一紗、怒りに震える(三)
えらいことになった。
お幸ちゃんの衝撃告白のせいで、正直赤子の名付けどころではなくなった。あろうことか、お幸ちゃんは恋愛下手な私に、想いを伝える協力をして欲しいというのだ。
「難しいことじゃないのよ。かずちゃんには今まで通りに過ごしてもらって構わないから。で、ここぞという時に私が合図をするから、宗次郎さんを連れて来て欲しいの」
そう、お幸ちゃんは言うけれど。
今まで通りなんて無理だ。脳みそ筋肉の私には荷が重すぎる。お幸ちゃんとソージが一緒にいるだけで、過剰なほど意識してしまうのを抑えきれない。
となればここは、お幸ちゃんがソージに想いを伝えるまで、二人を徹底的に避けるしかない。廊下で顔を合わせれば回れ右をし、食事をとる時も隣同士を避け、出稽古に一緒に行くのにも渋るようになった私を、流石のソージも不審に思い始めたらしい。
「俺、お前に避けられるようなことをした?」
と、右腕を掴まれながら問い詰められている私は、稀に見る危機に陥っている。
「な、なんのこと?」
「すっとぼけるなよ。お前、俺を避けてるだろ」
「はあ? お前の勘違いじゃ――」
「一紗」
ああ、ここで気の利いた嘘の一つでも言えたらなあ、と思う。言えていたら、名を呼ばれてもっと動揺することはなかった。
「……今は何も訊かないでくれ。頼む」
蚊の鳴く声で懇願する私に、腕を掴むソージの力が緩む。その隙をついて拘束を解くと、慌てて一歩退いた。
「へんっ! ソージのばーか! ばーか!」
「ああ? なんだとう!?」
「お前なんか、さっさと幸せになっちまえ!」
捨て台詞にもならない台詞を吐き捨てると、一目散に逃げ出す。もう限界だ。今度ソージに追い詰められた時、誤魔化しきれる自信がない。そうなる前に、お幸ちゃんがさっさと想いを伝えて、一緒になっちまえばいいのに。
そう、本気で思うのに――……。
(なんだろうなあ……)
ソージに掴まれた右腕を握り締める。私はきっと――――寂しいのだ。
若先生には大切な人との子が生まれて、ソージはお幸ちゃんと一緒になる。
別に、お嫁にいきたいなんて望んでいないし、いけるとも思っていないけれど、だったら私は一生一人で生きるのだろうか。大切な人に囲まれて生きていても、心には塞ぎきれない穴を抱えて生きていくのか。
そう考えては、ひどく寂しくなるのだ。
「決めた。今日言うわ」
そうお幸ちゃんが言ったのは、粥に使う七草を囃子唄を口遊みながらついている最中。
「え、本気?」
完成した七草粥を落としかけた私に、お幸ちゃんは至って普通の様子で「本気、本気」と言った。
「決行は夜四ツ。中庭の桜の木の前で待っているから、宗次郎さんを連れて来てね」
と頼まれたのはいいものの、上手い誘い文句が見つからない。おまけに当人には避けていることがモロバレなのだ。どんな顔で会えばいいのだろう。
枯葉を数枚つけるだけの桜の木を眺めながら、思案に暮れる私にかかる声がある。振り返れば、綿入れを着こんだトシゾーが立っていた。
「おお、さびい。莫迦は風邪ひかねえっていうけど、本当なんだな」
「おい」
「おわっ。莫迦が喋った」
素早く足払いをかけたが、うまい具合に避けられてしまった。ちっと舌打ちをする私を、トシゾーが冷ややかに見下ろす。
「莫迦のくせに、何らしくなく物思いに更けてるんだ」
「莫迦でも年頃の乙女なんでね、これでも」
「へっ。発情期の猿の間違いじゃねえのか」
「てめえ、それ以上喋ると、種を飛ばすしか能のないイチモツを斬り捨てるぞ」
「……年頃の乙女はイチモツなんて言わねえよ」
確かに。お幸ちゃんだったら絶対に言わない言葉である。
そんなことを思っていると、折も良く「お幸が――」などと聞こえたので、飛び上がるほど驚いてしまった。
「え、なに?」
「アン? 聞いてなかったのかよ。脳みそ筋肉のお前が思い悩むってことは、どうせソージかかっちゃんかお幸のことだろうって言ったんだよ」
流石、無駄に女にもてているだけはある。鋭い。
「その顔は図星だな。もしかして、とうとうお幸がソージに想いを伝えるとか言い出したか? なーんて……」
「……」
「……図星かよ」
うまい嘘をつけない自分を、真面目にどつきまわしたい。よりにもよって、一番面倒くさいやつに露見してしまった。
