宗次郎、恋を知る(一)
一紗の様子がおかしい。大好きな剣術にも上の空。しまいには大事な塾頭を決める試験で見事にずっこけ、戦わずして勝敗を決してしまった。これはおかしいと不審に思っていたら、どうやら一紗の心はここにあらずだったらしい。
一紗は、若先生に恋をしてしまったようだ。
「わかんない。でも、そうなんだろうな。若先生が好きだってことに、よりにもよって今気づいちまった。お嫁さんをもらう人を好きになるなんて、私は漢失格だ。だから、この罪は死をもって償おうと思ったんだよ」
そう一紗は半べそをかいて白状したけれど、かくいう俺は腰を抜かしそうなほど驚いていた。
だって、あの一紗だぜ? 料理をしたら魔物を生んで、掃除をしたら大半のものを大破させる女が恋!? しかも、相手がよりにもよって若先生ときた。
衝撃から白目を剥いて答える俺に、一紗が恥ずかしいだのなんだの騒ぐ。この頬を薄紅に染めて俯く女は誰なんだ。まさかとか思うが、あの山猿と同一人物なのか。軽い眩暈がして、ふらりと地面に手をつく。と、気がつけば、一紗の掘った墓穴に落とされていた。
「クソ猿が……! 俺を殺す気か!?」
「ご、ごめん」
素直に謝るのも、非常に一紗らしくない。墓穴から這い上がりながら、若先生に想いを伝えるのかどうか尋ねれば、思いの他消極的な返答が返ってきた。
まあ、一紗の気持ちがわからないでもない。良いも悪いも、一紗と若先生は距離が近すぎるのだ。もし玉砕でもしてしまった場合、関係を修復するには難しい立ち位置。加えて、若先生は婚礼を間近に控えている。
そして、解せないことがもう一つ。一紗の恋の話を聞いてから、自身の様子がおかしい。何をしても落ち着かない。寝ても覚めても、若先生のことが好きだと言った一紗のことを思い出してしまう。らしくもなくぼんやりとしすぎて、日に何度も一紗の掘った墓穴にはまる。よもや悪い病気かと心配になった俺は、一応本業が生薬売りである歳三さんに相談することにした。
「…………。おい、ソージ。それって……」
そう言ったきり、歳三さんはむっつりと黙ってしまった。春風にそよぐ端正な横顔を胡乱げに見つめる。はっきりとした物言いの歳三さんが、言い詰まるのも珍しい。それほど悪い病なのか。
「いいですよ、歳三さん。はっきりと言ってもらって。覚悟はできています」
「え? 覚悟できてんの?」
「はい。俺は、それほど重い病なのでしょうか?」
「いや、まあ……病といえば病だが……そりゃあ、恋の病だな」
コイノヤマイ?
……鯉の病?
「いくらなんでも、鯉は食べていませんよ」
「……お前、それはボケてんの? それとも、真性のボケなの?」
「失礼な人ですね。学の足りなさなら、歳三さんに引けを取りませんよ」
「ほーう。よくわかった。お前は俺をコケにしてんのね」
頭上に落とされかけた拳骨を避けたところで、呆れたような溜息をつかれた。
「いいか、剣術莫迦。よく聞け。お前は恋の病だ。だからって、鯉を食べ過ぎて腹が痛えわけじゃねえ。お前さんも一紗と一緒ってわけよ」
「は? 一緒?」
「その……だな、お前さんは、かっちゃんに恋してる山猿に恋してるわけだ!」
突然声を荒げた歳三さんを、ぽかんと見上げる。
歳三さんは、一紗が若先生のことを好いていることを知っていたのか。いったい、いつから知っていたのだろう? いやいや、今はそれよりも。
俺が、若先生のことを好きな一紗を好きだって?
あまりにも現実離れした言葉に、乾いた笑みが漏れた。
「……そんなの、ありえない。ありえちゃいませんよ。だって、一紗は若先生のことが好きなんです」
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