宗次郎、別れの怖さを知る(一)
元治元年になって、時代は目まぐるしく暗転する。
睦月(一月)に入って、時の老中・
かと思ったら、如月(二月)になると時の将軍・
めでたいことと血生臭いことが、入れ代わり立ち代わりに起こるこの年。しかしながら江戸の片田舎で暮らす自分には関係ない――――と高を括っていたせいだろうか。俺の人生を揺るがすと言ってもいい大事件が、この年の夏、我が身に到来した。
不調は、前々から感じていた。
そもそも、この年の水無月(六月)あたりから、江戸の町はてんやわんやの大騒ぎだったのだ。というのも、異人によって長崎に上陸した
葉月(八月)になると、手も尽きて神頼みに頼る者ばかりという状態になった。この時期、日本橋を渡る棺桶の数が、多い日には一日二百個を超えたほどだ。また、棺桶の数が増えすぎて火葬場の処置が追いつかず、江戸は腐臭の漂う町になってしまった。そんな地獄絵図さながらの中、俺と一紗は「莫迦は風邪もひかないから大丈夫」などと言って笑い合っていた。
だが、そんな俺が麻疹で倒れてしまったところをみると、一紗ほど莫迦ではなかったようだ。
いつものように、一紗と二人で出稽古先へ出向いていた日のことだった。本当は前の日から身体のだるさを感じていたが、連日猛暑が続いているせいだと思っていた。今まで風邪の一つひいたこともなかった俺にとって、まさか自分が体調不良になっているとは思いもしなかったのだ。
この日出向いたのは、小野路村の名主である小島鹿之助さんの屋敷だ。稽古が終わった後は、一紗の名演技も作用して、馳走を振る舞われた後に一泊することになった。遠慮する俺に、
「もう夜も遅いからゆっくり休んでいきなさい。いくら剣の達人が二人といっても、若者に夜道を歩かせるのは忍びないからね」
と優しい言葉をかけてくれるほど、小島さんは温和な人柄なのだ。その優しさにつけこんで、夕餉の馳走をたらふく仕舞いこんだ一紗が、隣の布団で盛大なげっぷをする。この歳になると、流石に隣同士の布団では寝られなくなっていた俺だが、一紗の方はお構いなしだ。お蔭で、一紗と出稽古先に泊まる時は、一睡もできずに朝を迎えることになる。
(そもそも、二十一になった男女を隣同士の布団で寝かせることに、何の抵抗もない小島さんもどうかと思うがな)
それだけ付き合いが長いのだ。俺と一紗のことなど、兄弟程度にしか思っていないのだろう。
小さな溜息をついた俺は、早々に布団へともぐった。実を言うと、先程から寒気が止まらないでいた。それは布団にもぐったところで変わらない。蚊帳を巡らした座敷で布団にくるまる俺を、流石におかしいと思ったのだろう。時折一紗の様子を伺う声が響いていたが、答えてやることはできなかった。結局満足に眠ることもできずに迎えた朝は、寒気がよりひどいものになっていた。おまけに、身体が熱っぽい気もする。これはまずい、と気づいた時にはもう、布団から起き上がれなくなっていた。
「おい! ソージ! ソージ!?」
混濁する意識の中、焦ったような一紗の声が響く。あの莫迦女でも、人並みに焦ることができるのだなあ、と思ったところで、ぷつりと意識が途絶えた。
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