宗次郎、別れの怖さを知る(一)



 元治元年になって、時代は目まぐるしく暗転する。

 睦月(一月)に入って、時の老中・安藤信正あんどうのぶまさが、江戸城坂下門外にて水戸浪士六名に襲撃されるという事件が起こった。幸い、安藤信正は命を取られることはなかったものの、武士にあるまじき負傷をし、卯月(四月)には老中職を罷免された。

 かと思ったら、如月(二月)になると時の将軍・徳川家茂とくがわいえもちと時の帝の妹君である和宮かずのみやの婚儀が江戸城で執り行われ、江戸城下は一気にお祭り騒ぎになった。

 めでたいことと血生臭いことが、入れ代わり立ち代わりに起こるこの年。しかしながら江戸の片田舎で暮らす自分には関係ない――――と高を括っていたせいだろうか。俺の人生を揺るがすと言ってもいい大事件が、この年の夏、我が身に到来した。



 不調は、前々から感じていた。

 そもそも、この年の水無月(六月)あたりから、江戸の町はてんやわんやの大騒ぎだったのだ。というのも、異人によって長崎に上陸した麻疹はしかが、大変な猛威を振るいながら大坂、京へと北上し、とうとう江戸の町まで辿り着いてしまった。麻疹に対して有効な特効薬など持ち得ていない市井の民は、面白いくらいにバタバタと倒れた。江戸の町は麻疹患者で溢れかえり、高熱に浮かされた患者たちは水を求めて徘徊し、あげくには川や井戸に落ちて死ぬ者も多く出た。この異常事態に、医者や薬種問屋も治療のために奔走したが、やがて彼らも病に侵されて次々と死んでいく始末だった。

 葉月(八月)になると、手も尽きて神頼みに頼る者ばかりという状態になった。この時期、日本橋を渡る棺桶の数が、多い日には一日二百個を超えたほどだ。また、棺桶の数が増えすぎて火葬場の処置が追いつかず、江戸は腐臭の漂う町になってしまった。そんな地獄絵図さながらの中、俺と一紗は「莫迦は風邪もひかないから大丈夫」などと言って笑い合っていた。

 だが、そんな俺が麻疹で倒れてしまったところをみると、一紗ほど莫迦ではなかったようだ。



 いつものように、一紗と二人で出稽古先へ出向いていた日のことだった。本当は前の日から身体のだるさを感じていたが、連日猛暑が続いているせいだと思っていた。今まで風邪の一つひいたこともなかった俺にとって、まさか自分が体調不良になっているとは思いもしなかったのだ。

 この日出向いたのは、小野路村の名主である小島鹿之助さんの屋敷だ。稽古が終わった後は、一紗の名演技も作用して、馳走を振る舞われた後に一泊することになった。遠慮する俺に、


「もう夜も遅いからゆっくり休んでいきなさい。いくら剣の達人が二人といっても、若者に夜道を歩かせるのは忍びないからね」


 と優しい言葉をかけてくれるほど、小島さんは温和な人柄なのだ。その優しさにつけこんで、夕餉の馳走をたらふく仕舞いこんだ一紗が、隣の布団で盛大なげっぷをする。この歳になると、流石に隣同士の布団では寝られなくなっていた俺だが、一紗の方はお構いなしだ。お蔭で、一紗と出稽古先に泊まる時は、一睡もできずに朝を迎えることになる。


(そもそも、二十一になった男女を隣同士の布団で寝かせることに、何の抵抗もない小島さんもどうかと思うがな)


 それだけ付き合いが長いのだ。俺と一紗のことなど、兄弟程度にしか思っていないのだろう。

 小さな溜息をついた俺は、早々に布団へともぐった。実を言うと、先程から寒気が止まらないでいた。それは布団にもぐったところで変わらない。蚊帳を巡らした座敷で布団にくるまる俺を、流石におかしいと思ったのだろう。時折一紗の様子を伺う声が響いていたが、答えてやることはできなかった。結局満足に眠ることもできずに迎えた朝は、寒気がよりひどいものになっていた。おまけに、身体が熱っぽい気もする。これはまずい、と気づいた時にはもう、布団から起き上がれなくなっていた。


「おい! ソージ! ソージ!?」


 混濁する意識の中、焦ったような一紗の声が響く。あの莫迦女でも、人並みに焦ることができるのだなあ、と思ったところで、ぷつりと意識が途絶えた。


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