宗次郎、浪士組に参加する(一)



 周斎先生の口添えで――――というよりも、おかみさんの口添えで、お幸の嫁ぎ先が決まったらしい。男に袖にされたという理由で、自刃未遂を起こしてしまったのだ。俺にとっても、そしてお幸にとっても、これ以上一緒に居続けることを良しと判断されなかった。加えて、お幸には過去の恋を忘れて、新しい安らかな恋を、と願ったおかみさんの措置だった。


「……ふうん。それはおめでたですねえ」


 という話を歳三さんから聞いた俺は、敢えて気のないふりをした。そんな俺に、形のよい眉がぴくりと動く。


「なんだあ。その気のない返事は」

「他にどう答えろって言うんですか」

「ひどーい! 俺という者がありながら変わり身が早すぎる! とか?」

「……」

「冗談だよ」


 タチが悪すぎる。

 まあ、腫れものに触るようにしか接しない連中と比べれば、正面切ってからかってくる歳三さんの方がまだマシか。と思い直した俺は、日に日に増える枕元のお供えものを整理している最中。


「なんだそれ?」

「……あの日以来、枕元にこっそりとものを供えられているんですよ。大方、元気づけているつもりなのでしょうが、ものがものなので素直に喜べません」


 新作衆道本に春画本に「気組あるのみ」と書かれた半紙に……と、もはやこっそり供えられなくても差出人がモロバレな品々である。春画本をパラパラと捲りながら、「今日はなんだったんだ?」と尋ねる歳三さんに、「蜜柑」と素っ気なく答えた。


「へえ。そりゃあ、わかりやすいお見舞いの品なこって」


 まったくだ。だが、素直に同意するのも癪なので、むっつり黙ったまま蜜柑の皮を剥いた。

 冬の水菓子として、甘い蜜柑はとても人気だが、そのまま食べると身体が冷えてしまう。そのため、江戸っ子は蜜柑を炙って食べるのがもっぱらの習慣となっており、風邪の予防にもなるとされていた。


「で、お前さんは、いつになったら蜜柑の君と仲直りするんだ?」


 俺の手から奪った蜜柑を串に刺しながら、歳三さんが上目遣いに尋ねてくる。やがて、口を開く様子のない俺に焦れたのか、重い溜息を落とした。


「最低だな――――なんて責めたところで、しょうがねえだろ。蜜柑の君は何も気づいちゃいねえんだから。お幸のためによかれと思って頑張っただけだよ」

「……」


 そんなこと、言われなくてもわかっている。一紗は何も悪くない。だから一紗を責めているわけではない。真実許せないのは――――自分自身だ。


「ちょっと、一人で食べないでくださいよ」


 歳三さんから奪い返した蜜柑を火鉢で炙れば、柑橘類独特の甘く爽やかな香りが座敷内に充満した。ちりちりと焼ける果実に目を落としながら、心では別のことを考えていた。


(俺のせいでお幸は死にかけたというのに……)


 あの時はお幸の告白より、一紗がお幸に協力した衝撃で一杯一杯だった。今だって、お幸の嫁ぎ先を心配するより、蜜柑を供えた時の一紗の心を考えている。


「……恋なんて、知らなければよかった」


 紅蓮の炎を見下ろしながら、ぽつりと呟く。串をひったくった歳三さんが、あつあつの蜜柑に齧りつきながら、俺の肩を抱いた。


「――――……お幸を、好きになりたかった」


 肩を抱く歳三さんの手に力が籠る。無言の優しさにうっかり目頭が熱くなったけれど、下唇を噛むことで耐えた。


「……お幸は、振られたことが悲しかったわけじゃない、と言ったそうだぜ」


 やがて落とされたささめ声に、ゆっくりと頭を上げる。いつの間にか、ひとかけらを残して蜜柑を食べてしまっていた歳三さんが、濡れた口元を苦く歪めた。


「お前に嘘をつかれたことが悲しかったそうだ」


 ああ――――と、掌で顔を覆う。

 お幸には、全てわかっていたのだ。「修行中の身だから」と断ったあの言葉が嘘だと、見抜いていたのだ。

 真実許せないのは、自分自身。

 お幸は俺のために死にかけたというのに、一紗を想い続ける自分が悔しくて憎くて堪らない。

 報われない想いを抱えて一生を生きていくのは、煉獄の炎に焼かれるように苦しい。だが、苦しみから抜け出すために想いを伝えるのは、想像するだけでも恐ろしい。

 それを実行したお幸の勇気を思うと、やはり涙が溢れそうになった。


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