宗次郎、恋を知る(二)



 一番の解決策は、考えないことだと思った。

 歳三さんの言っていることなんて、しょせんボンボンの世迷言だ。本気にする方がどうかしている。そう決めつけた俺は、極力一紗のことを考えないようにした。考えても不毛な答えしか見つからないことを、わかっていたのかもしれない。

 世迷言を忘れるために、ますます稽古に熱中する俺を、永倉さんなどは「塾頭の自覚が芽生えてきたか。こりゃあ、試衛館も安泰だ」と褒めてくれたが、後ろ暗い気持ちしかない俺は、曖昧に微笑むことしかできない。そんな俺を見て、「お前も一紗もここんとこ元気がねえが、さて、拾い食いでもしたのか」と左之さんは首を傾げていた。鋭いのか鈍いのかわからない人である。

 歳三さんの足はここのところ途絶えていた。それは以前のように女々しい理由があるからではなく、単に家業が忙しいだけらしい。石田散薬の元となる牛革草ぎゅうかくそうの収穫期なのだ。そんなこんなで歳三さんの顔を見ずに済んだ俺は、あの世迷言を忘れる日もそう遠くないと高を括っていたのだが――……。

 若先生の婚礼の日は、否が応でもやってきた。


「おや、坊ちゃん。気になる品物でもありましたか?」


 その日は朝から小間物屋がきていた。一人息子の婚礼ということで、張り切ったおかみさんが呼んだのだ。もちろん、おかみさんが着飾る分は前もって準備しているから、自分の用があって呼んだのではない。めでたい日ということで、一人一つ好きなものを選んでいいと、奉公人への褒美のために呼んだのだ。倹約家のおかみさんが太っ腹になるほど、この日の近藤家は浮かれていた。


「いや、俺は……」

「気後れせずとも、男性用の飾りもざっと用意しているんですよ。坊ちゃんのように見目麗しい人には特に似合うはずですから、どうぞ手に取ってみてやってください」

「そうよ、宗次郎さん。今日はおかみさん直々の大盤振る舞いだから、一つくらい我儘を言ったって罰は当たりませんわ。ほら、この髪紐とか似合うのではありませんか?」


 わいのわいの騒ぎながら小間物を囲んでいた女中たちのうち、俺に気づいたお幸が浅葱色の髪紐を差し出してくる。夏空のように、ぱっきりとした色合いの青。よく染め抜かれた髪紐を見て考えるのは――……


(そういえばあいつ、髪飾りの一つも持ってなかったなあ……)


 女子の着物や飾りにはとんと疎いやつのことだ。今日小間物屋が呼ばれていることも知らないのだろう。歓声を上げる女中たちの中に一紗の姿を見つけられなかった俺は、人知れず溜息をついた。


「気に入りましたか? それを意中の女性を射止めるのに使うのもありですぜ、坊ちゃん」

「な……っ!? そんなやつ、いねえよ!」

「またまた。ムキになるところが、ますますあやしい」


 困った。浮かれているのは近藤家の人間だけではなく、商売繁盛の親父も同様らしい。

 慌てて髪紐を戻そうとした俺だが、結局親父の強い押しに負けて、一つ購入する羽目になった。


「宗次郎さん、それ、誰かに贈るの?」

「……そんなわけねえだろ」

「じゃあ、私にちょうだい?」


 なぜかふくれっ面のお幸からそうおねだりされたが、この髪紐を一紗以外の女が身につけるのが厭だった。それが例え、お幸だとしても。


「お幸はこんな地味な髪紐より、華やかなかんざしや櫛が似合うよ」


 苦し紛れにそう返せば、お幸はころりと機嫌が良くなった。俺の袖を引いて、自分に似合う髪飾りを見繕ってくれとせがむお幸に内心げんなりしながらも、髪紐の話題を蒸し返されなくなかった俺は、赤い珊瑚玉さんごだまが一つついた玉簪を選んだ。


「ありがとうございます! 家宝にしますね!」


 お幸は泣き出さんばかりの勢いで喜んだが、金を出したのは俺ではない。おかみさんだ。感謝する相手が違うのではと思ったが、お幸の機嫌が直ったので深くはつっこまなかった。


「で、俺はこれをどうするか……」


 直に手渡すのは気恥ずかしい。一紗とはただの腐れ縁で、喧嘩友達だ。互いに贈り物をしあう間柄ではない。それに、これを贈ってしまえば歳三さんの世迷言が真に翻ってしまいそうで、身震いがした。


「お、ソージじゃねえか。うろうろと何してやがんだ?」


 あーだこーだと考え事をしているうちに、家の中をうろうろと歩き回っていたらしい。運の悪いことに歳三さんとばったりかち合ってしまった俺は、げえっと顔を顰めた。


「歳三さんこそ、その恰好はなんですか。今日は若先生の婚礼ですよ」

「知ってるよ。だけどなあ、俺は紋付き袴の堅苦しいのは苦手なんだ。それに、俺には着流しが一番似合っているからいいんだよ」

「さいですか……」


 とっとと踵を返そうとした俺だが、ふと立ち止まって首を傾げる。ここは屋敷の一番奥に面する、女中部屋の近く。家中の人間しか立ち寄らないような場所に、どうして歳三さんがいるのか。


「山猿に呼ばれたんだよ」

「一紗に?」

「女物の髪を結ってくれだと。あの一紗がかっちゃんのために女装しているらしいぜ。恋とは恐ろしいこって」


 ぶるり、と身震いをしながら話す歳三さんの一言で、俺の浮かれていた気持ちは急速に冷えていった。


(莫迦だなあ、俺)


 一紗に似合うと見繕った髪紐を渡したところで、一紗の気持ちが動くことはない。一紗は、若先生のためならば……いいや、若先生のためでしか女物の着物も着ないし、髪だって結わない。髪飾りだって、つけない。


「……おおい、ソージ?」

「歳三さん、これあげます。今狙ってる女子に贈っていいですよ」

「は? 髪紐? おい、ちょっと待てって!」


 浅葱色の髪紐を歳三さんに押し付けると、すばやく身を翻す。みなが集まり始めたであろう大広間を目指しながら、ぼんやりと思った。


(どうして、今になって気づいてしまうかなあ……)


 いつからなんてわからない。どこを、を訊かれてもわからない。

 だけど俺は、一人の女子として、一紗が好きなのだ。


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