宗次郎、浪士組に参加する(三)
ドタドタと、最高に騒々しい足音が屋敷内に響く。道場の屋根の上、土間の片隅、押し入れの中。どこを探してもいない。だけど気配は屋敷の中にある。ということは、やつも本気で隠れている証拠だ。
「おい、宗次郎。血相を変えて、どうした」
らしくもなく、屋敷内を走り回る俺に驚いたのだろう。来たる上洛の日に備えて、荷造りに勤しんでいる面々が顔を出す。その誰に一紗の居場所を尋ねても、一様に首を傾げるだけ。この調子だと、あいつが嫁にいくことも知らないのだろう。
「左之さん! 槍貸して!」
「は? 槍なんてなんに――」
「いいから早く!」
左之さんから借りた槍を片手に、座敷を一つ一つ慎重に回っていく。尋常ではない俺の様子を心配しているのか、背後から三人組がそろそろと後をつけているのを知っていたが、今は構っている暇はなかった。飽きるほどの時間を共に過ごした幼馴染の痕跡を逃さぬよう、慎重に歩みを進める。やがて、若先生の寝室で歩みを止めた俺は、手にした槍を迷いなく天井へ突き刺した。
「わー! 宗次郎!?」
背後から響く悲鳴を打ち消すように、頭上から重みのあるものがどすんと音を立てて落ちる。強かに腰を打ったらしい探し人は、涙目で俺を睨みつけた。
「てめえ、殺す気か!?」
「俺から逃げ回るお前なんて、死ねばいいと思っているよ」
冷たく吐き捨てると、その細い手首を掴み上げる。ただならぬ様子に、背後から「暴力はいけません、暴力はっ!」と誰かが叫んでいたが、振り返ることはしなかった。
「おい、ソージ! 痛いって! 放せよっ!」
それでも放す気配のない俺にだんだん不安になってきたのか、一紗の声が小さくなる。人気のない場所を探して中庭に辿り着いた俺は、まだ蕾をつけるだけの小さな桜の木に、一紗の肢体を縫いつけた。
「――――嫁にいくって、どういうこと?」
逃がさないようにと、両手首を掴んで詰め寄る俺に、細い喉が上下する。
「なんのこと――」
「とぼけても無駄だ。今日、富一さんに会った」
「あのクソ兄貴……」
悪態も、今日に限っては威勢がない。一紗が動揺している証拠だ。
そこまでして、俺に隠し通したかったのだろうか。一紗が俺のことを何とも想ってないことは知っていた。だが、せめて友だちだとは思ってくれていると過信していた。それでも俺に相談をしてくれなかったということは、友だちだとも思われていない証だろうか。
「なんでだよ……なあ!? なんでだよ!?」
この莫迦女に本気になったところで、俺の想いなど欠片も伝わらないことは端から承知している。だけど、とてもではないが、冷静でなどいられなかった。
大声で詰め寄る俺を、一紗がきっと睨みつける。そして、負け劣らずの大声で叫んだ。
「なんでって、それはこっちの台詞だよ! あんたたちは、なんで私を置いて行っても平気なんだ!? あんたたちにとって、私はその程度の存在なのか!? ええ!?」
「なに言って――」
「置いて行かれるくらいなら、こっちから置いて行ってやろうと思っただけだよ!」
ぶん、と一紗が大きく腕を振る。それで、拘束していた両手は呆気なく離れた。
「……一紗」
寄る辺を失い、呆然と突っ立つだけの俺を、一紗が憎々しげに睨みつける。今まで一紗とは腐るほど喧嘩をしてきたが、こうも憎しみの籠った瞳で睨まれるのは初めてで。だからこそ、ひどく動揺した。
「――――深川にある道場の、次男坊だって」
「え?」
「お幸ちゃんの嫁ぎ先を探すついでに、おかみさんが探してくれたんだ。あちらさん、牛込の剣術小町なんぞに興味があるみたいで、大変乗り気なんだと。ま、次男坊っていっても、婿養子に入った男の弟ってだけなんだけど」
「……」
それが、俺の好きな女を掻っ攫っていく男の素性らしい。
莫迦莫迦しすぎて、声も出なかった。
(……本当に、莫迦らしい)
俺が何年も、何十年も大事にしてきたものを、婿養子の弟という肩書だけの男が、こうもあっさりと掻っ攫っていくのか。この女は、それで構わないと言うのか。
「私みたいな女を嫁に欲しいって言う男もそうそういないし? おかみさんも、これが最初で最後の縁談だろうって言うから、思い切って引き受けてみたんだよ。道場主の弟なら、おかみさんと約束した嫁にいったら剣術を辞めるって約束もあってないようなもんだし――」
「お前は、それでいいのか?」
だんまりが済んだと思ったら饒舌になる一紗をぶった切って、問う。静かな問いに、一紗は引き攣った微笑を浮かべた。
「いいに決まってんだろ」
「……」
「……なんだよ。どうせいなくなるんなら、私のことはもう放っておけよ! ……っ、若先生も、トシゾーも、ソージも! みんなみんな、私を置いて遠くへ行く! 私は……死ぬことなんて怖くない! 死ぬことよりも、みんなに置いて行かれる方が怖いんだ……っ!」
一紗は、泣いていた。
頬に涙は流れていないけれど、心で号泣している。一人は厭だと、叫んでいる。
俺は、その寂しさが誰よりもわかるはずなのに、この女の手を引いて戦場へと連れて行く勇気が――――ない。
「私は……別れのために、お前たちと出逢ったわけじゃない! サヨナラだけの人生なんて、まっぴらごめんだ!」
掴むものが何もない両手を見下ろして、呆然と立ち竦む俺を残し、一紗が去って行く。寂しさに震える背中を、追いかけることはできなかった。
追いかけてしまったら、きっと身勝手なことを言ってしまう。俺が与えることはできない、有体の幸せを捨てて、戦場に立てと言ってしまう。――――お嫁になんかいかないで、ずっと俺の隣にいて欲しいと、言ってしまう。
「……最低なのは、俺だ」
共に歩んだ二十年近い記憶が、走馬灯のように思い出される。その一つ一つを胸に刻んでは、きりきりと癒えぬ痛みを生んだ。
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