宗次郎、薬売りに出逢う(四)
薬売りの名を、
だが、試衛館とも縁の深い薬売りの発した言葉が、並々ならぬ波紋を生んだことだけはわかった。
「いくらトシさんの頼みでも、そうやすやすと頷けないね」
特に反発を受けたのは、いわずもがなのおかみさんだった。真夜中の
「えー、そんな固いことを言うなよ、おかみさん。そのうち、おつむりまで固くなっちまうぜ?」
「今回ばかりはトシさんの口車には乗せられないよ。その子たちはね、剣術を習いに来た門下生じゃないんだ。口減らしに見習奉公。口に入れるものを働いて返すだけで精一杯のこの子らに、剣術なんて習う暇なんてないだろ?」
「別に仕事量を減らせって言っているわけじゃねえよ。減らすのは寝食の時間でいいじゃねえか。それでもやっとうをやりてえってんなら、こりゃあ本物だろう?」
「――――で、どうなんだい? 宗次郎、一紗」
そう尋ねたのは、いつの間にかすっくと立ち上がっていた周助先生。剣術に対してはなかなか厳しい人だが、私生活の一切についてはおかみさんにうだつが上がらない。そんな憎めない性格の周助先生だが、なぜか今回ばかりは引き下がらなかった。
「おまえさん」
「お栄。お前はちっと黙ってろ」
「黙ってろって――」
「宗次郎、一紗。てめえのやりてえことは、てめえの口できちっと言いな」
周助先生の厳しい目に見据えられて、反射的に身体が委縮する。周助先生の目は、日頃俺たちに相対するものとは明らかに違っていた。この他人を寄せ付けないような眼力は――――そう、剣客の目だ。周助先生は一人の侍として、俺たちに剣術の是非を問うている。だったら俺たちも、どんなに小さくても弱くても、一人の侍として答えなくてはいけない。
「決してご迷惑はおかけしません。仕事も疎かにしません。だから、俺たちに剣術を教えてください!」
「お願いします!」
口々に叫んで頭を下げる俺たちの頭上で、小さく笑う気配がした。きっと、薬売りだ。ボンボンの薬売りが俺たちを見て笑っているのだ。その奥で、周助先生が小さな溜息をついた気配がした。
「明日から一刻早く起きるんだぞ。わかったらさっさと寝ろ」
「おまえさん!」
「なんだ?」
「なにふざけたことを言ってんだい! 百歩譲って宗次郎はともかく、一紗は女子だよ? 女子に剣術を教えてどうするってんだい!?」
「俺はなあ、お栄。剣術を通して、侍を育てるのが役目だと思っている。その侍が男か女かってのは、たいした違いじゃねえのよ」
かか、と大笑した周助先生が、若先生と薬売りを伴って座敷を後にする。せっかく目が覚めてしまったので、これから三人で酒でも酌み交わそうと話している。そんな周助先生の背中を、おかみさんが恨めしげに睨み据えていた。
ともあれ、様々な波乱を残して、俺と一紗はひとまず剣術を許されたのだった。これが俺たちの人生を左右する薬売り――――土方歳三との出逢いだったなんて、この時は露知らず――……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます