宗次郎、巻き込まれる(二)



「おい、女房! あれ、お前んところの薬売りだろ? 寺子屋のみんなが迷惑してんだ! 早いとこ、引き取ってくれ!」


 思わぬ人物の来訪に、素振りをしていた手を止めて汗を拭う。寺子屋の悪たれ一~三。悪たれ共がわざわざ試衛館に駆け込んで来てまで話す人物が誰のことか、大方予想はついたが、だからこそ真面に取り合いたくなかった。


「勘違いをするな。あれはただの居候であって、うちに正式入門はしていない。だからうちの、と言うのは語弊がある」


 そう御託を並べる俺を、悪たれ一~三は白い目で眺める。無理矢理道場の外に引っ張り出そうとする悪たれ共が、口々に不平を並べた。


「おい、女房。面倒くせえこと言ってんじゃねえよ。大人げねえぞ」

「知ったこっちゃねえよ。それに、お前らは一紗の子分だろ? 面倒事は親分かずさに頼め」

「俺らだって、まずは旦那を訪ねてみたさ。でも、旦那は三味線の稽古に行ったって言われちまった。なあ、俺の耳は腐ってねえよな? 旦那、三味線なんて女らしいことをやってんのか?」


 そうだった。折も悪く、一紗は今日、おかみさんの命令で習い始めたばかりの三味線の稽古に行っていたんだった。

 こくり、と頷いた俺に、悪たれ共が絶望に似た表情を浮かべる。


「ほんとかよ……。旦那、女装の次は女磨きしてんのか」

「一応言っておくが、一紗はもともと女だからな」


 そんなくだらない言い合いを繰り広げながら引っ張られた先は、俺たちの通う寺子屋の裏手だった。使われなくなった寺の一角を改装した寺子屋だけあって、裏手には大量の卒塔婆そとばが平積みにされている。平積みにされた卒塔婆とこんもりと積もった雪山に挟まれるようにして、その面倒事・・・襤褸雑巾ぼろぞうきんにように転がっていた。


「……一応訊くけど、ここで何をしているんですか?」


 はあ、と重い溜息をつきながら尋ねた俺に、襤褸雑巾がぎろりと視線を寄越す。一応意識はあるらしい。


「……お前かよ。ちっ、ついてねえ」

「いや、ついてないのは俺ですからね。一体全体、何をやらかしたらそんな襤褸雑巾にようになるんですか」


 襤褸雑巾こと歳三さんは、傍から見てもひどい有様だった。着流しから覗く手足は擦り傷だらけ。唯一の取り柄である端正な顔にも、至るところに赤い線が目立つ。おまけにこの襤褸雑巾、極寒の空の下だというのに、綿入れ一つ着こんでいない。迷ったが、三枚重ねにしてきた綿入れのうち一つを歳三さんに渡すことにした。


「いらねえよ」

「いや、どう考えてもいるでしょう。着てくださいよ。あなたに風邪をひかれるともっと面倒ですから」

「お前なあ……」

「で、今度はどこのやくざ者に喧嘩を売ったんですか。常日頃から言っているでしょう。うちに正式入門して真面目に稽古をすれば、やくざ者相手でもそうやすやすと負けることはないって」


 ぐちぐちと説教を垂れる俺を、歳三さんがぎろりと睨み上げる。どうやらかなりご機嫌ナナメの様子。


「喧嘩じゃねえよ。これも立派な商いだ」

「はあ?」

「防具を引っ提げて道場を訪ねる。そこで他流試合を申し込んで、相手をこてんぱんにのしたところで、切り傷打ち身に効果抜群な家伝の石田散薬いしださんやくを売りつける。そうすると、薬は飛ぶように売れるって寸法だ」

「呆れた。まだそんな乱暴な商売をしていたのですか? それで、今日はとうとう返り討ちにあったと?」


 尋ねれば、むっつりと黙り込んでしまった。図星らしい。


「自業自得ですね。これを機に、乱暴な商売はやめた方がいいですよ。身体がいくつあっても足りません。悪徳商法に勤しむくらいなら、俺の出稽古にくっついて来て薬を売る方法の方がいくぶんかマシです」

「やなこった。しばらくお前の顔は……試衛館の人間の顔は見たくねえ」


 だから、自分一人で稼げるやり方でやるのだと言う。


「あなた、正真正銘の莫迦ですか? そんな乱暴なやり方、命がいくつあっても足りませんよ?」

「だからなんだよ。お前には関係ねえだろ。放っておいてくれ」

「……」


 ああああ、面倒くさい。心底面倒くさい。俺のことは放っておいてくれ、と言いながら、構ってくださいと言わんばかりの空気が全身から滲み出ている。そうとわかっているからこそ、これ以上天邪鬼男に関わるだけ徒労だ。潔く踵を返した俺の前に立ち塞がったのは、すっかり存在を忘れていた悪たれ一~三。


「おい、女房! 逃げるのかよ!?」

「いや、逃げるとかじゃなくて、帰るだけだから。ああ、この襤褸雑巾は放っておいていいらしいから。邪魔だったらゴミ出しの振り売りに処分を頼んでも構わねえよ」

「そういうことじゃなくて! 女房はこの襤褸雑巾の仇を討ちに行かねえのかよ?」

「はあ? なんで俺が」

「だって、旦那だったら絶対にそうするぜ?」


 三つの無垢な目を見下ろして、溜息をつく。そうなのだ。あの怪力女は単純なだけあって正義感に厚い。喧嘩を吹っかけてきた悪たれ共を屈服させた時は流石に容赦なかったが、子分にしてからは他所の悪たれから守ってあげるなど、いい親分っぷりを発揮していた。その甲斐もあって、表向きは一紗に盾突く三人だが、心の中ではちゃっかり信頼している。――――傍迷惑なことに。


「……知らねえよ。だったら一紗に頼めよ」

「だーかーらー! 旦那は今女装して女磨きの稽古中なんだろ? だから女房に頼んだじゃんか!」

「もしかして女房は、勝つ自信がないのか? 旦那は女房のことを強いって言っていたけれど、あれはオセジってやつだったのかよ?」

「ひー! 旦那に気を遣われる女房辛え~!」

「……」


 ああああ、面倒くさい。心底面倒くさい。それもこれも、一紗の教育がなっていないせいだ。

 もしこいつらを無視して帰ってしまった場合、俺は負け犬として噂を吹聴されるのではないだろうか。何かを期待するような三つの目を見下ろして、沈思する。

 負け犬の汚名を甘んじて受けるか、それとも俺さま構ってちゃんに構うか。どちらをとっても後々面倒くさそうである。だが、前者の場合、末代まで一紗に莫迦にされること間違いなし。

 そう思った途端、結論はいとも簡単に出た。


「……わかったよ。ちゃちゃっと仇をとってくればいいんだろ?」

「いよっ! 女房、格好いい~!」

「褒めても何も出ねえからなっ! で、歳三さん。歳三さんが返り討ちにあった相手って誰なんですか?」


 そもそも、歳三さんから吹っかけた喧嘩だ。だから仇も何もないのだが、頭に血が上っていた俺は気づけなかった。


「返り討ちなんて簡単な話じゃねえんだよ。俺はあいつに、男の誇りを踏みにじられた」

「は? 埃?」

「違えよ! 叩けば出るやつじゃねえ! 男の魂のことを言ってんだ!」


 相変わらず夢見がちな物言いをするボンボンである。そんな世間知らずなボンボンが返り討ちにあったという相手が、ここいらでは有名な剣術道場の道場主だというから、堪ったものではない。


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