炎上

 月光が大きな窓から室内に降り注いでいる。月光が執務机の表面をきらきらと輝かせていた。いくつかの書類を眺めた後、それらを興味ないと言わんばかりにばさりと机の上に投げ捨てた。


「それで、なんだい」


 室内の乏しい照明がその人物の横顔を不気味に浮き上がらせた。年齢によって刻まれた深い皴。細められた両眼と上げられた口角で柔和な笑顔に見える。が、その奥の瞳は全く笑っていない。

 問いかけられた側である彼女は丁寧に頭を下げて礼を捧げた。


「今回は火種にする必要はないかと」

「何故だい」


 即座に返された疑問に悪夢カシマールはびくりと肩を震わせた。同じように震える指先と口唇を悟られないようにと無駄な抵抗をしながら言葉を返した。


「新しく火種を作らなくとも既に火は着いています、そちらに方が労力も少なくて済むかと」

「ふぅむ……」















 突然脳内で警告音が鳴った。サイレンのような爆音だ。その音に驚いてわたしは身体を跳ね上げる。と、先程まで頭があった場所に深々と突き刺さった刃物が見えた。ぎらりとした銀光を放つそれが引き抜かれ、第二撃が来る前にベッドから転げ落ちるように降りて、しゃがんだ姿勢のままベッドのフレームを持ち、立ち上がる。つまりはベッドを相手にぶち当てる。

 粗末なベッドが軋んで、ひっくり返ったベッドの下で昏倒した相手を観察する。

暗殺者にしては粗末なやり口だ。その思考をわたしは瞬時に自分で否定した。ヒト型だがあるべきものがない。眼も、鼻も、口も。のっぺりとした顔面は粗い目地の麻で出来た布で覆われている。木偶だ。布を破るとすぐに解る。埋め込まれた術式符。解析をしようとして、無駄だと悟る。触れた瞬間に、それは


 嗚呼、か。わたしは嗤った。同時に身体の奥深くがかぁ、と熱くなる。目の前が紅く染まる。か。のか。

 世界にとってわたしは異分子にしかならないのか。これほどまでに努力していてもなにも報われないのか。

 結局……わたしはわたしから逃れられないのか。


 どくり、どくり、耳元で鳴る鼓動が五月蠅い。不快だ。確かに揺れた感覚がして、わたしは眼を閉じた。眼を閉じていても展開したままの術式のおかげですべては視えている。武器を握る太い手、畏れと恐怖をまぜこぜにしたような醜く歪んだ表情。


 すぅ、息を軽く吸って、はぁ、吐く。

 閉じた眼を開く。大丈夫、視界はクリアだ。邪魔するものは、何もない。

















 嫌な予感はしていた。死にたがりが珍しく武器の修理に行くといった時からねばりつくような嫌な不快感を憶えていた。走りながら大剣を振り下ろす。その勢いのまま身体を捻り先にいた木偶を蹴り倒す。それだけで単純な造りの術式しか組まれていない木偶はその行動を停止する。

 そう、木偶だ。戦闘力で言えば底辺に位置するそれが自然発生することは確かにあった。だが、違う。違うのだ。

 大剣を握る左手ではなく右手で横から沸いた木偶の服を掴み投げ飛ばす。投げ飛ばした先の集団がバランスを崩したところで大剣を薙ぐ。数十体をまとめて切り伏せて、私はまた走り出した。


 使い古された術式が何らかの拍子で再起動して害を為すことは確かにあった。木偶とはそういうものだ。今までだって何度も処理してきた。解ってる。だが、違う。今回は明らかに違う。木偶の身体になっている藁や木々、布、それらは確かに古いものだ。耐久度などありはしない。一撃で沈むことも他の木偶と違わない。だが、違うのだ。

 こいつらは

 匂いなのか気配なのかそれとも術式の癖なのかは解らない、だが狙われるのが私ではなくだ。掴もうとしてくるのも、攻撃してくるのも、全て大剣だ。この大剣にはナナキが組んだ術式が埋め込まれている。発動後の術式光にすら手を伸ばしてくるのだから疑いようもない。


「くそ、」


 ナナキは言っていた。「世界は私を殺したいのさ」、と。自虐的な言葉にいつもの戯言かと思っていたが、そうではないことを私は知っていた。

 自然発生のはずの木偶がナナキを襲う回数。自然災害がナナキを襲う回数。トラブルに巻き込まれる回数。

 かのようにナナキは何度も何度も生命の危険に遭遇してきた。それを生き延びてきたのは執念にも近いものがあったからだ。だが、それも最近は薄れてきているように感じる。木偶に襲われるたび、ナナキは薄く笑う。か、と。

 回数を追うごとに濃くなる「諦め」の色がナナキを塗りつぶしていくようにも感じていた。そんな矢先に「憤怒の街」へ行くと言う。当然止めたところで聞きはしないだろうからと黙って送り出したものの、じわりじわりと這いよってくる不快感をぬぐい切れずに事務所を飛び出した。

 森に入った途端、これだ。街へ近づけば近づくほど木偶の数が増えていく。切り倒し、蹴り倒し、殴り飛ばしながら進む。森を抜ける、と。


 チリ、熱気が頬を灼いた。燃えている。夜空の黒を塗りつぶすかのように、「憤怒の街」は炎上していた。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る