宗次郎、恋敵に焦る(二)



「どうしてこんなことに……」


 藤堂という名の青年と一紗の激しい打ち合いが始まって以降、延々と溜息をついている山南さんには「景品」と書かれたたすきがかかっていた。同じく「景品」と書かれた襷をかける若先生が、憐れみの籠った目で山南さんを見下ろす。


「まあ、結果がどうであれ、終わったら藤堂君に包み隠さず話してあげてください。金談先生」

「今はその名で呼ばないでください」


 結果は、一紗が三本とも取って終わった。宣言通り、圧勝した一紗は大変機嫌がいいが、問題なのは藤堂という青年である。まさか、北辰一刀流目録を持つ己が、田舎道場のしかも女剣士に負けるとは思っていなかったのだろう。「景品」と書かれた若先生を前にして、呆然と打ちひしがれている。と思ったら、


「大変申し訳ありませんでした……!」


 と一息に叫び、道場を飛び出してしまった。

 彼は何がしたかったんだろうなあ……とぼんやりする俺の背を、強く叩く手がある。永倉さんだ。


「宗次郎、追いかけてやれ」

「俺がですか?」

「この中ではお前が一番歳が近い。歳の近い男同士なら、色々話しやすいこともあるだろう」


 俺はご意見番じゃないんだけどなあ、と思ったが、渋々ながら青年の姿を追った。ご意見番ではないが、昔から一紗の悪さの尻拭いは自分だと決まっている。だったら仕方がない。

 意外と足が速いらしい青年には、なかなか追いつかなかった。途中ばったりと会った悪たれ共に尋ねると、見たこともない若侍風の男が一人、近くの煮売り屋に駆け込んで行くのを見たと言う。礼を述べ、向かった煮売り屋では、青年は床几に腰かけてあつあつのこんにゃくを頬張っていた。


「……何やってんの」


 思わず尋ねる俺を見上げて、藤堂青年は「ああ!」と声を上げる。


「あなたは試衛館の塾頭で……」

「沖田です。で、あんたは何をやってんの」

「何って、この猛暑に熱いものを食って、自分に罰を与えているんですよ。これは、堪える……!」


 もしかしたら彼は、一紗と同列の莫迦かもしれない。

 悟った瞬間、どっと疲れた。床几に腰かけた俺に、煮売り屋のおばちゃんが「おにいさん、綺麗な顔をしているからおまけだよ。うふふ」と、串に刺さったこんにゃくを一つ持ってきた。熱い。どうして俺まで、こんにゃくの制裁を受けなければいけないのだろう。生理的な涙が出そうだ。


「あの、沖田さんはおいくつなのでしょうか?」


 尋ねる藤堂青年に、涙声のまま「二十」と答える。


「俺より二つ上なだけなのに、塾頭を務めているんですね。一紗さんも同じくらいで?」

「ああ、そうだよ。あちっ」

「私は……恥ずかしいです。お恥ずかしながら、お玉が池の道場では、若いのによくやるやつだと、褒められておりました。目録を取った己を誇っていたのです。それが、蓋を開けてみればどうでしょう。江戸ではあまり名を通っていない道場の、女剣士に北辰一刀流目録は敗れたのです。いやはや、世界は広い」

「いや……まあ今回は、一紗もかなり大人げなかったから、あまり気にしない方がいいと思うぞ」


 一紗の圧勝といっても、ふんだんに体術も活用した立ち合いだったのだ。己の莫迦力に物言わせて、何度もこの青年を投げ飛ばしていた一紗を思うと、自然と溜息を漏れる。


「いえ、負けは負けです。私はこんなんだから、お玉が池でもお佐那さなさん相手に一本も取ったことがありませんでした」

「あ、お佐那さんって、お玉が池で有名な剣術小町だろ? そいつ、藤堂さんより強いのか?」

「俺の方が年下なんですから、平助と呼んでください。お佐那さんは私なんかより強いですよ。一紗さんと比べたらどうでしょう……。お佐那さんの剣術は良くも悪くも、型のようにぴたりとはまった美しい剣技なのです。だから、より実践向きといったら、一紗さんでしょうか」


