4
草原を歩き、ルミナスは小屋へ戻った。
扉を開き(錠前は案の定魔法で破られていた)中に入ると、ルピアが未完成の箒に跨り浮いていた。ルミナスは慌てて彼女を箒の上から追い払った。
「荒々しいなあ、もう」ルピアが呆れた様に言う。
「女性だからって容赦しないのね」
「仕事に男も女もない」
ルミナスは取り返した箒を、もとの作業台の上に戻した。
ルピアはベッドの方に戻ると、魔法で旋風を起こし、自分の衣服をその上に集めた。そのおかげで作業道具が少し散らかったが、ルミナスはその程度では怒らなくなっていた(但し気にはなるので、全て元あった場所に整理した)。
「いい箒だね」魔術官のコートを着ながら、ルピアが言った。
「まだ飛行が安定しないけど」
「当たり前だ。まだニスを塗ってない」
工具を片付け終えると、ルミナスはまた作業台の前に戻った。意図しなかったこととはいえ、睡眠は十分に取った。食事も済ませ、体力も戻っている。このまま作業を始めてしまおう。そうすれば、日が暮れるまでには箒も完成するに違いない。ルミナスは、再び箒と自分だけが存在する世界へ没入していった。
身支度を済ませたルピアも、彼の隣にやってきた。
ルミナスは、柄の先端に付いた蓋を外した。そこには小石が入るほどの穴がある。
ここからが重要な作業だ。
彼は、一度箒を作業台に戻すと、屈んで、床板のうち一枚を外した。
「
その下から現れた金庫を見てルピアは言った。前々から、彼女はその場所を探していたのだ。ルミナスは溜息をついた。職人として箒を作り始めてからずっと、彼はその場所を知られたくなかったのである。
ルミナスは無言のまま、金庫の扉に手を置いた。すると扉は二つに割れ、左右に開く。特殊な金庫で、彼の気配を察知して開く様になっている。開けられるのは彼だけだ。そうでなければ、どんなに優秀な魔術官でも開くことは出来ないと、師匠は言った。
だが、それは嘘だとルミナスは考えている。そうでなければ師匠は知らなかっただけだ。何かのメカニズムで動いている限り、突破されるリスクは常に存在する。ただ時間はかかる、というだけで。でも日々技術は向上しているから、短い時間で金庫が破られるようになる日も近いだろう。奇しくも隣国では、そういった金庫破りの技術が日々向上されつつあるらしい。
師匠が生きていた時には裸で置かれていた金庫が、今は床下にあるのはそういうことだった。産業といい、金庫といい、いつも狙われている。職人らしく、ものづくりに打ち込んでいればいいというものでもなくなった。警戒を怠れば、そこにつけ込んでくる輩が跋扈している。
職人には世知辛い時代なのである。
金庫の中には十数ほどの袋が入っていた。ルミナスはそのうちの一つを手に取り、作業台上の箒の隣に置くと、金庫を閉じ、床板を嵌めた。
再びスツールに腰掛けると、引き出しから手袋を取り出し、袋の中身を取り出そうと…
「はー!落としても浮くって本当なんだね」
ルピアの足下で、飴玉ほどの大きさの水晶が床から少し上の所で浮いていた。
ルミナスは心臓が一瞬鼓動を止めたのを感じた。慌てて水晶を取り、袋の中に入れた。
久々に叫んだからか、水晶を袋に入れ終えると息が切れた。と同時に、物凄い勢いで頭に血が上ってきた。
「おい!」
ルミナスは思わず立ち上がった。
「していいこととそうじゃないことの区別ぐらいつかないのか」
この時彼は鬼の形相だったが、それに対するルピアの反応は非常に薄いものだった。
「ごめん、ちょっと気になって」
「なんだそれ、『ちょっと気になって』って」
「いいじゃん、別に」
「護石は消耗品だって、知ってるだろう?一回使ってしまったら、もう新品とは言えないんだ」
ルミナスは袋に入れた球を、引き出しに入れた。
「もう、使わないんだね」
袋が入った引き出しをしまうのを見て、ルピアが言った。
「使い古しは使えない」
ルミナスが使う護玉は、北の聖地近くの鉱山で採れる高級品だった。平均的な護玉の寿命は3年と言われているが、ここで採れるものであればその倍は持つ。それに加え2年使い込んだ中古品だとしても、一般的に用いられる護玉の2倍の値打ちがするものだった。
