宗次郎、薬売りに出逢う(四)



 薬売りの名を、土方歳三ひじかたとしぞうというらしい。彼は武州多摩石田村ぶしゅうたまいしだむらの豪農、土方家の十人兄弟の末っ子。そんなボンボンと若先生がなにゆえ知り合いなのか。それは、彼の義兄が農民でも武芸を身につけなくてはいけないという、今時珍しい見識の男で、おまけに日野宿の名主という金持ちだから、自宅に道場まで作り、そこに天然理心流てんねんりしんりゅうを招いたことで若先生とは知り合いになったようだ。硬派な若先生と軟派な薬売りという対極に位置する二人だが、不思議と気は合うようだ。そんなこんなで、薬売りは頻繁に試衛館に入り浸っていたし、若先生だって頻回に日野宿を訪れていたが、この時の俺はそんな事情を知る由もなかった。

 だが、試衛館とも縁の深い薬売りの発した言葉が、並々ならぬ波紋を生んだことだけはわかった。


「いくらトシさんの頼みでも、そうやすやすと頷けないね」


 特に反発を受けたのは、いわずもがなのおかみさんだった。真夜中の闖入者ちんにゅうしゃである俺たちを順番に見回すと、面倒くさそうに睥睨へいげいした。もしかしたら、俺たちがこの薬売りにおかみさんを説得してくれるように頼んだのだと思っているのかもしれない。


「えー、そんな固いことを言うなよ、おかみさん。そのうち、おつむりまで固くなっちまうぜ?」

「今回ばかりはトシさんの口車には乗せられないよ。その子たちはね、剣術を習いに来た門下生じゃないんだ。口減らしに見習奉公。口に入れるものを働いて返すだけで精一杯のこの子らに、剣術なんて習う暇なんてないだろ?」

「別に仕事量を減らせって言っているわけじゃねえよ。減らすのは寝食の時間でいいじゃねえか。それでもやっとうをやりてえってんなら、こりゃあ本物だろう?」

「――――で、どうなんだい? 宗次郎、一紗」


 そう尋ねたのは、いつの間にかすっくと立ち上がっていた周助先生。剣術に対してはなかなか厳しい人だが、私生活の一切についてはおかみさんにうだつが上がらない。そんな憎めない性格の周助先生だが、なぜか今回ばかりは引き下がらなかった。


「おまえさん」

「お栄。お前はちっと黙ってろ」

「黙ってろって――」

「宗次郎、一紗。てめえのやりてえことは、てめえの口できちっと言いな」


 周助先生の厳しい目に見据えられて、反射的に身体が委縮する。周助先生の目は、日頃俺たちに相対するものとは明らかに違っていた。この他人を寄せ付けないような眼力は――――そう、剣客の目だ。周助先生は一人の侍として、俺たちに剣術の是非を問うている。だったら俺たちも、どんなに小さくても弱くても、一人の侍として答えなくてはいけない。


「決してご迷惑はおかけしません。仕事も疎かにしません。だから、俺たちに剣術を教えてください!」

「お願いします!」


 口々に叫んで頭を下げる俺たちの頭上で、小さく笑う気配がした。きっと、薬売りだ。ボンボンの薬売りが俺たちを見て笑っているのだ。その奥で、周助先生が小さな溜息をついた気配がした。


「明日から一刻早く起きるんだぞ。わかったらさっさと寝ろ」

「おまえさん!」

「なんだ?」

「なにふざけたことを言ってんだい! 百歩譲って宗次郎はともかく、一紗は女子だよ? 女子に剣術を教えてどうするってんだい!?」

「俺はなあ、お栄。剣術を通して、侍を育てるのが役目だと思っている。その侍が男か女かってのは、たいした違いじゃねえのよ」


 かか、と大笑した周助先生が、若先生と薬売りを伴って座敷を後にする。せっかく目が覚めてしまったので、これから三人で酒でも酌み交わそうと話している。そんな周助先生の背中を、おかみさんが恨めしげに睨み据えていた。



 ともあれ、様々な波乱を残して、俺と一紗はひとまず剣術を許されたのだった。これが俺たちの人生を左右する薬売り――――土方歳三との出逢いだったなんて、この時は露知らず――……。


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