第8話

 名探偵、皆を集めてさてと言い――と言うほどに俺も慢心してはいない。部活の時間、だがしかし茶道部部室には鍵が掛けられている。内側からしか、と言うのはここが昔は宿直室だった頃の名残なのだろう。思いながら俺は面々を見渡す。

 教頭先生。美術部顧問、加糠先生。美術部部長、佐屋雪枝。

 不良新聞部員、粟野了祐。

 そして被疑者、茅ヶ崎ばじる。


「鵜住君、これは一体――どういう催しなのかな? 君が何も言わずに聞いて欲しいと言うからこうして部室も提供したし、加糠先生や佐屋さんにも来てもらったが、流石に鍵を掛けられると私も――」

「すぐに終わると思うので、もう少し辛抱してください、教頭先生。……えーと」

「ケーシはえーと、が来ると長いんだよなあ」

 茶化す了祐に睨みを利かすと、くすくす笑って肩を竦められる。おーコワ、なんて言いながら、この状況に一番慣れきっている奴が何を言うのかと思う。中学の頃から渦と泡の泡沫コンビなんて言われ方を一部でしていたのも、こいつの所為だ。こいつがあることないこと――ほぼ『ないこと』である方が多かった――をあちこちで言いふらすものだから、悪名が名だたる。だがこいつのお喋りは、無罪の発布にも使える事を、腐れ縁の俺は知っている。

 元々茅ヶ崎に容疑を掛けていることを学校中に知らせたのは俺達なのだから、その汚名を雪ぐのも俺達の役目だろう。思いながら俺は、昔は布団なんかを入れていたんだろう押入れを見やる。そうすると、加糠先生が少しヒステリックに高い声で俺を呼んだ。鵜住君。

「結局何なの、この集まりは。私だって佐屋さんだって部活があるのよ。顧問と部長が揃っていないなんて、他の生徒にも示しが」

「示しがつかないのはそこだけですか、加糠先生」

「なッ、」

「心当たりがあるんでしょう」

 こめかみの辺りに青い血管を浮かせた美術教師は、石膏像のように白くなる。その隣で美術部部長は無表情っぽく窓の方を眺めている。雀の声が少しだけ聞こえた。了祐は笑いを引っ込めて、茅ヶ崎は乳児用の爪切りで飴玉の袋を破きながら、俺の声を聞いていた。教頭先生は俺に座を任せることにしてくれたらしく、腰を据えて俺の方を見ている。

 有難い事だ。茶々を入れられないと言う当たり前のこと一つでこんなにも世は平和だと、了祐辺りにじっくり知ってもらいたい。

 まあ、それはそれだ。俺は持って来てあった卒業アルバムを座っていた隣から取る。毎年違う色だからそれと気付いたのだろう、加糠先生が眼を見開き、やはり佐屋先輩は外を見ていた。

「こうして集まってもらったのは絵の件で、と言うのは教頭先生に聞いてると思うんで、大部分は端折ります。――茅ヶ崎、お前は確かあの朝あの絵に」

「睨まれてる気がひひゃ」

 この状況で暢気に飴玉を頬張れるお前に脱帽するよ俺は。

 睨む気もうせる。

「……と、一年でも大分早い時間に登校する茅ヶ崎の意見がこれです」

 佐屋先輩は窓を見る。

 その眼尻はきりりと上がっていて、凛々しい顔立ちをしている。

「これは間違っていない。事実絵は先日までと様相を変えていた。目が釣り目掛かり、口元も笑みではなく一文字に結ばれていた」

「な、何を根拠に!」

 加糠先生が怒鳴る声が部室に響く。

 鍵を掛けておいて良かったと、俺は思う。

「根拠はこれですよ」

 俺は卒業アルバムを取り、あらかじめ付箋を付けておいたページを見せた。

 それは、事故で自主退学した佐屋秋乃への書き寄せだった。

「主だった書き込み主は陸上部、美術部。彼女は兼部していた。暗くなると練習が出来ない陸上部を優先し、その後は美術室で作品を手掛けていた。そしてその時戸締りの為の鍵を預かる部長は貴方だった。そうですね、加糠先生」

「そ、れが」

「では訊きます。佐屋秋乃は、どんな絵を描いていたんですか」

 予想通りに彼女は青ざめる。

 佐屋先輩は、佐屋雪枝は、少し嗤ったように見えた。

「二人きりで部室にいたなら解るはずです。彼女はどんな絵を、描いていたんですか」

 事実二人きりだったのかは解らない、それでも他に部員がいたとは考えられなかった。そうだとしたら、『それ』は不可能だからだ。だから彼女は口ごもる。だから彼女は嗤笑する。

