一紗、恋を知る(二)



 一晩中考えた。でも、一晩では足りなかったので、次の日が暮れるまで考えた。水も食事も断って女中部屋に籠る私を、やれ天変地異の先触れかと、みなが雁首がんくびを揃えて心配していたらしい。だが、そんなことは露とも知らない私は、日が暮れて辿り着いた結論に、覚悟を決めていた。


「よし、死のう」


 そう決めて掘った墓穴は、いささか小さい。綺麗に頭だけ出てしまった。どうやら、少々目測を誤ったらしい。

 ざくざくと墓穴を深くする私の頭上に、覆い被さる一つの影。


「お前、何してんの?」


 うっわ。最悪。今一番会いたくないやつに会ってしまった。

暗がりの中でも、「げ」と厭な顔をした私に気づいたのだろう。月光を背負って立つソージが、明らかに不服そうな顔をした。


「本気で何してんの? 全身泥まみれじゃん」

「……別に、放っておいて。もうじき泥と一体になるから」

「は? 何言ってんのか全然わかんねえ。筋肉しか詰まっていない脳みそが、とうとうポンコツになっちまったのか?」


 棘のある物言いが、グサグサと心に刺さる。ただでさえ繊細な時期なのだ。もう少し優しくして欲しい。


「もう本気で放っておいてくれよ……。私なんて、どうせ生きている価値もないんだから」

「おいって。穴の中にもぐろうとするなよ。てか、この穴はなんなんだ?」

「私の墓穴」

「はあ?」

「生きている価値もないクズは、大人しく土に還ります」


 土の中にもぐろうとする身体を、無理やり引き上げられた。引っ張り上げる時に泥がついたのだろう。同じく泥だらけになったソージを、きっと睨みつける。


「なんで助けるんだよ! 死なせてくれよ! かくなる上は、醤油をがぶ飲みするしかねえじゃねえか! くっそ、もったいない!」

「ちょっと待て。いったん冷静になってくれ、頼むから。お前はどうして死のうと思ったんだ?」

「そんなの……お嫁さんをもらう若先生を好きになっちまったからに決まってるだろ!?」


 八つ当たり気味に切り返す私を、ソージは世にも間抜けな顔で見つめた。

 まるで、鳩が豆鉄砲を食ったような顔に、状況も忘れて噴き出しそうになる。


「…………は? それ、新手の冗談とかじゃねえんだよな?」

「冗談で墓穴なんて掘るかよ!」

「そ、そうだよな。じゃあお前は、今までずっと若先生が好きだったってこと、なのか……?」

「わかんない。でも、そうなんだろうな。若先生が好きだってことに、よりにもよって今気づいちまった。お嫁さんをもらう人を好きになるなんて、私はおとこ失格だ。だから、この罪は死をもって償おうと思ったんだよ」

「お前漢じゃねえし。いや、今はそれどころじゃねえな。それにしても、山猿女が恋を知るとはなあ……」


 そう言ったソージは、何とも奇妙な顔をした。まるで、歯に挟まった米粒をとろうとしているような顔に、遅れて羞恥が競り上がる。

 わ、私ってやつは……!

 いくら切羽詰まっていたからって、こいつに恋心を暴露することはなかっただろう!?


「も、もう! 好きとか恋心とか、軽々しく言うんじゃねえよ! 恥ずかしいじゃねえか!」


 羞恥に任せて背中を叩けば、どうやら力加減がなっていなかったらしい。勢いあまってお手製墓穴に落ちたソージを、慌てて拾い上げる。


「クソ猿が……! 俺を殺す気か!?」

「ご、ごめん」

「……ま、今日だけは大目に見てやる。で、どうすんの。お嫁さんがくるからって理由だけで、お前は諦めきれるのか?」

「なに言ってんだよ。お嫁さんがくるんだから、諦めなくちゃいけないだろ」

「じゃあ、なんで墓穴を掘ってたんだよ?」

「だから――」

「諦めきれないからじゃないのか? 簡単に諦められる想いだったら、知らぬ顔してこれまで通りにすればいいだけだろ? それができないから、お前は死にたいと思うほど、思い詰めてたんじゃないのか?」


 痛いほど心を見透かす幼馴染に、もはやぐうの音も出ない。でもここで頷いてしまったら引き返せなくなる気がして。思わず、問い返していた。


「……じゃあ、ソージはどうなんだよ?」

「ん?」

「ソージが私の立場だったら、どうする? 諦めて、これまでと同じように接する? それとも、諦めないでいるのか?」


 俺は――……、とやけに真剣な声色で呟くソージの横顔を、淡い鬱金色うこんいろの光が照らす。十年前、ただの小坊主だった時に比べると随分男らしくなった横顔に、いたずらに胸が騒いだ。


「俺だったら、諦めきれないかも」

「諦めきれない?」

「うん。諦めたくても、諦めきれないかも。誰かを心から好きになるって、一生分の心を砕かない限り、できそうにないと思うから」


 私と同じで剣術しか取り柄のない莫迦のくせに、なかなか深いことを言うソージである。


「お前さ、そこまで言うってことは、その……誰かを心から好きになったことがあるのか?」


 わけもなくどきどきする心の臓を、小袖の上からぎゅっと押さえる。だが、期待に反してソージはあっさりと首を横に振った。


「いや、ねえな」

「なんだよ。恋もしたことがねえのに、いっちょ前に訳知り顔してんじゃねえよ」

「はっ。想いを伝える勇気もなくて、墓穴掘ってる猿には言われたくねえな」

「うぐっ。だ、だって、しょうがねえだろ! お嫁さん抜きにしても、今更若先生が私のことを一人の女子として見てくれるかよ!」


 それもこれも、全て自分で蒔いた種なので、言っていてとても心が痛い。こんなことならばもう少し真面目におかみさんの女子教育を受けていれば良かった、と後悔したところで後の祭りである。


「別に、今からでも遅くないんじゃねえの。てか、別に今更女らしくしようとしなくても、若先生はそんな理由でお前を振ったりしねえだろ」

「でも……」

「大事なのは、自分の気持ちを正直に伝えることだ。いつまでもうじうじ悩んでいるなんて、一紗らしくねえや」


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