ルミナスは再び金庫を開き、玉を取り出した。今度はルピアが容易く手に取れないよう、引き出しに仕舞い鍵を閉めてから金庫を閉じた。
「よし」
手袋をはめ、袋から護玉を出す。
説明が遅れてしまったが、護玉とは、箒に乗る人間が落ちるのを防ぐ一種の安全装置である。玉の下には袋状の力場が広がっており、強風や高速で移動した時の風圧によって箒の持ち主が落ちたとしても、護玉の力場がその人間を掬い、地面に叩きつけられるのを防いでくれる。
師匠の話だと、この鉱石が箒に入れられるようになって、まだ100年ほどしか経っていないということだったが(鉱石自体は昔から知られていた)、現在の箒作りにおいては必須のものとなっている。一見はるかに安定する空飛ぶ馬車よりも飛行箒が重宝されてきたのは、この護玉があったからだった。馬車よりも遥かに安価で、馬車と同様の安定性を保つことができる。機動性にも優れ、雨風の問題を除けば、飛行箒はこの国で最も優れた移動手段だと言えた。
飛行箒の重要性は、護玉によって支えられている。だから、箒に特別のこだわりがある職人は、護玉を非常に重要視してきたのだった。
ルミナスは新品の護玉を箒の穴の中に入れ、蓋を閉めた。これで完成まではあと一歩。ニスを塗るだけだ。どのニスを塗るのかはもう決めていた。
後ろから肩を叩かれた。ルピアだ。抗議をしようと思ったが、彼女のしなやかな指が彼の唇に当てられた。
「売ってくれないかな」
「え?」
ルピアはルミナスの口に当てていた指で、先ほど護玉を入れた引き出しの方を指した。
「さっき、あたしが出した護玉。売って」
「高いぞ」
「知ってるよ。だから売って欲しいの。勿体ないじゃない」
そういうと目を細め、悪戯っぽく笑った。
「これでも高級魔術官だから。お金はある」
そういうと再び魔法で旋風を起こし、財布を手に取った。
「いくら?」
事がとんとん拍子に進んだ為、ルミナスは若干呆気にとられながらも、
「…6万ドゥーブルゾン」
「オーケー」
ルピアはそう言うと、札束を一つ財布の中から取り出した。彼女が手に持つ優美な長財布に入るようには見えないから、きっとどこか別の空間に繋がっているのだろう。
「…まさか、どこかの金持ちの金庫にでも繋がってるんじゃないだろうな?」
そんなにも短い期間に大金が出てくるのを見た事がなかったので、ルミナスはついきいてしまった。
「金庫には繋がってるわよ」
ルピアはそう答えると再び風を起こし、ベッドの上に置いてあったハンドバッグに財布を入れた。
「違うのは、それが自分の口座だってこと。都では最近流行ってるのよ。他のお客さんが使うの見たことないの?」
ルミナスは口座に給与を振り込んで貰っていた。なので素直に首を横に振った。
「田舎者」
からかうような笑みを浮かべるとルピアは荷物を持ち、外へ出て行く。ルミナスもそれに付き合った。
ルピアは壁に掛けておいた箒を手に取った。
「メンテしなくて大丈夫か?」
ルミナスは箒を見て言った。彼女の箒も彼の作った物だ。一人前になってから初めて作った箒。出来は良く、この箒を作った自信が、その後の成功に繋がった。完成させたのはもう数年前だが、それでも壊れることなく正常だった。
「うん、平気」
ルピアは箒にまたがり、右足で2回地面を踏むと、箒が浮上した。小屋の屋根の高さまで来て、一旦上昇が止まる。ルピアはこちらを振り返り、
「また来るね」
というと、箒を東に向け飛び去っていった。都へ戻るのだろう。
小屋の中へ戻ると、えらく散らかっているのに気がついた。ここに来てルミナスは、ルピアが旋風をかなりの回数起こしているのを思い出し、唸ってしまった。その気もないのに添い寝をしたがる。毎回作業を邪魔される。大人びた見かけとは裏腹に、本当に子供じみている。だが、もう慣れた。それに彼女は最初の客である。ルピアが来た日にロクな日があった試しはなかったが、結局許してしまうのは慣れからなのか好意のせいなのかは、ルミナスにもわからなかった。
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