宗次郎、浪士組に参加する(二)



 お幸の出立の日、俺は見送りに行かなかった。いや、行けなかったと言った方が正しいのかもしれない。おかみさんと連れ立って小さくなる旅装束の背中を、道場の屋根の上からただじっと見送った。


(嫁ぎ先は大坂の商家だって言ってたな……)


 二度と俺や試衛館のみんなと顔を合わせない、遠い地を選んだのだろう。江戸から出たことがない俺にとって、大坂など遠い異国の地だ。かの地にて、お幸の幸せが見つかることを、心から祈った。

 さて、お幸が試衛館を去り、一連の騒動も一応の落ち着きを見せるようになった頃。

 睦月の中旬になって、練兵館時代の知り合いが多いことから世情に明るい永倉さんが、興味深い情報をもって帰ってきた。


「お上が浪士組の隊士を募集している?」


 なんでも、庄内藩出身の志士、清川八郎きよかわはちろうという男の発案で、腕に自信がある者ならば農民でも前科持ちでも、身分を問わず、年齢を問わず、幅広く募集しているのだという。


「募集したところでどうするんです? まさか、公方さまの警護をさせるわけでもないでしょうに」


 内密の会議をするにはもってこいの深夜。一つ立てた燭台を囲むように、車座になった俺たちは、顔を突き合わせるようにしてこそこそ話していた。


「いや、それが、どうも公方さまの警護をさせるようなんだよ。お前たちも、公方さまが攘夷決行のために近々上洛するのは聞いているだろ? その道中警護を、浪士組にさせるんだと」


 平助の問いを受けた永倉さんが、なんとも奇妙な顔をしながら答える。こんなうまい話があるはずがないと、永倉さん本人も半信半疑なのだろう。


「その……清川殿の発案を受けて、浪士組を募集している上の人間は誰なんだ?」


 若先生の言葉に、永倉さんは釈然としない顔のまま、「松平主税助まつだいらちからのすけさま」と言った。


「なに? 講武所の教授方ではないか。松平主税助さまが噂元というのなら、信憑性のある話じゃないのか?」

「いや、それがどうもあやしいんすよ。なんでも、浪士組に参加した者には金子まで出るというし」

「そりゃあ、ガセだな、ガセ」


 と歳三さんはたいして興味なさそうに切り捨てたが、もし本当ならば棚から牡丹餅のような話である。そういうわけで、代表して若先生と歳三さんと永倉さんが、松平主税助さまの屋敷を尋ねることにした。門前払い覚悟で尋ねた屋敷では、思いの他親切な対応をされ、質問には懇切丁寧に答えてもらったらしい。お蔭で、お人好しな若先生などは、


「ぜひ浪士組に参加して、お上のお役に立とう! 俺たちにも、この日ノ本を変える働きが出るんだ!」


 と、感動に涙を流さんばかりの喜び様である。一方の歳三さんはというと、若先生ほどまっすぐに幕府の発案を信じてはいないようだが、


「あやしい話には変わりねえが、まったく実のねえ話ではねえようだ。やつらが何を企んでいるのか知らねえが、利用させてもらって上洛するのも一つの手だぜ」


 と、おおむね乗り気の意見である。この男にしてはひねくれていない意見の裏には、長年抱き続けてきた「武士になる」という夢が叶うかもしれない期待があるのだった。

 俺はというと、若先生と歳三さんが上洛するのなら、俺も京に行くのだなあと当たり前の認識だったので、若先生から「宗次郎は試衛館に残って欲しい」と言われた暁には、飛び上がるほど驚いてしまった。


「――――え? なぜですか? 俺ではお役に立てませんか?」


 衝撃から矢継ぎ早に尋ねる俺に、若先生は「そうではない」と頭を振る。


「知っての通り、昨今の京に降るのは桜吹雪ではなく、血の雨だという。血風吹き荒れるかの地に上洛して、命の保証があるわけがない。だから宗次郎には、俺にもしものことがあった時のために、試衛館を継ぐ者としてここに残って欲しいのだよ」


