宗次郎、恋を知る(三)
鼻先に、薄紅の花弁が一つかすめる。ふと顔を上げた先には、中庭の桜の木が満開に咲き誇っていた。
(この想いは、桜のようだな……)
色づいて咲き誇ったところで、しょせん散るさだめにしかない桜の花々。恋を自覚した次に待っているのは、この想いを忘れることなのだ。
女装した一紗は、山猿とは思えないほど、綺麗だった。惚れた贔屓目を抜きにしても、小町娘に引けを取らない可憐な一紗に、俺は目を見張った。だが、目を見張った理由は、それだけではない。
「と、歳三さん! 一体全体、どういうことです!」
暢気に口笛を吹かしている歳三さんを捕まえると、一息に責め立てる。慌てる俺を見て、歳三さんはにやりと笑った。
「落ち着けよ。あの髪紐、お前からとは言ってねえからさ」
「そ……そういう問題ではありません! あれはあなたにあげたものでしょう!?」
「おう。だから、俺の好きなように使っていいはずだぜ」
最悪だ。あげる相手を、完全に間違えた。
こんなことならお幸にあげればよかったと悔やんだところで、お幸とばっちり目が合った。お幸も一紗の髪に飾られている髪紐に気づいたはずだ。居た堪れなくなった俺は、そうっと視線を外す。そんな俺を、お幸はただ無表情で、じいっと見つめていた。
「も、もういいです。席につきましょう」
お幸の視線から逃げたい一心で席につけば、間もなく永倉さんに袖を引かれた。
「おい、宗次郎。一紗を探しに行ってくれ」
「は?」
「左之や彦次郎さんがあまりにも手放しで褒めるものだから、恥ずかしがって雲隠れしちまった。お前なら、一紗の隠れそうな場所がわかるだろ?」
溜息をつきながら席を立つ。一紗の隠れそうな場所ならお手のものだ。屋根の上、中庭の桜の木の影……と順々に回っていく。どこにもいない。となると……。
「おい、女装女」
「なんだよ。不機嫌そうだな。その女装、みんな褒めてくれたんだろ?」
「だから私はもともと女だってば。……褒めてくれたけどさ、こんな女らしい着物に髪型、私に似合うもんか。切腹裃の方がよっぽど似合うよ」
だったら女装なんかしなくていいのに、と思う。この山猿が女装すれば小町娘にも負け劣らないほど可愛いなんて、誰も知らなくていい。俺だけが知っていればいいと、思うのに。
一紗が女装に頭を悩ませたり、見た目の心配なんてらしくないことをするのは、若先生のためだけだ。可愛いと言って欲しいのは、若先生ただ一人なのだ。
「そんなの似合ってどうすんだよ……。大丈夫。お前はちゃんと、綺麗だよ。俺が保証する」
そうとわかっているのに、性懲りもなく「綺麗」だなんて口にする自分に、ほとほと嫌気が差す。それみろ。俺が「綺麗」なんて言っても、一紗は欠片も照れたりしない。その頬が桃色に色づくのは、若先生が「綺麗」と言った時だけだ。
不貞腐れながら連れ戻した一紗を、若先生の前へ連れていく。本当は繋いだ手を放したくなかったけれど、だからこそ、一紗を若先生の元へ送り出すべきだと思った。想いを伝えられない苦しさは、他でもない自分自身が一番わかる。莫迦な俺より莫迦なこの女に、この苦しみが耐えられるはずがない。
だからさ、一紗。
もう言っちゃえよ。そして、楽になりな。
――――結局、一紗は想いを伝えなかった。
ただ笑って若先生に祝いの言葉を述べた一紗は、若先生の奥方になる人をじいっと見つめている。そして、ゆっくりと下を向いた一紗に、俺は慌てた。
泣くかと思った。一紗が泣いたところなんて一度も見たこともなければ、その慰め方もわからない俺は、気がつけば震える手をぎゅっと握り締めていて。
「一紗が俯く必要はねえよ。堂々としてろ」
莫迦だなあ。何やってんだろ、俺。
莫迦だ莫迦だと思っていた女は、俺の思っていた以上に大人の女だったらしい。一紗は、臆病風に吹かれたから想いを伝えなかったのではない。自分の幸せより好いている人の幸せを願ったからこそ、言わなかったのだ。
一紗にそれほどまで想われる若先生が、死ぬほど羨ましかった。
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