宗次郎、薬売りに出逢う(二)



「駄目だ……頭パーンってなりそう」


 アオーン。野犬がしまりなく鳴く田舎の夜空に、俺の情けない声が響く。顔を真っ赤にさせる俺の隣で、相変わらずけろりとした様子の一紗がぷっと噴き出した。


「もう限界なの? これだからお子ちゃまはいけませんねえ」

「化け物は黙ってろ」


 一紗が庭の木に逆さ吊りになっているのは見慣れているらしいが、夜空の下に小童が二人逆さ吊りになっている光景には、ここの門下生もまだ慣れないらしい。おそらく厠帰りらしき門下生が、暗闇の中に吊り下げられている人間に腰を抜かしては、そのたびの泡を吹いて気絶している。お蔭で俺と一紗の足元には、門下生や下男らの屍が三つほど出来上がっていた。さながら地獄絵図のようだ。


「もうほんとだめ……頭パーンってなる。俺の亡骸はこの桜の木の下にでも埋めてね」

「おう。桜の木の下でも残飯の下でも捨ててやるからさ、頭パーンってなる前に聞いて欲しい話があんだよ」


 パーンとなりそうな頭を苦労して巡らせると、相変わらずけろりとした様子の一紗が悪戯げに微笑んでいた。


「あんたさ、若先生が周助先生の養子になった経緯って知ってる?」


 ぼんやりとした頭で記憶の糸を辿る。この試衛館には先生と呼ばれる人物が二人いる。三代目道場主である近藤周助先生と、婿養子である嶋崎勝太先生。ややこしいので、嶋崎勝太先生のことは若先生と呼んでいた。


「あー……なんだっけ、実家に忍び込んだ強盗を追っ払ったんだっけ」

「そうそう。若先生が十六歳の時、実家に忍んだ強盗を見事撃退したんだ。それもさ、賊は入り込んだ時が一番気が立っているから、逆に一番気の緩む去り際を狙って、易々と追い払っちまったんだぜ。すげえよなあ。追い詰められた時にそんだけ冷静な判断ができるなんて。流石鬼瓦、私が見込んだだけのことはある」

「いや、お前に見込まれても迷惑なだけだと思うけど」

「默らっしゃい。だからさ、私、考えたんだ。私らもさ、若先生と同じようなブコーを立てたら、あの鬼ババアに認めてもらえるんじゃないかな」

「同じような武功ってなんだよ」

「そりゃあ、同じって言ったら同じだよ。私らも賊を追い払えばいいんだよ」

「あー……そう都合よく賊が現れたらいいですねー……」

「莫迦だな、ソージは。待っていても現れるわけないだろ。都合よく現れない賊ならば、こっちで調達すればいいんだよ」


 莫迦はどっちだよ、と言いかけて、そこで意識がプツンと切れた。目が覚めた時は薄い煎餅布団の中で。どうやら、頭パーンとなりかけた俺を、親切な誰かが布団に運んでくれたらしい。


「ああ。運んでくれたのは若先生だよ。お前は寝ていたから残念だったけど、私には握り飯までくれたんだぜ。羨ましいだろ」


 初夏の日差しが眩しい明朝。

 ふふん、と得意気な一紗を、白けた目で見つめる。こいつは本当に顔色一つ変わっていない。同じ人間だと思えなくなってきた。


「そんなことよりさ、昨日の話覚えている?」

「昨日の話?」

「若先生の武勇伝だよ」

「ああ、その話。賊を見事追い払ったことが周助先生の耳に入って、ぜひ子のいない周助先生の跡取りにって望まれたんだろ」

「私が言ってんのはそこじゃねえよ。やっとうの稽古を認めてもらうために、若先生と同じブコーを立てようって言ってんの」


 もちろん、覚えている。そんなふざけた話をしたのは。だけど、内容があまりにもトンチンカンすぎて、まさか本気とは思っていなかった。


「そんなの無理に決まってるだろ」

「無理じゃねえよ。私にはお前と違って行動力がある。ふははは」

「ふははは、じゃねえよ。第一、そう都合の良い賊なんてどこで調達してくんだよ」

「そりゃあ、市中に決まってんだろ。大丈夫だって。江戸市中には食いっぱぐれた貧乏浪人がうようよしてるから。そん中から、私らでもヨユーそうな弱っちい浪人を賊役として雇えばいいんだよ」