 永倉さんの言った通りだ。俺たちは歳の近い気安さから、気がつけばずいぶんと話し込んでいた。

 いつの間にか試衛館の門下生入りを果たしていた斎藤一と同じく、平助は数えで十八。一紗と同じ匂いがしても、この青年は根っこがかなり正直にできているらしい。始めはあんなにもつっかかっていたくせに、一紗に敗れれば己の力量不足を反省し、山南さんの事情を話せば早とちりした己を素直に恥じた。


「お佐那さんも大変強く美しい人でしたが、一紗さんも負けてはいません。いえ、俺をぶん投げた時の清々しさといったら、思い出しても身震いが止まらないくらいです」


 こんにゃくを咥えたまま、平助が蹲る。その耳が真っ赤なのを見て、はて、と首を傾げた。


「おい、あまり無理してこんにゃくを食べない方がいいと思うぞ。中暑にでもなったら大変だ」

「いえ、大丈夫です。それより、一紗さんのことを詳しく教えて欲しいのですが」


 一紗のこと?

 自分を投げ飛ばした相手のことを知って、何が面白いのだろう。

 はて、と首を傾げて、平助が耳どころか頬まで真っ赤なのに気づいた。背筋にたらりと冷や汗が流れる。無性に厭な予感がした。


「お前……まさか……」

「は、はい。お恥ずかしながら、彼女に投げ飛ばされたことで、すっかり恋に落ちてしまったようです」


 どんな恋の落ち方だ、とつっこむ余裕はなかった。


(嘘だろ……)


 この、純情潔白早とちりを絵にかいたような好青年が、一紗に恋だって? こんな爽やか君に言い寄られてしまったら、傷心中の一紗なんてころりと落ちてしまうのではないか。


「とととと、藤堂さん」

「? 平助と呼んでください」

「平助。その想いは勘違いだ。投げ飛ばされたくらいで落ちる恋ならば、錯覚に決まっている。なんなら、俺が今すぐにでもお前を投げ飛ばして、錯覚を証明してやってもいい」


 自分がかなり無茶苦茶なことを言っている自覚はあったが、体裁を気にしている暇はなかった。

 あの手この手で勘違いと結論付けようとする俺に、そのうち平助の目が鋭くなる。


「俺の想いを、沖田さんに決めつけられたくありません」


 ごもっともだ。だったら正直に言ってしまうか? 自分だって一紗が好きなのだ。だから、諦めて欲しいと?

 言えるわけがなかった。もごもごまごついているうちに、あろうことか平助は試衛館の食客入りを果たしてしまった。表向きは山南さんを追って来たという話になったが、理由はそれだけではないだろう。

 初対面の印象もあり、初めは距離を置いていた食客たちも、平助の明るい人柄をひと目で気に入ったようだ。お調子者の左之さんを始め、永倉さんや源さんまでもが平助を可愛がるようになった。

