一紗、未知の世界を知る(三)



 結果から言うと、三本中二本取ってソージが勝った。

 ソージが勝ったということは、ソージと互角である私でも勝てる相手だということだ。北辰一刀流の免許皆伝者だというから少しびびったけれど、案外そうでもなかったな。

 自分が勝ったわけでもないのに、謎の優越感を浸る私をソージが呼びに来たのは、夜もとっぷり更けた頃合だった。


「北辰一刀流が私に?」


 道場破りといっても、立ち合いが終われば馳走を振る舞ってもてなすのが試衛館の流儀だ。そうして相手から聞き出す話は馳走以上の価値があると、お人好しな若先生が決めたしきたりだった。しきたりに倣って、もっぱら宴会中の道場破りが、私に会いたいと言っているらしい。

 なんだろう。立ち合いも直々にご指名だったし、宴会にも呼ばれるなんて、よほど私のことを好きだとしか思えない。もしかして、私の剣術に惚れこんだ取り巻き候補とか?

 にやにやと薄気味悪い笑みを振り撒く私の横で、ソージが呆れたように声を上げた。


「何を考えているか大方予想つくけど、あの人は上っ面だけが軽い浪人とは違うと思うぜ。用心した方がいい」

「またまた~。私に取り巻き候補が現れたから、妬いているだけだろ? いやー、人気者は辛いねえ」


 ふんふん、と鼻歌を歌うと、ソージが酸っぱい顔になった。


「どったの。梅干しを食ったような顔をして」

「……なんか、お前に言われると複雑」


 よくはわからないけれど、落ち込んでいるらしい。

 悩める男子を従えて向かった奥座敷では、上機嫌の若先生と不機嫌そうなトシゾーが、道場破りと酒を酌み交わしていた。


「おう、来たな。山南やまなみさん、これがうちの自慢の剣術小町で、名を一紗といいます」


 ――――自慢、だって。

 墓穴に埋めたはずの恋心がぽっと疼く。理由はどうであれ、若先生に褒められるのは手放しで嬉しい。

 てれてれと笑う私にソージが眉を顰めていたが、背を向けていた私は気づかなかった。


「そう。あなたは一紗さんというのですね。お会いできて嬉しいです」


 やまなみ、と呼ばれた道場破りは、道場破りには似つかわしくない、品のある男だった。

 歳の頃は若先生と大差なさそうだ。だが、若先生が武芸者向けの武骨な顔作りなのに対し、山南さんは学者のような優しい面差しをしている。猪口を持つ綺麗な手が使い古された竹刀を持って、ああも気迫のこもった剣術を繰り広げたなど、本人を目の前にしてもなかなか結びつかない。

 目元の笑い皺を綻ばせた山南さんは、優雅な仕草で小さく頭を垂れた。


「ずっとあなたに会いたかったのです。その、お礼が言いたくて」

「お礼?」

「ええ。いつもご愛読、ありがとうございます」

「は?」

「ああ、失礼しました。この名ではわかりませんよね。金談、と言えばわかるでしょうか?」


 キンダン……つい最近、聞いたことがある気がする。

 だけどなかなか思い出せないでいると、座敷にお幸ちゃんの声が通った。追加の酒を持ってきてくれたらしい。夜も更けているというのに、疲れを感じさせないほど綺麗なお幸ちゃんを見て、私はようやく思い出した。


「キンダンノエロス!!」


 叫んだ私に、トシゾーが「なんだそりゃ」と声を上げる。


「知らねえの!? トシゾーとソージのちょめちょめを書いてるやつだよ!」

「おい、ちょめちょめってなんだよ」

「ちょめちょめは……ちょめちょめだよ!」

「あの、一紗さん。私は土方君と沖田君とは今日が初対面です。なので、彼らを参考にしたお話は書いたことがありませんよ」


 至って穏やかに返す山南さんに、思わず一歩後退る。優しそうだと思った微笑みも、ここまでぶれないのならば一種の畏怖すら覚えてしまう。

 と、その時。背中にドンと衝撃が走った、興奮した様子のお幸ちゃんが、真っ青な顔の私を押しのけたらしい。その彼女が山南さんの手を掴むと、きらきらとした瞳で見つめる。


「金談先生! 先生の作品、一つも欠かすことなく読んでいます! まさか、こんなところで先生のご尊顔を拝めるなんて、私、感動で倒れそうです!」


 一息に捲し立てたお幸ちゃんは、宣言通りその場にぱたりと倒れた。


「――――で、お話ってなんのことだよ?」


 不気味な沈黙が落ちる座敷で、トシゾーの心底不思議そうな声が響いた。


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