第4話
昼休み。
了祐は全開だった。
全快ではなく、全開フルスロットル。
「やっぱり僕は、茅ヶ崎さんが怪しいんだと思うんだよね!」
「唾飛ばすな」
握りこぶしで力説する了祐から離れ、俺は購買で買ってきたコロッケパンに噛み付く。場所は教室の隣、かつて一年九組と呼ばれた場所だ。少子化の煽りを食らって現在は空き教室になっている。俺達の昼食はいつもここだった――ひとえに、了祐の地声がでかく、かつテンションが高く迷惑なことから。
さてこの昼食、炭水化物と炭水化物のコンボは何か食事として間違っていると感じることが少なくはないのだが、ソースの味があれば何とか誤魔化されてしまう気がするのだから不思議だ。ソースには何か不思議成分が入っているのかもしれない。酸味とか。
「なんでケーシはそうローテンションなのかなぁ、ミステリだよミステリ、久々にこの人生に歯ごたえのある謎が降臨しようとしてるって言うのに、その血は騒がないものなのかい? 中学時代に電波受信アンテナと呼ばれてたケーシは何処だ!」
「そんな奴は最初から居ない」
そもそも呼んでたのはお前だけだ。
「笹本瑞希のセカンドバッグ紛失事件、鈴鹿恵一の教科書盗難事件、皆本校長のヅラ変わり事件! 色々あったねぇ、ケーシといるとネタに不自由しなくて良かった。実に良かった。僕は原稿書きたい放題だった」
「そして生徒指導室の常連だった」
校長のヅラはいくらなんでも、壁新聞の記事としてアウトだったろう。
腰を折られた了祐はむっすりと、焼きそばパンに齧り付いた。早速紅生姜に当たったのか小さく顔を顰め、コーヒーを飲み込む。冷静に考えると悪そうな食い合わせだ、小学生も、どうして牛乳で白米を食えるものなんだろう。俺は気持ち悪くて、最後に一気飲みだった。
徒然と思考を遊ばせているのは、とても簡単で省エネルギーな暇つぶしだと思う。あまり自分のエネルギーを使うのが得意な方じゃない所為もあるだろうが、多分俺は限りなく消極的な人間なんだろう。いつか了祐に言われたことには、感情の沸点が高すぎて興味の対象が限られすぎているのだろうとの鑑定だったが、自分でもそれはしっくり来ていると思う。大概のことはどうでも良い。
適当に納得して損をするような出来事なんてこの人生にはそうそう多くは無いのだ。数学の公式以外は、適当なこじ付けを添えてやるだけでなんの不思議も無くなる。今回のことだって、用務員が運んでいた脚立を引っ掛けたとか、苛められっ子が癇癪を起こしたとか、見られるのに疲れた絵の悲しい自決だとか、色々考えられることなのだ。適当には。
俺はきっと周りの人間に比べると、新幹線と機関車ぐらい違う燃費の悪さを誇る人間なんだろう。勿論俺は機関車だ。そうなったら興味の沸点が高くなるのも必然、カロリーを消費するような行動は、本能が避けている。実に合理的な身体の反応だ。了祐のように色んなことに突っ走る迷惑な性格に少しだけ憧れることも三年に一度ぐらいはあるが、こういうのが俺のリズムなんだろう。ねむねむ。
「――から、頼んだからね、ケーシ」
「んぁ?」
しまった、半分寝ていて何も聞いていなかった。
最後の言葉の断片しか聞こえなかった俺は聞き返すように了祐の顔を見るか、奴は既に五百ミリのコーヒーのパックを綺麗に潰して立ち上がるところだった。にこにことご機嫌な様子は、――不本意見慣れた、『性格の悪い顔』。
嫌な予感がする。とても、嫌な予感がする。
「だから、茅ヶ崎さんの見張り。何かボロを出すことがあるかもしれないじゃないか、そういうのをすかさず目撃して僕に教えるのが君の使命なのだよワトスンくん!」
「だが断る」
「拒否権はない! 高校では大分燻ってたからね、トップ屋根性が轟き叫ぶ! 光って唸る!」
「……断る」
はあっと溜息混じりに俺が声を低くすると、了祐はムッとした様子になった。こういう時は引き摺られるから、冷静に対応しなくてはならない。そうでないと、俺の大切なカロリーが無駄に消費される。中学時代のように。
「なんでさケーシ、何が気に入らないの? コーヒー欲しかった?」
「一口は欲しかった、コロッケ喉に詰まるし。じゃなくお前、茅ヶ崎を疑う理由の根拠が薄弱なのを、もうちょっと理解しろ」
ぎし、と椅子を鳴らして座り直し、俺はコロッケパンの袋をぐしゃりと丸める。そうしながら少し目を閉じ、外界からの情報をシャットダウンした。内部の情報に、集中する――考えを纏めて、言葉に纏めて、面倒なことを回避するために、引き摺られないように。人間は話術で進化してきた動物だ、相手を丸め込むのがホモサピエンスの証明だとも言える。
おーけぃ。
ロジックは埋まった、気分。
「まず、お前は茅ヶ崎の登校時間と手袋のみを理由にしているが、何もお前より登校時間の早い生徒が茅ヶ崎だけとは限らない。全校単位で考えればもっといるだろう。お前が確認出来ていたのは一年だけだし」