 一紗にしては随分と筋の通った話だ。だが、そもそも通る道を間違えているのだからどうしようもない。


「莫迦か。そんなの食い扶持浪人に騙されて終わるのが関の山だろ。俺らみたいな子供に雇われる大人がいるもんか」

「お前、食い扶持浪人の追い詰められっぷりを舐めんなよ。明日食う日銭にも困ってんだぞ」

「お前に食い扶持浪人の何がわかるんだよ。例え明日食う日銭に困っていたとしても、子供に雇われることなんてねえよ。武士は食わねど高楊枝って言うだろ? やつらには金がない代わりに、誇りだけは腹いっぱいにあんだよ」

「誇りなんて一銭にも金にならねえもんを後生大事にしてどうすんだよ。ま、いっか。食い扶持浪人が駄目なら、そこらへんの振り売りでも大工でも髪結いでもなんでもいいし。要は男なら問題ない」

「問題大ありに決まってんだろ。そもそも、俺らには人を雇うだけの金がない。なにせ、給金がない代わりに住み込みで働かせてもらっているんだからな」

「あー、もう! ああ言えばこう言う! お前はやっとうをやりたくねえのかよ? ソージは一生掃除して過ごせば満足なのかよ? この、いくじなし!」


 最後の一言には、いかに寛大で冷静な俺でもカチンときた。だからこそ、こんな誰が聞いているかもわからないような庭先で、大声を上げてしまったのだ。


「うっせえなあ! 俺らが足掻いたところで、あの皺だらけの鬼ババアが認めてくれるはずねえだろ!」

「――――誰がなんだって?」


 血の底から響くような重低音に、声にならない悲鳴が漏れる。ギギギ……と音がしそうなほどぎこちない動作で振り向いた先には、満面の笑みを浮かべるおかみさんが立っていた。

 もちろん、目は笑っていない。


「宗次郎。誰がなんだって?」

「いや、あの、その……今日も変わらずお綺麗だなー」

「ってなことを言ってるはずねえじゃん」


 一紗!、と叫ぶ前に首根っこを掴まれた。首根っこを掴んだ張本人であるおかみさんの手には、見慣れた縄が握られている。縄を握った手で庭の桜の木を指差されたら、この先に待つ運命を悟るしかない。


「おかみさん! 本当にすみませ――っ!?」


 二日連続逆さ吊りの刑は、流石の俺でも頭パーンとなる。恐怖から殊勝に頭を下げる俺の腕を、ふいに強い力が引っ張る。驚いて目を見張った先には、にやりと口角を上げて微笑む一紗がいた。


「逃げるぞ、相棒!」


 誰が相棒だ、という文句は、風の彼方に消えた。

 ぐいぐいと腕を引かれるまま、長閑な田園風景を疾走する。尻っぱしょいで苗を植えている近所の老夫婦が、風のように疾走する俺たちに向かって手を振る。それにおおい、と手を振り返したところで、ハタと我に返った。


「か、一紗!」

「なにさ。口、開かない方がいいぜ。舌噛むぞ」

「てめえ、ふざけんなよ! だいたい、全部てめえのせいで巻き込まれてるっていうのに、目の前で逃げたとなっちゃ余計に――あだっ」


 本当に舌を噛んだので、言い足りない文句はぐっと飲み込むことにした。

 足がもげるのではないかと危ぶむほど全力疾走した先で、一紗はようよう止まった。割と遠くまで走ってきたようだ。眼前に広がるのは田園風景ではない。振り売りや飛脚が忙しげに行き交う街頭でようやく足を止めた一紗は、まだ息が整わない俺を見てにやりと笑った。


「さ、調達しようぜ」

「ちょ、ちょーたつ、って、なにを……」

「決まってんだろ。都合の良い賊だ」


 まだ諦めていなかったのか、という呆れた声は、激しく噎せた咳の中に消えた。早くも息の整った化け物は、懐から取り出した矢立やたてで、そのへんで拾った手頃な木材に何やら書き込んでいる。が、途中で手が止まった。