 それは暗に、俺に天然理心流五代目宗家の座を譲ると言われたのと同等だった。

 ぐっと拳を握り締める。若先生にそこまで想われている己が誇らしい。とてつもなく嬉しいのも事実。――――だけど。


「……俺の行く道に、若先生がいないなんてありえません」

「宗次郎」

「それに、若先生の前に立ち塞がる敵は、俺が全て斬り伏せます。だから、もしもの時なんてありえませんよ」


 にかり、と自信満々に微笑めば、車座からどっと笑いが漏れた。


「試衛館鬼の塾頭のお出ましとなると、渡る世間に鬼はいないっすよ。勇さん、宗次郎も連れて行きましょう」

「だから言ったでしょうよ~! このクソガキが、黙って留守番をするようなタマじゃないって!」


 永倉さんと左之さんが口々に囃し立てたことで、若先生の相好が崩れた。「後悔はないな?」と尋ねる声に、しっかりと頷く。

 ――――後悔はない。

 江戸の片田舎で手に入る有体な幸せを全て棒に振っても、この手がどれだけ血で汚れることになっても――……若先生の行く道が、俺の生きる道だから。


「――――あのう」


 控えめに上がった声に、やんやと騒いでいた一同の視線が集中する。おずおずと手を上げて発言したのは、日頃の陽気さが嘘のようにナリを潜めた平助だった。


「一紗は……どうするんですか?」


 その問いに、若先生の顔から笑みが消える。歳三さんの眉間に皺が刻まれる。そんな二人を見回して、平助が焦ったように声を上げた。


「連日、ここに一紗が呼ばれていないのはなぜですか? もしかして、京に連れて行かないなんて言うんじゃ――」

「じゃあ、逆に問うが、お前は明日の命も様と知れない戦場に、山猿を連れて行きたいのか?」


 尋ねたのは歳三さんだった。その、あまりにも残酷で、的を得た例えに、平助がぐっと黙り込む。

 俯いた平助を見下ろして、歳三さんは重い溜息を吐いた。


「そういうこったよ。いくらじゃじゃ馬が過ぎるからって、あいつは女だ。京には連れて行かねえ」


 それは、ここに一紗が呼ばれていないと知った日から、みなが薄々察していた答えだった。だけど、こうも正面切って宣言されれば、なかなか受け入れがたい言葉でもあって――……。


(――――あいつと、離れ離れになる?)


 物心ついた時からずっと隣にいて、あろうことか共に口減らしにあった幼馴染と、別れなければいけない。現状の気まずさを超越した場所で、「厭だ」と声が上がった。だが、拒絶する声に被さるようにして、歳三さんの声が脳内で反響する。


 ――――お前は明日の命も様と知れない戦場に、山猿を連れて行きたいのか?


 それは、離れ離れになることよりもはるかに辛いことだった。

 もし、かの王城の地で、一紗が血刀に倒れてしまったら。俺は、正気を保てる自信がない。常に危険と隣り合わせな戦場に好きな女を連れて行くよりも、江戸の片田舎で帰りを持ってもらった方が何倍もいい。

 平助も同じ気持ちなのだろう。釈然としない表情ながらも、それ以上強く反論しようとはしなかった。ただ一言、小さな声で、


「……一紗は、承諾しているんですか?」


 そう尋ねる平助に、若先生が答える。


「京へは連れて行かないと伝えた。まだ受け入れてはいない様子だったが、あいつは必ず承諾するよ」


 どこか確信めいた声に、首を傾げる。まるで、一紗を説得する秘策があるかのような物言いだ。

 もしかして、俺が断った天然理心流五代目宗家の座を託すつもりなのだろうか。それで一紗が納得すると思ったら、とんだ目論見違いだ。あいつは負けん気は強いけれど、地位や権力といったものにはとんと無頓着で、むしろ疎んじている節もある。そんな女に天然理心流を託したところで、かえって逆効果になると思うのだが。

 だからといって、目下冷戦継続中な俺は、直接一紗に訊けないまま、だらだらと冬の終わりを過ごすしかなかった。若先生や歳三さんなどは、長年の支援者や門下生などへ挨拶回りをする傍ら、ついでとばかりに資金集めに勤しんでいる。「暇ならお前も手伝え」と言われたが、挨拶回りなど不得手なことに勤しむよりよりも、得手な子守りでもしていた方がずっといい。そういうわけで、俺は連日若先生とお常さんの子の相手をしている。


「おーい、たま。お珠や」


 一紗がさんざんっぱら悩んでいた赤子の名は、「珠」に落ち着いた。宝物の意味である珠玉しゅぎょくから一文字取ったらしい。一紗にしては真面な名をつけたと、若先生とお常さんは手放しで喜んでいるが、「寿限無以下略」の案を知っている俺としては、喜びよりも安堵感が勝った。


