一紗、未知の世界を知る(四)



 若先生の四代目襲名はみなで散々祝ったはずなのに、まだ祝い尽きてなかったらしい。葉月の吉日、六所宮ろくしょのみやで紅白試合を行うことになった。天然理心流門下による紅白戦ということで、大将役として佐藤彦次郎さんも参戦している。土皿を白色の鉢巻で額に固定し、威勢よく打ち合う彦次郎さんを眺めながら、トシゾーがぽつりと呟いた。


「あれが衆道作家ねえ……」


 あれ、とトシゾーが言うのは、彦次郎さんと激しい打ち合いをしている山南さんだ。ぼいんぼいん、と締まりのない太鼓を叩いていた私は、足元に蹲るボンボンをちらりと見た。


「トシゾー、この間からそればっかじゃん。山南さんのこと、そんなに気に入ったの?」

「阿呆か。逆だよ、逆。俺はこの世で一番衆道が嫌いなんだ。あいつが試衛館に居着いていると思うだけで虫唾が走る」

「あー、子供の頃に奉公先で掘られかけたから? でも、山南さんは生活のために書いているだけで、自分にソッチの趣味はないって言ってたじゃん」


 何故か脛をぽかりとやられた。痛みに悶絶する私は、きっとトシゾーを睨みつける。


「何すんだよ!」

「てめえ、俺の子供の頃の話を、そこかしこで広めんじゃねえよ」

「残念でした! ついこの間、お琴さんに喋っちまった! 今更手遅れです~!」


 べっ、と舌を出せば、反対の脛までぽかりとやられた。太鼓のばちを落として蹲る私を、トシゾーが白い目で見下ろす。


「道理でこの間からよそよそしいと思ったぜ」

「へ、へっ、ざまあねえな。てめえみたいな軟派なやつに、お琴さんはもったいねえよ。さっさと別れちまえ」

「うるさい。もしこの俺が振られでもしたら、てめえの枕元で衆道野郎の書物を朗読してやんよ」


 想像して、ぞっと背筋を凍らせた。


「やめろよ! ってか、山南さんは衆道趣味じゃねえって言ってんじゃん! 生活に困って売り物にしていただけであって、うちに居着いてからは書くのはやめたって言ってたぞ!」

「どうだか」


 つん、とそっぽを向くトシゾーを、呆れながら見遣る。永倉さんの時もそうだったが、トシゾーは新参者に対する目が厳しい。ソージは「ただの悋気だから気にするな」と言っていたが、四六時中横で愚痴を言われる身としては堪ったものではない。

 山南さんは元は仙台藩出身の、脱藩浪人であるらしい。武芸の稽古にと江戸に出てきたのはいいが、食うに食い詰めて、得手としている物書きを始めて食い繋いでいたらしい。それがどう転んで衆道話など書いていたのかは、怖くて本人に訊けていない。

 試衛館に私を訪ねてやって来たのも、どうやらその衆道本が原因だったらしい。というのも、貸本屋の親父が、試衛館に山南さんの本を熱心に借りている女子がいると、山南さんの耳に入れたようだ。試衛館の剣術小町の噂を知っていた山南さんは、その女子をすっかり私のことだと勘違いした。だが、蓋を開けてみれば人違いだったと、あの日私とお幸ちゃんを前にした山南さんは、照れ笑いを浮かべながら謝罪した。そのお幸ちゃんはというと、すっかり山南さんに心酔してしまい、暇さえあれば二人で何やら話し込んでいる。ナニを話し込んでいるのかについては、怖くて当人らに訊けていない。


「あ、野郎、やりやがったぜ」


 ぱきん、と小気味いい音に顔を上げると、赤い鉢巻を締めた山南さんが、彦五郎さんの額の皿を割ったところだった。白組の大将である彦五郎さんが打ち取られてしまったので、紅組の勝ちだ。一回戦目は白組が勝ち、二回戦目は紅組が勝ったので、これで一勝一敗。次で決着がつく。


「ところでさ」

「なんだよ」

「私の目が曇ってなかったら、さっきから白組で暗躍しているやつがいるんだけど」


 それは、意識していなかったらうっかり見逃してしまいそうなほど、影の薄いやつだった。だが、剣術の腕は確かなようで、先程から影の薄さを利用して敵に近づいては、そっと寝首をかいでいる。個性豊かなうちの門下生に、あんな怪しいやつがいただろうか?


「ああ、ありゃあ、俺が連れて来たやつだな。なんか強そうだったし、生活にも困っていそうだったんで、十日ほど前から試衛館に住まわせている」

「はあ!? 私、全然知らないんだけど!」

「俺も今の今まで忘れていた」


 名を斎藤というらしい。下の名は知らないと話すトシゾーを、今すぐボコボコにしたい気分になった。


「うちはお救い小屋じゃねえんだぞ!」

「でも人材の掃き溜めではあるだろ。いいじゃねえか。あいつ、面白そうだし」

「今の今まで存在を忘れていたお前が言うな!」


 駄目だこりゃ。ボンボンに腕押し。その日その日を面白おかしく過ごせれば満足のトシゾーに、私が何を言ったところで通じないらしい。

 まあ、十日も試衛館にいて、私が気づかなかったくらいだ。特に目立った害のない男なのだろうと言い聞かせて、足元のボンボンを見下ろした。


「ところでさ」

「まだなんかあんのかよ」

「トシゾーって白組じゃん」

「だからなんだよ」

「いや、なんだよって言うか、私紅組なんだけど。堂々とこっちの陣営でさぼんなよ。打ち取るぞ」

「はっ、たかが太鼓持ちのてめえに俺が打ち取れるかよ」


 そうなのだ。是非紅白戦に出して欲しいと主張した私とソージであったが、私たちが出ると試合にならないと言われ、二人揃って直接野試合には参戦できない太鼓持ちにさせられた。白組の陣営では、同じくやる気のなさそうなソージがぼいんぼいんと太鼓を叩いている。


「くっそー! やる気のないボンボンが参戦できて、やる気のある私が参戦できないなんて不公平だ~!」

「うるせえぞ、山猿。それにてめえは、右足治ってねえんだろ」

「そうとわかっていながら、よく右足の脛を狙えるな!?」


 紅白戦は結局、彦五郎さん率いる白組の勝利に終わった。紅白戦の達成感と若先生の四代目襲名に浮かれたやつらは、その後府中宿の楼閣で目も当てられないどんちゃん騒ぎを繰り広げたらしい。翌日、男共は揃いも揃って、おかみさんにこってりと絞られていた。


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