罪と罰

 わたしは罪を犯した。世界中の誰も知らないけれど。誰も知る由はないけれど、わたし自身が一番良く知っている。ずっと逃げ続けていたつもりだったけれど、どれもこれも無駄に終わったし、結局はどんなに逃げても犯した罪はわたし自身の中にあるのだから逃げられない。解っていたはずだし、理解もしていた。でも逃げたかった。誰も知らないから誰にも責められることはない。でも世界がそれを知っている。わたしが罪を犯した罪人だということ。だから、世界はわたしを殺したい。その罪を贖わせるために、わたしと言う存在を消したい。解っていた。

 足掻いたつもりだった。襲ってくる木偶をひとつ残らず破壊してみたし、巻き込まれるトラブルも全て解決してきた。でも、根本的な解決にはならなかった。

 見えるのは炎の海。焼けた空気が苦い。その熱に嬲られて、わたしは漸く

 白い肌、流れる黒髪、流れ続ける透明な涙の雫。わたしはわたしの罪を、その重さを、目の前の美しいひとに背負わせてしまっていた。


「ごめんなさい、」


 謝罪が口をついて出る。そんなつもりはなかったのだ。こんなことを言っても自己弁護にしかならないけれど、わたしは無知だった。猶予を求めるということは、その間に犠牲になるものがあるということ。少し考えれば解ることだったのに。


『謝らないで、わたくしはわたくしがしたいと思ったことをしただけですから』


 優しいひとだ。わたしの罪を知りながら、それでもそれを責めようとしない。でもこれ以上そのやさしさに甘えることは出来ない。

わたしはわたしが犯した罪の清算をしなければならない。


「ナナキ、」


 名前を呼ばれて初めて、アスラが近くにいることに気付いた。炎で煤けた白い頬。それでもアスラは美しい。こんなにも美しいものがいるこの世界は、たぶん正しいのだ。わたしが間違っていただけで。

 思わず、自嘲の笑みが浮かぶ。


「悪いな、アスラ」


 そうだ。。わたしの存在は生まれてはいけなかったのだ。わたしさえいなければ世界は何一つ間違うこともなく、歪むこともなく、ただただその輪廻を巡っていただろうに。



「わたしは、だ」


 だから、自分でその罪を告白しよう。そうすればきっとアスラも諦めるだろう。すべての罪がわたしにあることを理解してくれたら、諦める以外の選択肢などなくなる。


「わたしは罪を犯した。とんでもなく重大な罪だ」


 音が遠ざかる。炎の熱も、その光も、何もかもが。見えるのはアスラの驚いたような表情。忘れるのは寂しいから、全て憶えておこう。そのきめ細かな肌も、流れる月色の髪も、冷ややかな目元も、しなやかな指先も、何もかもを。思い出があればきっと寂しくなんてない。


 わたしはその手段を放棄した。それこそがわたしの罪だ。

 わたしは幸せになりたかった。誰かに愛されてもみたかった。自分が無駄ではないと証明したかった」


 世界が壊れているのは解っていた。この世界には中心がいないから。柱となり支えるだけの存在がないから。世界を世界として確立するだけの因子が絶対的に不足しているから。それを埋めることが出来たのはおそらくわたしだけだっただろうし、それを行えば世界は再生の一途をたどった。……それをしなかったのは、わたしのエゴだ。こんな世界なんて壊れても構わないと、わたしをわたしとして生み出したこんな世界なんて消えてしまえと、わたしはそう、確かに思っていたのだ。


「だから、わたしはその罪を償う。アスラ、お前が存在するこの世界は、、それだけで正しい」


 願わくば、アスラがわたしを忘れてくれますように。其処まで願うのは傲慢なのだろうけれど、祈らずにはいられない。忘れて、存在していたこともなかったことに出来ればどんなに楽だろうか。


「何を言っている?」


 嗚呼、アスラ。お前には理解できないだろう。困惑の表情を浮かべているアスラを、わたしはまじまじと見つめる。きっとこれが最期だから。


「幸せを求めるのは万物が持つ真理のひとつだ。求めたことが罪だというのならば私とて罪人だろう。

 私はお前が欲しいと思った。だからお前を追い、見つけたのだ。それも罪ならば、私はどうやってそれを償える?」

「大丈夫だ、お前が犯したというその罪はわたしと共に消えてなくなるから、」

「ふざけるな!」


 怒号が響いた。こんなにも感情を露わにしたアスラを、わたしは知らない。え、なんで。なんでわたしが怒られているんだ?

 怒りに燃える瞳が、じっとわたしを見据えていた。向けられた大剣の切っ先から、殺気にも似た感情が零れ落ちているように思える。


「お前は無駄などではない、私が求めているのだから。

 お前が居なくなるというのならば私には生きる意味がない。

 ナナキ、お前が居ない世界に、私の幸せなどない!」





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