「この話はなかったことに」
「そうはいくかよ。こんな面白いネタ、聞かなかったことにはできねえ」
「頼むよ! 決行は今夜なんだ。それまでは穏便に――」
「へえ? お幸は今夜想いを伝えるだな? それはいいことを聞いた」
…………シマッター。
このお喋りな口を、縫いつけてしまいたい。
絶望に打ちひしがれる私の肩に、トシゾーの逞しい腕が回される。
「それじゃあ、今夜は盗み聞きと洒落こもうか」
「い、厭じゃー!」
「なんでだよ。お前は結果が気にならねえの?」
「うぐっ。……気にはなるけど、お幸ちゃんに悪いっていうか……」
「黙っていればばれねえよ」
「でも……ソージを連れていくのが私の役目だから、そこから盗み聞きするのは難しいんじゃ――」
「ちょっと待て。お前がソージを連れていく? それはお幸に頼まれたのか?」
「だけど?」
途端にトシゾーが難しい顔になる。口元へ指を這わせると、思案するようにゆっくりと口を開いた。
「それは……やめといた方がいいと思うぜ?」
「どうして? お幸ちゃんも協力して欲しいって言っているし……ここで同じ年頃の娘は私だけだからさ。何か力になりたいんだよ」
「お幸はそれでいいかもしれねえが、お前はソージの気持ちを考えたことがあるのか?」
ソージの気持ち?
「お幸ちゃんみたいな美人で気立てのいい女の子から好かれていいなー……とかは思っているけど?」
「……なんか俺、泣けてきた」
しばらく謎の泣き真似をしていたトシゾーだが、気を取り直したようにすっくと立ち上がる。
「ま、いいや。これもお前らに必要な試練ってわけだな。大人な俺は草葉の陰から見守ろう」
「覗き見る、の間違いじゃねえのか」
「なんでもいいんだよ。俺だってなあ、これでも真剣にお前たちの将来を心配してやってるんだぜ? いつまでもお前らの子守りをするわけにはいかねえし」
「おい。逆だ、逆。私らがお前の子守りをしてんだよ」
「莫迦言え。ま、俺、所帯持つことにしたから。いい加減子離れしてくれよなー」
「ショタイねえ…………はあっ!? 所帯!? 誰が!? 誰と!?」
あまりにも非現実的な言葉に、白目を剥いて仰け反る。もはや泡でも出そうな勢いの私の肩を叩きながら、「俺とお琴に決まってるだろ」と言う。その名に本気で泡を吹いた。
「は、はああああっ!? お琴さん!? まだ振られてなかったのかよ!?」
「残念でしたー。順調にまぐわってますー。……ま、所帯云々言い出したのは俺じゃなくて、実家の連中だけどな。かっちゃんに子ができたことで、触発されたらしいぞ。まったく、迷惑な話だ」
「……迷惑なら、断ればいいじゃん。いい加減な気持ちで所帯を持つなんて、お琴さんが可哀想だ」
「まあ……迷惑な話には変わりねえけど、所帯を持つならお琴がいいんだよ。だから一緒になるってだけだ」
驚いた。年中あちこちで種を飛ばすのが趣味のような男だが、お琴さんのことはそれなりに特別に思っているらしい。でなければ何年も続くはずはないのだが……。
「……いいの? それで?」
トシゾーは所帯を持つことを――――誰かに縛られて生きていくことが嫌いな人だと思っていた。その考えは的中したようで、
「さてなあ。窮屈には違いねえが――」
と続けた後に、
「ありふれた幸せを掴むのも、悪くねえ」
などと、真人間のような台詞を吐く。
「――――武士になる夢は、もういいの?」
子供が駄々をこねるように尋ねる私を、大きな手でぽんぽんといなすのもトシゾーらしくない。まるで、常識のある大人を借りてきたみたいだ。
「別に、所帯を持っても夢を追いかけることはできるだろ?」
「……」
「そう妬くなよ。なるたけ、遊びに来てやっからさ。あ、そうそう」
「?」
「俺の好きな沢庵は信姉かお前しか漬けられねえんだから、所帯を持っても定期的に届けてくれよな」
ぽんぽん、と頭を撫でる手に、切なさが増す。おめでたいことだから、祝ってあげなきゃいけないのに。若先生もソージもトシゾーも、みんなみんな私を置いて、遠いところへいく。それが無性に寂しくて寂しくて、しようがないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます