一紗、未知の世界を知る(二)



 道場破りがやって来た!

 と字面だけでも楽しくしてみたが、無理だ、全然楽しくない。楽しくないどころか、結構な危機だったりする。


「なんでも、あの北辰一刀流の免許皆伝者らしいぜ」


 そう言うソージは、うんざりした顔を装いながらも、にやける頬を抑えきれていない。かくいう私も、きっと同じ顔しているのだろう。


「北辰一刀流? こりゃあ、大変だあ。万が一、道場主や塾頭が負けて看板を持っていかれたら堪ったもんじゃないから、ここはいっちょ私の出番だな」

「莫迦言ってんじゃねえよ。ここは塾頭である俺の出番だろ。肩書のないやつは隅っこで見学でもしてろ」

「はー!? 生意気言ってんじゃねえよ! あんた、この間の試合で私に負けただろ! 塾頭の肩書、私に寄越せってんだ!」

「ただでさえ面倒くせえ時に、痴話喧嘩してんじゃねえ!」


 ぽかりと頭をやられた。痛む頭を押さえながら顔を上げると、私とソージの頭にそれぞれ拳骨を落としたトシゾーが、呆れたように立っていた。


「山猿。かっちゃんがお呼びだ」

「やりいっ! 北辰一刀流の免許皆伝者とさせてくれるんだな?」

「ああ、やっこさんのご指名だ」


 「やっほう!」と雄叫びを上げる私の後ろで、ソージが待ったの声をかけた。


「指名? それ、怪しくないですか?」


 別に怪しいことなんてない。私を指名して挑戦を仕掛けてくる者は、時たまだがいたりするのだ。

 というのも、女だてらに剣術をしているというのが珍しいらしく、その筋では千葉道場の剣術小町と並んで、ちょっとした有名になっているらしい。ただし、向こうさんは三大道場の一つ、お玉が池の剣術小町という立派な肩書があるが、私はというと聞いたこともない田舎道場の剣術小町。なにやら格の違いを感じないでもない。


「怪しくても怪しくなくてもいいだろ。勝てば問題なし」

「そう言ったってお前、この間寺子屋の帰りに待ち伏せされて、危うく川に落ちかけたって聞いたぞ」

「あ、あれは、突然斬りかかってきたから、ちょっと驚いただけでい!」

「どうせ、その時に足でも捻ったんだろ。お前、最近右足だけかすかに引きずって歩いているぞ。歳三さん、一紗の代わりに俺を出してください。それが駄目なら、いつものように永倉さんの伝手を頼って、練兵館から助っ人を」


 ぎくり。怖々とソージを見遣れば、怒ったようにこちらを睨んでいた。

 本当に大した怪我ではないのだ。だから、余計な心配をかけまいとうまく隠していたつもりだったのに、よりにもよって最高に面倒くさいこいつに露見していたなんて。まさかとは思うが、先日の試合で勝ったのも、怪我をしている私に気遣った結果だったのだろうか。

 おそるおそるトシゾーを見上げると、白目を剥いて私を見下ろしていた。


「お前……この面倒くせえ時に、くそ面倒くせえ隠し事しやがって……」

「いや、待て! 別に隠していたわけじゃない! もうそんなに痛くないから、敢えて言う必要はないと思っていたんだ!」

「そんなに?」

「間違った! 全然痛くない!」


 ぶんぶんと右足を振り回せば、ソージに足首をぎゅっと掴まれた。堪えきれず悶絶する私の頭上で、トシゾーの淡白な声が落ちる。


「選手交代」

「待って! 本当に大丈夫だって! 私にさせてよ! 若先生の役に立ちたいんだ!」

「駄目だ。相手は北辰一刀流の免許皆伝者だぞ。万全の状態でも五分五分だってのに、その足じゃ負けは目に見えている。いいか、お前が負けたら、試衛館の看板は持っていかれるんだ。そうなったら、かっちゃんの役に立つどころの話じゃなくなるだろ」


 珍しく真面なお説教をするトシゾーに、ぐうの音も出ない。

 唇を噛み締めて下を向く私の肩に、ぽん、と手を乗せられた。


「というわけで、お前は隅っこで俺の勇姿でも見てろ」

「ソージ……」

「安心しろ。若先生に恥はかかせねえよ」


 その言葉に、ほっとする。そうして、ほっとした自分に首を傾げた。


(あの弟のように思ってきたソージに、背中を任せる日が来るなんてなあ……)


 子供の頃は、私がソージを守ってやるばかりだった。それが今となっては、あいつになら背中を預けても安心できる。月日というのは恐ろしい。

 そういえばあいつが泣いている姿なんて、ここ何年も見てないなあ、と思いに耽る私は、もう一つ大事なことに気づいた。いつの間にか、ソージの背が追いついている。隣に並べば明白だ。

 すっかり同じになった目線は、悔しいような……寂しいような気分にさせた。


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