「だって絵があったのは一年の廊下で」
「ついでに、生徒だけが疑いの対象であるとも限られない。教師の一部、事務や用務員なんかは、もうちょっと早いだろう。学校の開錠とか、あるんだし。そう考えると、朝の学校ってのは案外人が多いな。消去法で茅ヶ崎に辿り着かせるには、無理がある」
「むう」
口を噤ませる了祐に俺はもう少し、畳み掛けるロジックで搦め手を取る。このまま行けば、俺の面倒はどうにか減るだろう。正直今日は朝から人ごみに巻き込まれたり仮眠を邪魔されたりと、睡眠が足りてないんだ。これ以上のカロリー消費は避けたい、心から本当に。
「また、茅ヶ崎が絵を破く理由が判らない。何かあの絵に曰くがあるとしても描かれたのは何年も前のことだし、入学してから半年経った今頃になって行動する理由も不明瞭。そもそも気に入る気に入らないもないようなよくある自画像……それに、あいつは俺と同じで、あんまり感情の沸点が低いほうじゃないと思う」
これは確信の持てることだった。了祐には判らないかも知れないが、俺はなんとなく――同調めいたものを、感じる。一学期の始め、春先にあの分厚い手袋は今よりもっと悪目立ちしていた。入学当初、殆どの生徒がクラスメートの品定めをしている真っ最中だった所為もある。からかわれたり、無理に剥がされ掛けたり、しつこく訊ねられたりしていた。何度も同じことを繰り返されているのに、茅ヶ崎は表情を崩さずさらりと流していたのを覚えている。無表情っぽい目に小さな微笑、適当なごまかしの連続。
普通ならもっと怒ったり、抵抗したりしても良いだろう。だが茅ヶ崎は止めるだけで、抵抗と言うほど激しい感情の起伏を見せたことはなかった。そんな様子だったから、攻勢が一週間も続かなかったのだろう。ムキにもならず、そのまま隠し通した手。
もしかしてキズでも隠しているのか。誰だったか女子が訊いた時だけは、そんなのはないよ、と大げさに肩を竦めて見せていたけれど。
「それと、指紋云々だけど、学校内のことにそんなの気にする奴がいるとは思えない。茅ヶ崎の手袋に無理矢理こじつけてるだけにしか、思えないな」
「それはそう、かもしれないけど――あーうー。ケーシの理詰めは嫌いなんだよ、僕はインスピレーションを大事にする第六感の探偵なのだ」
それを人は思い込みと言う。
しかも、激しい思い込み。
「……、そう、ケーシの言葉は確かに僕の推理の根拠の薄弱さを示しているけれど、依然として茅ヶ崎さんの潔白を証明をする論理じゃないんだよ!」
「む」
ちょっとだけ痛いところを突かれた。
確かに俺の言葉では、他にも怪しい人間がたくさんいると言うだけで、結局圏内に茅ヶ崎がいることには何一つ変わりが無いのだ。ち、中学の頃とは違って、少しは騙され難くなったのか。それとも、半年のブランクを挟んで、俺の詭弁が緩くなったのか。
「そして僕の第六感は変わらず、茅ヶ崎さんを怪しいと訴えている! 大体ケーシはそうやって彼女を庇うけれど、彼女には不自然な点が多すぎるんだよ。意味の無い登校時間の早さ、不自然な手袋! 潔癖症ってことで適当に納得してるけど、僕の新聞部としての観察眼はそれを嘘だと判断するね!」
「何で嘘なんだよ」
「だって彼女、別に何かを不潔がってる様子とかないじゃないか。人に触られるのも平気、教科書の貸し借りもするし、床に落ちた鉛筆は自分で拾って使う。朝にケーシが肩を突っついた時だって、嫌そうにはしてなかった! 先月の学祭でも進んでウェイトレスしてたし、調理も出来るところまでは手伝ってくれてたよ!」
「むむむ」
更に痛い所を突いて来る。
しかし、第六感を謳いながら観察眼を根拠に出してくるのは、何かちぐはぐな論理立てになっているんじゃないのか。
大体意味も無く手袋してたって、意味も無く学校に早く来たって、別段どうと言うこともない行動だろう。気分とか遅刻への心配とか、極端な末端冷え性だとか実は手の甲に鱗が一枚生えてるとか、そんなことがあったって何も不思議は無いはずだ。
さすがにそれは醜い悪あがきにしかならないから、言葉に出さないけれど。
上手く言い返せない俺をふふんっと鼻で笑ってから、了祐は勢い良くドアに向かっていく。
「そんなわけで、ケーシは茅ヶ崎さんの見張りを頼むからね! 僕はウワサの画家先生と茅ヶ崎さんの接点とか、そっちの方を洗ってみるからさ!」
「勘弁してくれ……」
ああ、やばい。エネルギーを使ってロジックを組んだのに、まったくの無駄骨だった。
これは――
「……寝て、補充しよう」
俺は埃っぽい机に突っ伏し、目を閉じた。
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