「それは自画像だった」

「ちが、」

「佐屋秋乃は自画像を描いていた。陸上部らしい短髪に、学校の制服。背景は美術室の窓辺。そして彼女は事故に遭う。描き掛けのポートレイトを部室に残して。そしてあなたは魔が差した」

 俺は一つ目の推理を告げる。


「あなたは佐屋秋乃の自画像を、自分にすり替えた」


 教頭先生は肩を落とした。もしかしたら勘付いていたのかもしれないし、単純にその反応から悟られる事実に落胆したのかもしれない。

 佐屋雪絵は声に出して、クッと嗤った。

「釣り気味の眼元を柔らかくして、口元は微笑に。それから髪型を変えれは、簡単に事は済んだ。六年。十分すぎる時間、あなたは自分の絵としてあれを顕示し続けた。だけどそれを許せない人がいた」

 加糠先生はびくりとして、そろそろと隣に座る佐屋雪枝を見た。

 茅ヶ崎は飴を噛む。

「佐屋秋乃の妹は、それが姉の自画像である事を知ってしまった」

 理由は解らない、学園祭か何かでやって来た姉が展示されている絵を見たのかもしれないし、書いている途中の絵を雪枝が見ていたのかもしれない。だがそれが露見する為には、必要な儀式があった。

「油絵は削ると下に描かれた部分が露見する。勿論繊細な作業だ。だからまず貴方は、眼尻から始めた。ペインティングナイフを使って、肌色をそぎ落として。そうですね、佐屋雪枝先輩」

 くすっと今度は悪戯気に笑った先輩は、威風堂々とした様子で胸を張る。

「証拠はあるのかしら。確かに私は佐屋秋乃の妹よ。だけどあの絵が姉の自画像だと知っていた証拠はないし、大体そうだとしたらあの絵の顔が引き裂かれている意味が解らないじゃない。知らしめたいと思ったなら、何故そんな事をしたの? あれじゃあどうしたって、修復不可能じゃない――どうにしたって、どんな顔にだってッ」

「そうでもないですよ」

 言って俺は、学生服のポケットから写真をばらまく。

 粟野が撮った、あの朝の写真は、鮮明に絵を写していた。

 アップの部分が多いのは、必然的に切裂かれた顔の部分が多い。

「粟野があの朝生徒が集まる前に撮ったものです。右目は完全に潰されているけれど、左目は微かに釣り気味なのが解る。あと、歪んだ絵の具が剥がれたのか、ショートカットの髪の名残が出て来てますね」

「――」

「あなたは顔を明かした。そしてそれを再び覆ったのは――加糠先生ですね」

 彼女はもう、言葉もない。

 佐屋雪枝は尚も続ける。

「貴方達が最初に疑った、茅ヶ崎が犯人でない理由は?」

「簡単なことです」

 俺は立ち上がり、茅ヶ崎の頭を掴む。

 一拍、床に叩きつけた。

「鵜住君ッ!」

「ちょっケーシ!?」

 無防備に、無防備すぎるまでに額を畳にぶつけられた茅ヶ崎は、そのまま腹筋の力だけで居直る。赤くなった額に少しばかり罪悪感があるが、まあ真実に至るためには多少の犠牲は付き物だ、と言う事で。

「一拍、俺は猶予を与えました。それでもなお、茅ヶ崎は無防備『過ぎる』ほどに頭をぶつけた。どうして手で押さえたりしなかったのか」

「それは、」

「それは。『茅ヶ崎ばじるは手を使えない理由がある』」

 俺は卒業アルバムの下に置いていた、一冊の雑誌を手に取る。ありきたりな女性向けファッション雑誌、そしてその裏表紙には口紅を持つ滑らかな手のアップ。ただしそこには、一つだけ看過できない特徴がある。