「なあ、ソージって字書けたっけ?」

「書けるわけねえだろ。寺子屋なんて通ったことねえんだから」

「だよな。私も同じ」

「……」

「……」

「……一応訊くけど、なんて書きたいわけ」

「賊募集中」


 字が書けなくて良かったと、この時ほど感謝したことはない。そんな阿呆な看板を掲げた日には、岡っ引きが駆けつけてくること請負だ。


「おかみさんもおかんむりだ。もう諦めて、帰ろうぜ」

「やだ」

「やだって……。仕方ねえだろ。字なんて書けねえんだから。それとも、大声を上げて『賊募集してます~!』とでも呼びかけるつもりか? 俺は絶対に付き合わねえぞ」

「じゃあお前は一生を掃除に捧げれば満足だっていうのかよ? 竹刀、持ってみてえとは思わねえのかよ? やっとう、やりたくねえのかよ!?」


 いつになく真面目な顔で詰め寄る一紗に、苦いものを感じる。

 わざわざ言われるまでもない。俺だって、やっとうをやりたいに決まっている。これまで遊びで棒切れを振り回していたのとは違うのだ。本物の竹刀を握って、本物の剣術が学べる。そう思ったからこそ、不本意な口減らしにも異論を唱えず、試衛館の門をくぐった。


「……ずっと憧れてたんだ」


 今まで剣術のけの字も知らなかったのだ。とりわけ、剣術が得意というわけではない。ただ、一紗と一緒になってやっとうの真似事をすると、姉さんたちが褒めてくれた。宗次郎は筋がいいと、将来は父上のような立派な侍になると、喜んでくれた。だから、やっとうをやりたくて堪らなかった。少しでも姉さんたちの喜ぶことを――――ひいては沖田家のためになることを、やりたくて堪らなかった。それが、長子のくせに家督を継ぐことのできなかった俺にできる、唯一のように思えた。


「俺だって、やっとうをやりてえに決まってるだろ!?」


 思い余って掴みかかった俺を、一紗が驚いたように見つめる。だが、この化け物女はただでやりこめられるような女ではない。俺の胸倉を掴み返すと、強烈な頭突きをお見舞いしてきた。とんでもない石頭の威力に、くらくらとする眩暈を覚えながら腕を振り上げる。そこからはもう無我夢中だった。我を忘れて殴り合う俺たちを、街頭を行き交う人々が慌てたように止める。強い力で引き離されて、容赦なく頭をぽかりと殴られた。


「莫迦野郎! 女と本気で喧嘩をする男があるか!」

「こいつ、女じゃねえもん!」


 叫んだ瞬間、人垣に捕獲された一紗が「そうだ!」と吠えた。俺の首根っこを掴む振り売りらしい風体の若い男が、不思議そうに首を傾げる。


「あいつ、女じゃねえのか?」

「女だよ!」

「だからって、男より弱いとみなされる筋合いはねえ!」


 そう口々に吠える俺たちを見比べて、集まった人たちは呆れたように笑った。どうやら子供の痴話喧嘩だと思われたらしい。パラパラと人が散っていく中、なぜか地面にどっかりと腰を据えた若い振り売りが、俺たちを見比べてにやにやと笑っている。


「こいつはおもしれえクソガキ共だな。どれ、喧嘩の理由を話してみな」

「行きずりの振り売りに話せる悩みじゃねえよ」

「そうだ」


 再度容赦なく頭をぽかりとやられた。同じ制裁を受けた一紗が、目を血走らせながら、振り売りを睨んでいる。


「なにすんだよ! この、腐れ振り売り!」

「クソガキ、半分正解で半分不正解だ。俺は薬売り。ちょうど退屈してたとこなんだ。おめえさんらの喧嘩の理由、俺に話してみな」


 賊を募集していたら、もっと厄介なものを引き当てたらしい。

 目深に被った編み笠のせいでわからなかったが、よく見ると役者のように整った顔立ちの薬売りは、言い渋る俺たちにありとあらゆる力の差を駆使し、すっかり事情を聴き出してしまった。


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