 面白くない。むくれる俺をひょいと覗き込む影がある。全ての元凶である一紗だ。


「どったの、相棒」


 相変わらずの阿呆面幼馴染の手には、西瓜がひと切れ握られている。もの欲しそうに見えたのだろうか。


「平助が最後のひと切れを食べちゃったから、もうあんたの分はないぜ。残念でした」


 と楽しげに笑った。


「別に西瓜が食べたいわけじゃねえよ」

「じゃあ、なんだよ。あんた、最近元気ねえじゃん。西瓜好きなくせにさ、食べにも来ないし」

「俺だって食欲がない時くらいあるんだよ。お前と違って単純じゃないから」


 ついついつっかかるような物言いをした自分に、ちっと舌打ちをする。

 死ぬほど格好悪い。たかが恋敵が現れたくらいで、一紗に八つ当たりしてどうするんだ。

 俯く俺に、一紗が近づく気配がする。無遠慮に覗き込んだ一紗が、手にしている食べかけの西瓜をずいと突き出した。


「……なに?」

「食欲のない時こそ、ちょっとでも食べないと駄目じゃん。中暑にでもなったら堪らねえぞ。食べかけだけど、やる。光栄に思え」


 いい、と断ったら、口の中に無理矢理つっこまれた。口内に流れ込んできた西瓜の汁に噎せる俺を、莫迦女がにやにやしながら見遣る。


「一紗さまの好意を無下にするからこうなるんだよ」

「てめえのせいだろ……!」


 ごほごほと噎せる俺の後ろに回る一紗を、無意識で目で追う。こいつ、まだやり足りてないのか。だが、警戒する俺の予想に反して、一紗は俺の背に自分の背を預けてぽすりと座っただけだった。


「なあ、相棒」

「……だから、てめえの悪さの片棒を担ぐ気はねえって」

「ソージは、平助のことが嫌い?」


 ……こういう時だけ無駄に鋭い幼馴染に、がっくりと脱力する。いや、ここ数日、平助を避けまくっていた俺の態度を見ると、誰でも疑問に思うところか。それでも、みんなは気を遣って敢えて口にしなかったようだが、遠慮を知らない幼馴染は別だった。


「……別に、嫌いじゃねえよ」

「じゃあ、なに。あんた、明らかに態度悪いじゃん」


 あいつがお前につきまとっているからだよ、とはとても言えない。

 見事食客入りを果たした平助は、一つ屋根に住んでいるのをいいことに、朝から晩まで一紗にべったりだ。今一緒にいないのが不思議なくらいに。


「俺のことは放っておけよ。平助、お前のことを探してんじゃねえの?」

「構うかよ。私は今、あんたに話があるんだ」


 どこまでも男前な幼馴染に、はあっと溜息が零れる。

 こいつが本当に男だったらよかったのに。そうすれば、平助に何の焦りを感じることなく、普通に仲良くできたはずなのに。


「そういうお前は、どうなの」

「は?」

「平助のこと、好き?」


 どこまでも意気地のない自分に、ほとほと呆れる。俺は、ここで一紗に何と答えさせたいのだろう。意味は違えど、その唇から「好き」の一言を聞いてしまえば、確実に落ち込むくせに。

 俺の心中を知る由もなく、一紗は「面白いやつだと思うぞ」とあっけらかんと答えた。


「面白いやつ?」

「うん。なんかめっちゃ懐かれたし。すげー捨て犬を拾った気分」


 ほんのちょっと、平助に同情したい気分になった。

 しかし、単純な一紗にとって、この世の人間は「面白いやつ」と「面白くないやつ」の二つに分かれているに違いない。捨て犬と言われても、見事「面白いやつ」に滑り込めた平助は幸せ者だ。


「――――じゃあ、俺は?」


 本当に、よせばいいのに。

 落ち込むことはわかっているのにわざわざ訊いてしまうのは、理屈では説明できない恋心のせいだ。

 逸る心をひた隠し、ぎゅっと目を閉じる俺の背中越しに、一紗は「何をわかりきったことを」と言った。


「あんたとは切っても切れない腐れ縁。悪さの片棒を担ぐのはあんたの役目だろ? 相棒」


 わはは、と大笑する一紗の声を、背中越しに聞く。一紗が笑うせいで小刻みに揺れる膝を抱えながら、ほうっと優しい溜息を吐いた。


 ――――いいよ。お前がそれを望むなら。

 この恋心はひた隠して、道化にもなって、俺はお前の相棒役を演じてみせるよ。

 俺のことを幼馴染としか思っていないお前を好きになったところで、報われないことは端からわかっていた。苦しいことはわかりきっていた。だから。

 お前が若先生との苦しい恋を忘れて、他の好い人と一緒になっても、笑って祝福してやることができる。その代わりに、一紗の言う「相棒役」だけは、死んでも手放したくないと、どこまでも澄んだ夏空に祈った。


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