 俺は茅ヶ崎の右手を取り、少しだけ手袋を捲って見せる。

 長すぎる生命線。それは二つの手を、同じに見せる。

「こいつ、パーツタレントなんですよ」

 佐屋雪枝も知らなかったらしく、ぽかん、と口を開けていた。

 その中で、くくくくくくっと茅ヶ崎は笑い出す。手を取り返し、捲られた手袋も直し、そうしてから俺を見る。

「よく解ったね、鵜住君。確かにその通り、その写真の手は間違いなくこの私茅ヶ崎ばじるちゃんの物なのだ」

「俺からすれば、手首まで生命線が伸びてる手に気を遣う女が二人もいる方が不自然だったんでな。昨日は色々試してた、正直すまん」

「素直なあなたを許してあげる心の広い私」

「有難きお言葉、ヒーホー」

「ヒーホー」

「ヒーホー」

「ちょっとそこで完結しないでよケーシッ!!」

 流石に粟野が茶々を入れた。

「じゃあ何、茅ヶ崎さんはだから尖ったものを持たないしドアも手で開けない、閉めない、そういう事!?」

「そう言う事だ。ヒーホー」

「ヒーホーはもう良いよ! つまり茅ヶ崎さんは刃物が持てない、」

「ペインティングナイフなんかも持てない。だから高校では美術部に入らなかった」

 そこまでは推測だったが、茅ヶ崎は否定しなかった。

 まあ、殆どの事は推測でしかなかったのだが。何もかも。何も、かも。

「茅ヶ崎が言った、角の喫茶店のチーズケーキの匂いがしたってやつ」

「ああ、あれ?」

「あそこのチーズケーキにはカルダモンって言うスパイスが入ってる」

「それで、」

「それは佐屋雪枝のシャンプーの匂いなんだ」

 そう、あれはとてもささやかな密告だったのだ。

 あまりにも、あまりにもささやかすぎて、密告されている本人にすら解らない物だったけれど。

「それじゃあ、後は任せます。教頭先生」


 言って俺達一年生は、ドアの鍵を開けて外へと歩き出した。


 久し振りに消費したカロリーを補うべく、俺は角の菓子屋で甘食を買った。十五個入り三百円と言う手ごろさに加えて案の定お隣のサンプルであるケーキを摘まませてくれたが、今度は生クリームが程よく馴染んだものなのに、中々悪くもなかった。これが本物の生クリームと言う奴なのだろうか、ばじるちゃんもね、とすっかり顔見知りであるらしい二人は、あーん、と爪楊枝に刺さったそれを与られている。付き合いの長い佐屋雪枝より、この店の方が茅ヶ崎に関しては詳しいんじゃないかと思わされる一場面だ。

 それにしても、と俺の甘食を一つ横取りしながら、了祐は茅ヶ崎を見る。

「こんな近くに芸能人がいるとは思っても見なかったね。よく気付いたよねーケーシ、でもその前に僕には教えておいてほしかった。今から繋ぎたい、芸能人へのコネ」

「残念ながら私はあまりゲイノージン様との絡みはないのだ、粟野君。パーツタレントなんて地味なものだ、たまに共演があっても名前など覚えてもらえない。大体私なんて母のコネ扱いなのである、ホーヒー」

「えっ何それテンション下がった時なのホーヒーって。お母さんって?」

「元々母がパーツタレントなのだよ。それで自然に手を気遣っていたら綺麗だって事で中学からぼちぼち始めたの。本格的な活動は高校からで、だからこんな感じに手をガードし始めたのであるらしいところだよ」

「お前のその自分の事なのに他人事みたいな癖直しとけよ、無駄に疑われるぞ」

「ヒーホー」

 くすっと珍しく笑った茅ヶ崎に、了祐はブーイングし、俺は溜息を吐く。

 久し振りに大量消費したカロリーは、一体何のためだったのか。了祐の好奇心の為でないのは確かだが、会議に疲れ切っていた教頭先生の為ではないし、盗作しただろう加糠先生や、それを知らしめようとした佐屋雪枝への手伝いでもない。強いて言えば茅ヶ崎への疑いを持たせてしまった自分達の尻拭いだが、その中心にいたのはやはり――茅ヶ崎ばじるだと、思っている。

 仕方なかった、俺達が彼女を陥れるような事にはなりたくなかった。加害者になりたくないのは幼児体験によるものなのだろうが、それにしたって今回は頑張り過ぎた。実に一年振りにもなる大舞台に、俺は頭を押さえている粟野の靴の踵を踏む。

「なっ何すんのさケーシ、って言うかそのパン甘くない!?」

「甘食が甘くなくてどうする。人から勝手に取って行った報いだ、愚か者め」

「ひどっ! もーなんか踏んだり蹴ったりだったよー、せーっかく真実に辿り着いても口外法度なんでしょ? 折角だから新聞部の先輩方には解決しましたメール打っとくけど、ほんっとくたびれ損」

「損したのは主に俺でお前は何もしてないだろうが」

 大体新聞部の先輩方って、お前程でなくても口が軽い方だろうが。


 加糠先生の進退や佐屋雪枝への処分など知った事ではないが、取り敢えず噂が広がって茅ヶ崎への疑いが失せるのならば良いのだが、なんてらしくなく思いながら俺は甘食を食う。本屋の前を通り掛かれば、まだあの雑誌は売っているらしかった。と、茅ヶ崎がそれを裏返して自分の手を表にする。

「……そのアピールは、どこに繋がるんだ」

「どこかの誰か清く貴く美しい人に拾われたら感謝感激雨あられな気分」

「そーかよ」

 残念ながら俺は清くも貴くも美しくもなかったが。

 まあどうでも良い。取り敢えずやたら狙ってくる手に甘食を奪われないようにするだけだ。

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