宗次郎、別れの怖さを知る(三)



 恋心とは現金だ。奇跡の復活を果たした俺は、それから十日もすれば床上げができるようになっていた。


「病み上がりの身体に鞭打たなくても、もう少しうちにいればいいじゃない」


 そう引き止める美津姉に、にっこりと笑ってみせる。美津姉の後ろには、沖田家当主である林太郎さんが、まだ頑是ない芳次郎を抱き抱えていた。


「もうじゅうぶんに休ませてもらいました。美津姉には本当に感謝している」

「宗次郎……」

「それに、ここはもう俺の居場所じゃない。俺の居場所は、あの貧乏道場ですから」


 その言葉に、美津姉は悲しげな顔をしながらも、最後はにっこりと笑って送り出してくれた。

 およそひと月ぶりに訪れた試衛館で、まずは号泣するお幸に抱き着かれることになった。


「宗次郎さん……! よかった! 無事に帰って来てくれた……っ!」

「戦地に赴いた武士じゃねえんだけどなあ……まあ、心配をかけて悪かったな」


 小さな頭をぽんぽんと撫でれば、どういうわけかお幸の涙が余計にひどいものになった。どうしたものかと狼狽える俺に、冷やかしの声がかかる。


「よう、死に損ない。地獄からの生還早々、女泣かせてんのか?」

「……心外ですね。それに、あなたの口からは死に損ないなんて言えないはずですよ」


 中庭の桜の木に背を預けて笑うのは歳三さんだ。にやにやと意地の悪い笑みを浮かべながら、俺とお幸を見比べている。


「美人の涙をちょうだいするなんざ、男冥利に尽きるなあ。お前も罪な男だよ」

「なんのこと――」


 人の気配に、お幸を抱き抱えたまま咄嗟に身体をずらせば、先程まで自分のいた場所に竹刀が振り下ろされていた。


「なまってねえようで安心したよ」

「一紗! てめえ、危うくお幸に当たるところだったぞ!」

「大丈夫だよ。お幸ちゃんは避けてお前にだけ当てる自信はあるから」


 にしし、と楽しげに笑う一紗と、あの日わんわん泣いていた一紗は、本当に同一人物かと疑いたくなるほど、いつも通りな様子に拍子抜けする。でも、あれはきっと夢ではなかったはず。一紗は、俺のために泣いてくれた。だから、俺は帰ってこられた。

 噛み締めるように拳をぎゅっと握れば、腕の中でお幸のくぐもった声が聞こえた。


「そ、宗次郎さん……っ。苦し……」

「え? ああ、ごめん」


 慌てて腕を解けば、お幸の頬が真っ赤なのに気づいて。無意識とはいえ、腕を締めすぎたのだろうか。謝罪する俺に、歳三さんが呆れたような声を上げる。


「お前ってほんと、罪な男」

「さっきから何を言っているんですか。あなたと一緒にしないでください」

「お前と一緒なんざ、俺の方こそ願い下げだぜ。俺はお前ほど鈍くねえ」

「はあ?」

「それはそうと、お前、寝ついている間に何か変わったことはなかったか?」


 変わったことと言われれば。


「骨接ぎ打ち身の薬と衆道本と春画本を届けられましたが、それが何か!?」

「なに怒ってんだよ」

「そりゃあ、怒りたくもなりますよ。危うく、美津姉に変な誤解を与えるところでした」

「莫迦言いなさんな。春画本は男の浪漫だぜ? お前の姉ちゃんもわかってくれるに決まってんだろ」

「何をわかれってんですか。……ああ、それと、枕の下に変な短冊が入っていましたね。願い事を書いた短冊を枕の下に入れると叶うなんて、今時鼻たれ小僧でも信じないというのに、一体誰の仕業だったのでしょう?」


 途端に歳三さんが不機嫌になった。

 「そうかよ」と言ったきり、ツンとそっぽを向いてしまったボンボンを首を傾げながら見つめる。何がそんなに気に入らなかったのだろう。考えようとしたが、縁側からかかった賑やかな声に思考は打ち切られた。


「宗次郎じゃねえか! お前、やっと元気になったのか!?」


 左之さんを先頭に、わらわらと集まってくる人たちを見ると、自然と頬が緩んだ。ああ、ここが俺の帰る場所だと、当たり前のように思うことができた。


「さて、みんなお待ちかねだ」


 隣に立った一紗が、にこりと微笑む。あどけない笑顔のまま、そっと右手を差し出した。


「おかえり、相棒」


 ためらいがちに重ねた手を、熱を、二度と手放したくないと思った。


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