「お、笑った。はは、お珠は日ノ本一の別嬪さんになるぞ~」


 子供は嘘をつかない。難しい考えをしない。だから、無条件で可愛い。

 まだ首も座っていない珠を背負い、でんでん太鼓を鳴らしながらあやしていると、がらりと突然唐紙が開いた。


「宗次郎。あんた、またお珠に遊んでもらっているのかい」


 唐紙を開いたのは、眉間に縦皺を刻んだおかみさんだった。それにしても、「遊んでいる」ではなく「遊んでもらっている」とは失礼だ。


「勝太とトシさんが呼んでいたよ」

「小野路村から戻ったのですね。俺になんと?」

「さあ、知らないけど、刀がどうとか言っていたよ」


 そういえば先日、腰のものを持たない俺に歳三さんがやんや言っていた気がする。俺としては、稼いだ金をこつこつ貯めて、そのうち購入できればと楽観的に考えているのだが。


「蓄えはないって言っているのになあ……ボンボンには通じないか。じゃあちょっと、歳三さんのところに行ってきますねー」


 お珠を背負ったまま、でんでん太鼓片手に腰を上げた俺に、おかみさんの制止の声がかかる。


「あんた、いつまでそんな恰好をしているつもりだい」

「はい?」

「上洛するならするで、多摩の田舎者と舐められないような恰好で行かないと承知しないよ」


 なかなか要領を得られない俺に、おかみさんは呆れた声で「元服しろってことだよ」と言った。


「えー……っと、元服ってことは、俺も若先生みたいに青々とした月代さかやきを剃るってことですよね?」

「当たり前だろ。いつまでだらだらと髪を伸ばしているつもりだい。女子でもあるまいし」

「いや、別に髪を切ることには異論はないんですけど……月代はちょっと」


 幼い時分に、よく女子と間違われる見てくれが厭で、一度月代を剃ってもらったことがある。あの時、鏡に映った己の滑稽さと、爆笑する歳三さんの声を、今でも忘れられない。


「劇的に似合わないんですよ、月代」

「月代に似合うも似合わないもあるか。男としての嗜みだろ」

「いやあ、でも……あ、そうだ。俺も左之さんみたいに、浪人髷にしようかな」


 中心を剃らなければ、万が一の確立でしっくりくることもあるかもしれない。そう思い提案したのだが、「言語道断」とぶった切られてしまった。


「あんな無精の極み、許すと思ったら大間違いだよ!」

「ぶ、無精……」

「まったく、ようやく一紗も身を固めてくれたんだから、あんたも元服くらいしてアタシを安心させておくれよ」


 とにかく月代の話題から逃げたかった俺は、おかみさんの言葉の端々にこもる不自然さに、気づくことができなかった。

 逃げるように座敷を後にして、通りかかった玄関口で、ずいぶんと懐かしい人に再会したのは、お天道さまがそろそろ西に傾こうとしている頃合だった。


「――――え? あれ、お前、宗次郎かあ?」


 懐かしすぎる声に、目を見開いたまま硬直する。そんな俺を見下ろして、青年はにかりと頬を緩めた。


「おお! 本当に宗次郎だ! お前、ずいぶんと男らしくなったなあ!」

「と、富一とみいちさん」


 一紗の兄にあたる、富一さんだった。一紗とよく似た顔を喜色満面に綻ばせながら、俺の背中をバンバン叩く。


「おうおう! ガタイもよくなって! この調子じゃ、女の一人や二人、余裕で相手できるな!」

「富一さん!」

「なあに焦ってんだよ~。まさか、俺に対してやましいことでもあんのか? ああん?」


 一紗に輪をかけて陽気なこの人は、大の妹想いだったりする。まさか、あなたの妹さんを好きになりました、なんて言えない俺は、乾いた微笑を乗せることしかできない。


「な、なに言ってるんですか。今も昔も、富一さんに隠し事なんてありませんよ~」

「ははは、だよなあ~! なんてたって、俺はお前の兄さん代わりだもんなあ~?」

「ははは、そうでしたっけ~?」


 疲れる。この人の相手は、一紗の何倍も疲れる。

 別に悪い人ではないのだが、根っこが妹命でできているため、慎重に言葉を選んでしまうのだ。


「そ、それはそうと、どうして富一さんがここに?」


 美津姉に会わないと決めた俺への義理なのか、俺たちがどんなに勧めても、一紗は奉公に出されて以来、唯一の肉親である富一さんに会おうとしなかった。生まれたばかりの頃に、両親を流行り病でいっぺんに亡くした一紗は、俺と境遇が似ている。だからこそ、親のいない寂しさがわかる俺は、たまには実家に帰れと勧めていたのだが、俺が美津姉に会うまではてこでも会わないと、あの強情っぱりは言っていたものだ。


「どうしてって、こんな大事な話、俺が出っ張らねえと進まねえだろ?」


 なんとも不思議な物言いをする富一さんに、首を傾げる。ここ最近の出来事の中で、「大事な話」といえば。


「一紗は京に連れて行かないって、若先生は言っていましたよ?」

「あ? 京? 行くわけねえだろ、こんな大事な時分に」


 ……会話が噛み合わない。よくわからないが、富一さんは上洛問題で試衛館を訪れたわけではないらしい。


「俺はてっきり、一紗を説得するために、若先生が富一さんを呼んだと思っていました」


 首の角度を鋭くさせる俺を見て、富一さんは意外そうに目を見張った。


「お前、何も聞いてねえの?」

「はい?」

「もしかして、一紗と喧嘩でもしてんのか?」


 その質問には、顔を曇らせることで答えた。別に、表立って喧嘩をしているわけではない。明確な争点があるわけでもない。ただなんとなく気まずくて、お互いに避けているだけ。だからこそ収集がつかなくて、おまけにこんな喧嘩は初めてだから、余計に困っているのだが……。


「なるほどな。やっと読めたぜ。あいつがこうもあっさりと縁談を受けたのが」

「……はい?」


 尋ね返す俺に言い聞かせるようにして、富一さんはゆっくりと口を開いた。


「あいつ、とうとう嫁にいくんだと」


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