅ケ崎の面倒な所だ。俺はと言えばやたら百円玉をねだるので母に呆れられ、百五十円足すから自販機を使えと言われる始末だった。うちは小遣いは毎週月曜千円支給と決まっている。

「前から聞きたかったんだけど、そのちゅうちゅうって何? 鵜住君」

「数え歌。ばーちゃんに教わったから多分すげー古い」

「へえ。現代では二、四、六、八、十だもんね。主流は」

「タコ怪人と一時期虐められたことがある」

「ヒーホー。鳩だね」

「鳩?」

「鳩はどんなに集団を分けても必ずいじめっこ子といじめられっ子が出るそうだよ。かのパブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソはオリンピックの際に描き下しを頼まれ、皮肉として鳩を描いたが、それで一気に鳩は平和の象徴として広まったって言うから、皮肉に皮肉が重なったものだよ」

「……アリの群体を分けるとどうやって分けても必ずサボる奴が出て来るって言うのは知ってたが、そっちは知らなかった。って言うかお前よくその名前舌を噛まずにすらすらと覚えてるな」

「脳の無駄遣いは得意な方、私です。ヒーホー」

 と、無駄口を叩いていると、SHRの時間を知らせるチャイムが鳴る。

 すたすたと出て行く茅ケ崎の財布は、いくらか軽くなったのだろうか。しかしそう言えば――。


 俺が思い出したのは『五十円玉二十枚の謎』と言う、俺が生まれる前に刊行された本だ。毎週金曜日――だったかはよく覚えてない――に、五十円玉を握り締めて千円と両替しに来る老人の話だ。とある作家の実体験で、沢山の作者が回答を集めた本だった。のちに文庫化され、その際にまた追加があったはずだが、俺は滅多に本を読まないのでハードカバー版一冊で終わっている。茅ケ崎も同じではないか? 大量の小銭、五十円玉だけの交換。いかん、朝からこんなにカロリーを消費してたら速攻会いたくない奴に突撃を――

「ケーシっ! 朝から浮かない顔してるね、大親友の僕がその謎に立ち向かってあげても良いよ!」

 突撃を、食らった。

 げふっと思いっきり背を叩かれて、俺は咳き込む。こいつの場合は朝だからテンションが高いわけじゃなく、常にハイなのが実に迷惑だった。十年も付き合いがあると慣れるのだが、慣れない人間にも同じテンションでぶつかって行くから、人間手榴弾である。いや俺は投げてないが、どうにもこいつとはニコイチ扱いされる。割と腹立たしいが、折角の朝飯が消化されてしまうので興奮はしないでおこう。取り敢えず、席に着く。

「で? で? 今日こそ茅ケ崎さんと進展はあったのかな、ケーシっ」

 ニヤニヤと悪い笑顔で訪ねて来るのをしれっと無視して、俺は学ランの内側にがま口の財布を突っ込む。これについても『お揃い? どういう事? 二人に何か進展があっちゃったってこと?』と大層しつこく聞かれたが、合唱大会の指揮者に選ばれて以降は幾分大人しくなった。任された事に忠実なのは、こいつの数少ない美点だと思う。ちなみに合唱大会は金賞だった。それにより、クラスの了祐を見る目が少し変わったと思う。そうそう、トラブルメーカーだけど、やればできる子。実際成績も常に学年五十位以内に入る程度には頭も良いのだ。暗記に強い。俺としては歴史はもうちょっと近代やった方が良いと思うんだがなあ。ゴシック様式の柱の特徴はーとか、正直すげーどうでも良いと思う。

「何もない」

「うっそだあ、登校直後に空き教室に行く仲なんだだから何かがあるはずに決まってるじゃんかー。言えよーそれとも十年来の親友である僕にも言えないことを!? ケーシの不潔! エロ助! あんぽんたん!」

「あー、SHR始まってるの気付いてるか、粟野に鵜住」

 先生の声に、慌てて了祐は椅子を戻す。俺は関係ないのに何故名前を呼ばれねばならんのだ。解せぬ。くすくす笑うクラスメート達にも、俺と了祐はいざとなったら助け合える腐れ縁、と認識されているようだった。実に、実に不本意だ。

 だが茅ケ崎は俺達の事など眼中にないようで、今日もファイリングされたチラシとにらめっこしている。季節のケーキなんかが食べたい頃なんだろう、恐らくはそのチラシだ。茅ケ崎はすこぶる甘党で、だがバイトの為に太る訳にはいかないので、このにらめっこが彼女の唯一平和な時間なんだろう。全部は無理だけど、一個か二個なら。俺としては毎日学校に持って来ている菓子の量を減らせばいくらでも食っていい気がするのだが。そして思う。近所のケーキ屋のチーズケーキが食いたいと。

 一度茅ケ崎にメールを受けて――アドレスは了祐が漏らしたらしい――茶道部に甘味を出してくれている店に呼び出しを受けたのだが、用があるのはその隣の喫茶店だったそうで、ナイフもフォークも持てないから食べさせて欲しい、と真剣な顔で三段ホットケーキを前に頼まれた時は流石に呆れた。女子に頼めよ、と言ったが、あまりバイトの事を漏らしたくないのだそうだ。確かに女子は『ここだけの話』が広がりやすい。その点男子は割とそう言うのに鈍感な所がある。パーツタレントよりはグラビアのねーちゃん、みたいな。しかし茅ケ崎は顔も整っているのだからパーツに拘らなくても良い気がするのだが、『メイクされた後のクレンジングが面倒くさい』、との事だった。一度小さい雑誌に顔見せで載ったことがあったらしい。しかし、中高生女子にとってメイクや雑誌と言うのは結構な憧れじゃないだろうか。思って、はっとする。そうか。やっかみを買いたくないんだな、あいつは。処世術が出来ていると言うか、なんと言うか。

 しゃりん、と学ランの中で鳴る五十円玉二十枚。茅ケ崎は札があまり好きではないらしい。昔ピン札で指を切ったことがあるからだそうだ。では何故五十円玉を捨てて百円玉に走るのか。ささやかだ。とてもささやかだが、気にはなる。さりあえず五百円分の行き場所は決まっている。購買と自販機だ。それが毎日続いたら? うとうとと頭が鈍って来る。俺は現文の準備だけ整えて、二度寝に走ることにした。

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