一紗、別れの怖さを知る(三)



「おう、久しぶりだな」


 師走の初雪が降った日になって、試衛館にトシゾーが姿を現した。実にひと月ぶりの来訪に、みなが稽古の手を止めてわっと集まる。


「トシゾー! 久しぶりだな、じゃねえよっ!」

「おう、山ざ……げほっ」

「歳三さん! ずいぶんと遅いお戻りでしたねえ!」

「そー……げふうっ」

「土方さん! んもう、心配したんですよ!」

「平す……ひでぶっ」

「土方さんよう! 長の病床で、下半身もずいぶんとご無沙汰なんじゃねえのかい!?」

「左……へぶしっ」

「土方さん、おかえりなさい」

「新ぱ……、……っ!!」


 各々から渾身の一撃を受けたトシゾーが、白目を剥いて地面に蹲る。復帰早々、雑な扱いを受けるボンボンを、若先生、山南さん、源さんが憐れみの籠った目で見下ろす。


「……おう、トシ。元気そうでなにより」

「か、かっちゃん……。お蔭さまでな……」


 脂汗の浮いた顔を上げたトシゾーに、若先生が手を貸す。それに掴まってようよう立ち上がったトシゾーが、恨めしげに私たちを見遣った。


「てめえら……久しぶりの再会がこの仕打ちか……」

「ま、さんざんっぱら心配をかけたんですからね。このくらい、受けてしかるべきです」


 ソージの言う通りなので、うんうんと頷いて同意する。渾身の一撃をお見舞いしたことで、ようやっとすっきりした私たちは、すぐに快気祝いの運びとなった。


「それじゃあ、歳三の快方を祝って、乾杯!」


 周斎先生の音頭で、酒をがぶ飲みし始めた男たちを、半場呆れながら見遣る。こいつら、トシゾーの快気祝いなんて口実で、ただ単に酒盛りをしたかっただけだろうな。まあ、トシゾーも、そして若先生も楽しそうだから、よしとするか。


「それはそうと、よく黄泉路から戻ってこれたなあ! てめえの生命力は、ゴキブリ並みってか!」


 すっかり出来上がった周斎先生が、杯に溢れた酒を零しながら笑う。隣でおかみさんが「ちょいと、おまえさん」と諌めているが、とんと聞こえていない様子だ。


「それがですね、不思議な夢をみたんですよ」


 ほんのりと顔を赤らめたトシゾーが、上機嫌で答える。どうせ、若先生と武士になる夢でもみたのだろう、と思ったが、


「すっげえ綺麗な桜並木に中に迷い込んでいる夢でな、雨粒にようにひっきりなしに舞う桜の花の中に、試衛館のみんなが立っているんだよ」


 という、まったく予想に反するものだった。


「みんなって、私もいたの?」

「ああ。山猿だけじゃなく、かっちゃんもソージも周斎先生も、とにかくみんなだ。それがよう、霞に隠れるように、いつの間にか一人ずつ消えていっちまうのよ」

「げえ、なにそれ。不吉」

「そうなんだよ。俺も柄にもなく焦っちまって、慌てて追い駆けるんだけど、みんなが立つ桜の木の下には辿りつけねえの。で、とうとう俺一人残されちまって。おかしいよな。みんなを残して黄泉路に片足つっこんでいたのは俺なのに、俺だけが置いていかれるなんて」


 それで、呆然とするトシゾーの手を引く者がいたという。


「誰?」

「お前だよ、お前」

「はあ? 私?」

「それとソージな。お前らが俺の左右の手を引っ張って、桜の下に連れて行ったんだ。そこで目が覚めた。そうしたら枕元に――」

「枕元に?」

「沢庵が一本供えてあった」


 「なんだそりゃ」と左之さんたちはずっこけたが、私とソージにとっては笑いごとではない。

 手を引っ張ったって……もしかして、あの時? 私とソージが手を握ったから、トシゾーはこっちに戻って来たの?


「私があんなことをお話したからでしょうか。土方君にはとんと不吉な夢をみせてしまったようで、申し訳ありませんでした」


 莫迦騒ぎをする場には似つかわしくない、しっとりとした声が通る。見れば、山南さんが心底すまなそうに眉を下げながら、拳を握り締めていた。


「別に……夢見が悪かったのはあんたのせいじゃねえよ。勧酒とかいう漢詩のせいでもねえ」

「しかし……」

「それによう、あの夢をみた後に、思ったんだ。サヨナラだけが人生ならば、あの桜の花も、うまい酒も、お前たちとの出逢いも……何も、意味がねえってな。サヨナラだけの人生なんて、こっちから願い下げよ」


 そう言って、からからと笑うトシゾーを、山南さんがどこか眩しそうに見つめる。


「さすが豊玉師匠、感慨深いですね」

「ははは、よせやい。……!? どうして山南さんまで知ってやがる!?」

「あ、俺が教えたから」


 あっさりと白状したソージを、鬼の形相をしたトシゾーが追いかけ回す。この男、顔に似合わず発句という渋い趣味があるだけでも面白いのに、それを誰にも口外せずに、ちまちまと一人で勤しんでいるものだから、余計にからかいがいがあるのだ。


「久しぶりに見たな。トシの韋駄天走り」


 若先生のしみじみとした声に無言で同意する。もう桜は咲いていないけれど、桜の花弁のようにひらひらと舞う細雪の中、追いかけっこをする二人を見ると、ようやく日常が戻ってきた実感が湧いた。


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