一紗、とりあえず成長する(三)



 無駄な喧嘩を繰り広げたせいで、その日の若先生による特別稽古は行われなかった。周助先生、若先生の稽古を受けるようになって、私たちは毎日みなより一刻は早く起き、仕事に稽古にと勤しんでいる。それでも、日中も稽古に勤しめる門下生と違って、私たちに与えられた稽古時間は明朝の半刻限りだから、どうしても他の門下生と差がついてしまう。その差を補うために、若先生に頼み込んで始めた秘密の稽古だったのだが。


「てめえのせいで台無しになったじゃねえか」


 道場の床板を雑巾で拭き上げながら、ぶつぶつと不満を零す。同じく雑巾を手にしたソージが、心外だとでもいうように口を曲げている。


「お前が見境なく突っかかってくるからだろ」

「ふざけんなよ。お前の声がでかいからだ」

「声と態度のでかさなら、お前の右に出る者はいねえよ」


 思わず掴みかかったところで、お互いに手を止めた。さっきも喧嘩しているところを周助先生と若先生に見つかって、稽古の代わりに道場の掃除という罰当番を命じられたところだ。これでは振り出しに戻るだけ。手を止め、一歩距離をとった私たちは、どちらともなく重い嘆息をついた。


「俺たちってどうしてこうなんだろうな……」

「お前が大人げないからだろ」

「その言い方はやめろ。また喧嘩になるだろ」

「あ、そっか」


 どうして、と訊かれても、首を傾げるしかない。物心についた時には既に、この憎たらしい顔が隣にあったのだ。しいて言うなら、こんな田舎道場に二人揃って送り出した、双方の親を恨むしかない。


「……あのさ、ほんと、たまーに、ごくたまに思うんだけど、もし一人で口減らしにあっていたら、きっと一回くらいは家に帰りたくなったと思うんだ。でもそうは思わねえから……一人じゃなくて良かったって、思う」


 私が黙ったことで、落ち込んでいると思ったのだろうか。珍しいことを口走るソージに、目を丸くする。そのうちなんだか照れくさくなって、照れ隠しのように痩せっぽっちの背中を叩いた。


「いてっ! 本気で痛い! お前はもうちょっと自分の怪力を自覚しろ!?」

「うるせえなあ。お前はもちっと肉をつけろよ、相棒」

「だから、お前の悪さの片棒を担ぐ気はねえっての!」


 再び始まった喧嘩に、拳は使わなかった。拳の代わりに握った竹刀で、勢いよくぶつかっていく。剣術を習い始めて以来、私たちは喧嘩に拳ではなく、竹刀を使うようになった。拳を使った喧嘩では、身長や力に差のある私にどうしても軍配が上がってしまう。だが、竹刀は違う。より技を極めた者が勝利を掴むことができる。それは私にとって、実に楽しいことだった。


 どんな門下生にボコボコにされても、この小憎たらしい幼馴染には絶対に負けたくなかった。それはソージも同じようで、先を争うようにして技を極めた。寝る間を惜しんで剣術に没頭した。覚えたばかりの技でソージに勝てば、数日もすると破られてソージに軍配が上がった。しかしそれも数日しか持たず、再び私が勝利に返り咲く。だがまた数日もするとソージが新しい技を覚えて……と、明確な勝敗もつかぬまま、ひたすらに剣術を極めていたら、いつの間にか五年の歳月が過ぎていて。十五歳に成長した私たちに敵う門下生は、数える程度になっていた。


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