宗次郎、悩む(二)



 昼間、西瓜を食べ過ぎてしまった。若先生が「一紗に渡してくれ」と残してくれた西瓜も、なんだかむしゃくしゃして食べてしまったので、一人で半玉ほど食べてしまった勘定になる。そのせいで、厠通いが止まらない。

 草木も眠る丑三つ時。何度目かわからない尿意に叩き起され、いそいそと厠へ通う俺を呼び止める声があった。


「よう、相棒」


 厭な予感しかしなかった。だが、染みついた反射とは恐ろしい。胡乱げな表情で振り向いた俺を、そいつは片頬を上げながら見つめる。


「……どうしてそんなことになっているのか、一応訊いて欲しいか?」

「まあ、答えてやらんでもないな」


 えっへん、とない胸を張る莫迦は、中庭の桜の木に縄でぐるぐる巻きに縛りつけられていた。お蔭で、かなり間抜けな景色になっている。


「仕方ないから訊いてやる。今度は何をしたんだ?」

「仕方ないから答えてやる。おかみさんがあまりにもしつこいから、女今川の表紙を女金玉に書き換えてやっただけだ」


 莫迦だ。筋金入りの莫迦だ。

 手足がにょきにょきと伸びた一紗を昔のように木に吊り下げるのは厳しくなったのか、最近では荒縄で木に括りつけるようになっていた。それでも、昔より随分と回数が減っていたが……下品な落書きにおかみさんの堪忍袋の尾が切れたらしい。


「莫迦かよ。そんなことをしたら折檻せっかんされるってわかってるじゃん」

「わかっててもさ、本当にしつこいんだよ、最近。二言目には女らしくしろ、女らしくしろって。わざわざ言われなくても私は女だわ。きっちりお馬(※生理)も始まったし」

「そういうことを男の俺の前で言うから、おかみさんも口煩くなるんだろ」

「はあ? 男っていっても、あんたとは兄弟みたいなもんじゃん」

「ちょっと待て。兄弟って、どっちが兄でどっちが弟だ?」

「そりゃあ私が兄であんたが弟に決まってるだろ。あんた夏生まれ。私春生まれ」

「ふざけんなよ。どう考えても俺が上だろ。いつもいつも、お前の尻拭いをしているのは俺だ」

「まあ、確かに。じゃあ、尻拭いついでに何か食べるものを持ってきてよ。昼から何も食べてないんだ。いい加減腹ぺこ」


 へらり、と笑う莫迦を、横目で睨みつける。

 昔からそうだ。折檻を受けている時、俺を呼び止めるこいつは決まって助けを求めない。求めるのは飲食だけ。それを俺はずっと、歯痒く思ってきた。


「……助けてやろうか?」

「は? いいよ。そんなことしたら、あんたまで木に括りつけられるぜ」

「……ふん。面倒くさいやつ」

「あ? なんだとう?」

「意地とか矜持きょうじとか、女とか男とか面倒くせえよ。お前さ、やせ我慢なんてしないで、辛かったら実家に帰ればいいじゃん。お前は帰る家があるんだから――」


 言い過ぎた、と気づいて、はっと口を閉じた時にはもう遅かった。まずい。これでは、相も変わらず女々しいやつだと、また莫迦にされるのではないか。

 後ろめたさから下を向く俺の頭上で、はっと乾いた笑いが漏れた。


「何それ。別に私は厭々ここにいるわけじゃねえよ。好きでここにいんの。それをお前にとやかく言われる筋合いはねえよ」

「好きでここにいる? 大嫌いな女子教育をさせられてまで、ここが好きだって?」

「ああ、そうだよ」

「そんなわけねえだろ。お前は女らしく、と言われるのが嫌いなはずだ。嫌いなことを強要されてまで、ここにいる理由なんてねえだろ?」

「はあ? お前こそふざけんなよ! ここにはお前がいる。剣術が学べる。だからここにいるに決まってるだろ!」


 括りつけられたままの一紗の足から、草鞋が一足ぶん、と飛んだ。うっかり避け損ねた俺は、草鞋を顔面で受ける羽目になった。


「へぶしっ」

「お前、私が括りつけられていなかったら、殴りかかっていたところだからな!」


 感謝しろ、と言わんばかりに吠える一紗は、鼻息が荒い。どうやら本気で怒っているようだ。


「剣術が好きだ。大好きな剣術で誰にも負けたくない。特に、お前には絶対に負けたくない。だから私はここにいる。何か文句あっか!」


 葉桜を茂らせる木に括りつけられたまま、月明かりに照らされてわんわん吠える一紗を、ぽかんと見上げる。突きつけられた言葉は、自分が一紗に向けたかった言葉そのものだった。


(……俺も同じだ)


 意地とか矜持とか、男とか女とか、そんなものはどうでもよかった。ただ、一紗とやっとうがやりたかった。ガキの頃、棒切れを振り回して遊んでいた時のように、ずっとずっと、一紗と張り合って生きていたかったのだ。

 それを男だから、女だからと線引きして、切り離されているようで……俺は、一紗が剣術を辞めてしまうのではないかと不安で、子供のように拗ねていたのかもしれない。


「……ふ。ふはははは」

「は? ……なんだよ、気持ち悪い」

「ははははっ」

「……おーい、ソージさん? 大丈夫? 草鞋の当たりどころが悪かった?」

「悪かったな。西瓜、全部食って」

「は? 西瓜?」

「それと、俺もお前には絶対負けたくねえわ。俺がお前に勝っている限り、お前は剣術を辞められねえもんな」


 にかり、と笑った俺を、今度は一紗がぽかんと見つめる。その間抜け面をとっくりと拝むと、握り飯でも作るべく、土間へ足を向けた。


「ねえ、ちょっと待って。待てって。ねえ、西瓜ってなんのことだよ!?」


 背後で一紗が喧しく叫んでいたが、説明が面倒なので無視をすることにした。


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