宗次郎、巻き込まれる(四)



「……は? ホックチョー?」


 完全に寝耳に水だった俺は、若者が何を叫んでいるのか、何を握り締めているのかさっぱりわからない。だが、歳三さんは如何承知の様子で、若者の手から紙の束を疾風はやての勢いで奪うと、一目散に道場を出て行った。


「あ、ちょっと! 歳三さん……!」

「おい、ソージ! トシゾー! 無事か――ッ!?」


 道場の引き戸をぶち破って駆け込んできたのは、息を切らせた一紗で。久しぶりに見る袴姿の一紗の後ろには、見たこともない美しい女と、悪たれ一~三が息を切らしていた。


「……は? なんでお前が?」

「悪たれ共が、お前の危機だって知らせに来てくれたんだよ! おことさんちから全力疾走で来てやったのに、お楽しみはもう終わっちまったのか? お前だけずりーよ!」

「何がお楽しみだ。状況を見てから物事は言え」


 そういえば、途中から悪たれ共の姿が見えないと思っていたら、稽古先の三味線屋の師匠の元へ、わざわざ一紗を呼びに行ってくれていたのか。だとすれば、床に伸びきっている道場主を心配気に見ている美人は、三味線の師匠だろう。

 そう検討をつけた俺は、ひっそりと溜息をついた。

 悪たれ共め、余計な真似を。ただでさえややこしい雰囲気がぷんぷんしているのに、この莫迦が来ると余計にややこしくなる。


「で? 何かおかしい気がするんだけど、ホックチョーって何のことなの?」


 そう尋ねる俺に、突然殴りこんできた一紗一行に呆気にとられていた若者は、慌てて顔を上げた。


「発句帳は発句帳です! 俳句を書き込む手帳!」

「いや、それくらい俺も知ってるよ。それが今どう関係あるのか訊いてんの」

「何を白々しい……。先生の俳句趣味を聞きつけて、先に俳句勝負を挑んできたのはあの薬売りの方ではないですか! 自分から勝負を挑んできたまでか、負けた方が勝った方に発句帳を差し出すと言い出したのもあの薬売りなのに、いざ負けたら暴力で取り返すのですか? あなた方は、武士の風上にも置けない人たちですね!」


 道場主を倒した俺に、多少の畏怖は感じているのだろう。捨て犬みたいにぷるぷる震えながらも、必死でこちらを睨んでくる若者に、軽い眩暈を覚える。

 まさかとは思うが、俺、また良いように使われた?


「……ちょっと待ってくれ。発句勝負? 歳三さんは、道場破り紛いなことをして、怪我を負わされわけじゃないのか?」

「まさか! うちには発句勝負を挑んできただけですよ。あんな傷、さっぱり存じ上げません」

「そう言えば、途中でトシゾーと擦れ違ったけど、凍った坂道を派手に転がり落ちていたぞ」


 一紗の言葉に、違和感が一つずつ繋がっていく感覚がした。

 あのやろう~! 男の誇りが何とか言っていたが、ただの紙切れを取り上げられただけじゃねえか! おまけに、自分から吹っかけた勝負だというから、完全に自業自得。あんなやつの口車に乗せられて、自分は何という愚かなことをやってしまったのだろう。


「トシゾー、顔に似合わず発句とか、ジジ臭い趣味があったんだな。どうせ、夢見がちな句しか捻ってねえんだろうなあ。よし、今度からかってやろ」

「言っている場合か! とにかく、歳三さんを追いかけるぞ!」


 若者と、未だ伸びたままの道場主に頭を下げると、逃げるように道場を後にした。探し人はすぐにみつかった。一紗の言った通り、凍った坂道の下で新たな傷をこさえ、目を回している。潰れた蛙よろしく、腹這いに倒れる歳三さんに近づくと、怒りを鎮めるために重い溜息を吐いた。


「……念のために確認しますけど、その傷は自分でずっこけてこさえた傷ですよね?」

「ま、怪我の功名ってやつだな」

「で、その手に持っているのは、勝負に惨敗して没収された発句帳ですね?」

「惨敗じゃねえ。僅差だった。それなのにあいつら、腹を抱えて笑いやがったんだ。終いには道場内で回し読みを始めやがったんだ。俺は男の誇りを踏みにじられた。絶対に許せねえ」

「そうですか……」


 もう怒るのも疲れた。怒る代わりに足を振り上げた俺は、爪先を容赦なく歳三さんの鳩尾へと振り下ろす。「へぐうっ」という情けない悲鳴の後には、白目を剥いて気絶した歳三さんが残った。


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